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エッセイ295:林 泉忠「『辺境』から見る『中心』の傲慢さ――沖縄と日米のやむをえない関係」

5月15日は沖縄返還の日である。1972年のこの日、アメリカは沖縄の施政権を日本に返還した。毎年この頃になると沖縄社会の雰囲気が重くなる。返還を祝賀する風景があまり見られないかわりに、集会、デモ行進、米軍基地への抗議活動などが目立つ。今年の抗議のテーマは、普天間米軍基地の辺野古移転への反対のほかに、もう一つあった。先日のアメリカ外交官による沖縄の人々への差別「失言」事件への批判である。

この「失言」事件は3月に世にさらされてから、今日まで依然として議論され続けている。この事件は、沖縄社会に大きな衝撃を与え、日米間の外交トラブルを引き起こしたばかりか、東アジア全地域に対するアメリカの軍事戦略にも影響を及ぼしかねないため、軽視できないものである。

◇「メア氏失言」騒ぎの顛末

今回の「失言」事件の当事者は「日本通」・「沖縄通」とされている、アメリカ国務省の日本部長だったケヴィン・K・メア(Kevin K. Maher)氏である。昨年12月3日にワシントンのアメリカン大学の要請により、メア氏は、東京と沖縄へ短期留学を控える学生たちのために講義を行ない、自らの日本での仕事経験および日本の印象などを話した。数名の学生の授業ノートを引用した日本の共同通信社の報道によると、メア氏の講義内容は、沖縄の人々への人種差別と侮蔑に満ちているという。「沖縄人は日本政府に対するごまかしとゆすりの名人だ」、「沖縄は離婚率、出生率、特に婚外子の出生率、飲酒運転率が最も高い。飲酒運転はアルコール度の高い酒を飲む文化に由来する」、「沖縄人は怠惰でゴーヤーも栽培できない」といった内容である。

このほか、敏感な米軍基地および日米安保問題について、メア氏は、「日本政府は沖縄県知事に対して『もしお金がほしいならサインしろ』と言うべきだ」、「日本政府が現在払っている高額の米軍駐留経費負担(おもいやり予算)は米国に利益をもたらしている。米国は日本で非常に得な取引をしている」などと語ったとされる。

メア氏は、アメリカの対日外交を握る現役のキーマンであるだけでなく、2006年~2009年沖縄駐在のアメリカ総領事を務めたため、彼の言論は、日本や沖縄に対するアメリカの姿勢を反映していると目される。「メア氏失言」事件は3月7日に世に知らされてから、直ちに沖縄社会の猛反発を招いた。驚愕の表情を隠せない沖縄県仲井真弘多知事は、その日に「外交官の質が問題になるんじゃないか。あんなに長いこと沖縄にいてね」とのコメントを出した。沖縄県議会は翌日にメア氏に対して発言の撤回と陳謝を求める決議を満場一致で行い、那覇市をはじめ市町村レベルにも広がった。

◇沖縄社会の猛反発

世論では、沖縄の二大新聞『沖縄時報』と『琉球新報』がそれぞれ社説を発表し、メア氏の「失言」およびその背後にある米軍基地など安保問題上の日米間不平等関係を厳しく糾弾した。『沖縄タイムス』は3月9日の社説「[沖縄差別発言]メア氏を解任すべきだ」において、「メア氏の発言は日米関係に潜む病理をあぶり出す」と鋭く指摘する。

沖縄社会の反応に対しアメリカ側は直ちに釈明を行ない、メア氏の言論はアメリカ政府の立場を代表しておらず、「アメリカ政府は沖縄の方々を非常に尊重している」とのコメントを発表した。アメリカが急いで火元を消そうとしたのは、「失言」事件がさらに発展してまだ解決されていない普天間米軍基地移転問題に新たなトラブルを増やすことを恐れたからである。

周知のように、沖縄の米軍基地問題は日米関係において極めて重要な位置を占めている。多くの日本国民にとっては、日米同盟そのものは平等なものではない。しかし、沖縄県民にとっては、沖縄と日本本土との関係も平等ではない。日本の国土の0.6%しか占めていない小さい県に、75%の駐日米軍基地が集中しているからだ。換言すれば、長い間、沖縄の人々の身には、アメリカおよび日本の二重の不平等関係が降りかかっているのである。

沖縄は日本南部の辺境地域に位置している。この「辺境」は、地理上のもののみならず、心理上のものをも意味している。軍事上のものだけでなく、政治上、文化上のものでもある。「中心―辺境」関係の視角から見れば、「メア氏失言」事件はこうした不平等関係下の「中心」の傲慢さを反映している。そして、「中心」の傲慢さをもたらしたのは、近代国家と近代世界の内在的な不平等構造である。

◇不平等関係下の「辺境」の嘆息

「自由」と「平等」は近代人類社会が追求してきた核心的価値である。しかし、これらの価値に基づいて構築された近代国家システムにしろ、近代国際システムにしろ、「中心」と「辺境」間の不平等関係が先天的に残さている。

一方で、多くの場合、主要民族が創った国民国家では、本来「我が族類に非ず」とされてきた辺境地域を自ずからの新生国家の主権範囲内に納めた結果、近代国家内の「中心」と「辺境」との緊張関係が絶えなかった。また、「中心」と「辺境」との利益が衝突した場合、「大局的な視点」から「辺境」を犠牲にするのが常に「中心」の「やむをえない」選択となった。戦後日本が沖縄に厖大な米軍基地を強制的に置いたのは、まさにこうした不平等関係を反映するものである。

もう一方で、すべての主権国家からなる近代国際社会は、その組織原理こそが「平等」という原則に基づいているはずだが、周知の通り、世界はパワーポリティクスによって支配されているのが現実である。よって、多くの小国は大国に依存し生きる道を求めてきている。一昨年、日本が歴史的な政党交代を実現し、登場したばかりの民主党鳩山政権は、普天間米軍基地移転問題を借りて日米間の不平等関係を変更しようと試みた。しかし、この時の「造反」は最終的に世界の「中心」であるアメリカの認可を得られないまま失敗に終わた。

◇「脱中入日」下の琉球の運命

近代国家システムと近代国際システムの二重の挟み撃ちのもと、近代以降の沖縄の数奇な運命のなかで、「メア氏失言」事件はやむをえない苦境に置かれる「辺境」の数え切れないエピソードのなかの一つに過ぎない。

しかし、「辺境」の存在は、必ずしも生まれつきのものではなく、世界に独りよがりな「中心」が出現してからのことである。東アジア地域の「辺境」地域として、沖縄は過去に三つの「中心」と絡み合う微妙な関係にあった。この三つの「中心」は異なる時期に東アジア地域の覇者あるいはその挑戦者の役割を果たしてきた。すなわち、近代以前の「中心」は中国であり、近代以降は日本とアメリカである。

今から132年前まで、沖縄は450年の歴史を持つ半独立王国であり、琉球と呼ばれていた。明朝洪武帝の時代、統一する前の琉球は、すでに明朝皇帝に朝貢を行い始めた。これで、琉球は中華世界システム(華夷秩序)に入ったのである。当時の中国は東アジア地域の唯一の「中心」であり、琉球と明、清の二王朝との宗属関係は5世紀も続いた。17世紀のはじめに、薩摩藩の侵攻を受けて、琉球は薩摩に頭を下げて臣となった。1879年、明治維新後の日本は武力で琉球を併呑し、「沖縄」に名を変えた。

琉球の亡国は、東アジア地域の「中心」更迭の序幕を開けた。と同時に、東アジア各国も近代国家へと邁進していった。この過程のなかで、琉球が日本現代国家の一部となっていくのにつれて、琉球への中国の影響力は弱まっていった。

◇沖縄と日本との心の距離

近代以来、琉球の民衆は日本という「新家庭」のなかでつらいアイデンティティ転換の過程を経験した。日清戦争で清朝が日本に敗れたのを受け、琉球のエリート層は、中国はもはや琉球を助けることが出来ず、彼らの目の前に残る唯一の道は「日本人になる」ことだとわかった。こうした沖縄社会の思想的転換は、「辺境」としてやむをえない選択であり、当時の目的は日本人からの差別を避けようとしたのである。

しかし、希望通りには事が運ばず、第二次世界大戦前の日本社会の沖縄の人々に対する差別は根強かった。双方は基本的に通婚しないし、沖縄を直接支配する県知事は例外なく「中心」の日本から派遣された。

第二次世界大戦中の最も惨烈な沖縄戦を経て、沖縄は日本から「脱出」したが、その「中心」はアメリカに変わった。アメリカによる27年間の支配において、沖縄社会は初期には独立をも要求したが、内心の「日本人意識」がすでに定着していた上に、アメリカ軍が沖縄の民主化に消極的だったため、左派勢力の強い沖縄社会は社会主義の中国と連携せず、むしろ社会運動を起こし、「祖国日本への復帰」を要求した。

歴史は不思議で皮肉なものである。1972年に沖縄が日本に「返還」された後も、厖大な米軍基地は日米安保条約のもとで存続しており、多くの沖縄の人々にとって「返還」は必ずしも日本本土と沖縄との間の不平等関係を解決していないのである。その後、沖縄社会において「日米政府に裏切られた」との意識が芽生え、今日に至っている。

◇「中心」の傲慢さはいつ終わるのか?

沖縄の人々の「中心」への不信感、および彼ら自身の置かれた状況への嘆息は、彼らの日本への微妙なアイデンティティにも投射されている。2007年に沖縄で行なった筆者の調査では、自身の帰属意識に関して、調査対象の4割が「沖縄人」、2.5割が「日本人」、3割が「沖縄人であると同時に日本人でもある」と選択した。

132年の間、沖縄の人々は、時には自分は「沖縄人」と強調したり、時には「日本人になる」ことに努めたりしてきた。こうしたアイデンティティの変化に影響する要因は多いが、現在進行形のものには「歴史認識問題」と経済要素が含まれている。

2007年9月、数万の沖縄の人々が集会を開き、沖縄戦中に、日本軍が沖縄の人々に集団自決を命令した関連記述を削除した教科書の使用を許可した日本政府を糾弾した。多くの沖縄人が、今でも日本政府は沖縄社会に対する基本的理解に欠けており、沖縄人の気持ちを理解していないと見ている。さらに、沖縄は「返還」後、長らく日本政府の財政的な援助に頼っており、いつになるかわからない経済自立の議題も沖縄の人々の自尊心を傷つけた。

疑いもなく、半世紀以上も存在し続けている米軍基地は、依然として沖縄社会と「中心」との心理的距離をつなぎとめる最重要な要素である。沖縄の人々の反対を無視し、日米政府が普天間米軍基地を沖縄北部の辺野古沿岸地区に移転することを強要したことは、まさに露骨な「中心」による傲慢な措置なのである。こうした不平等関係が存在し続けていけば、「メア氏失言」事件は再演を繰り返していき、そのプロセスにおいて、身に降りかかっている日米両「中心」への沖縄の人々の無力感もさらに増幅していくだろう。

◆本稿は『南風窓』2011年第9期に掲載された記事「从“辺陲”看“中心”的傲慢—-沖縄与日美的无奈関係」 を本人の承諾を得て日本語に訳しました。原文は中国語。朱琳訳。

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<林 泉忠(リム・チュアンティオン)☆ John Chuan-Tiong Lim>
国際政治専攻。中国で初等教育、香港で中等教育、そして日本で高等教育を受け、2002年東京大学より博士号を取得(法学博士)。同年より琉球大学法文学部准教授。2008年より2年間ハーバード大学客員研究員、2010年夏台湾大学客員研究員。
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2011年6月1日配信