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エッセイ296:葉 文昌「国内にいては見えないもの」

9年前、私は10年間の日本留学生活を終えて台湾に帰国した。自分の中では車と言えばトヨタ、ホンダ、日産、電機類は日立、東芝、パナソニック、ソニー、キャノンが世界をリードする企業で、台湾が日本に学ばなくてはならないことは多いと考えていた。

だが現実に台湾に住んで感じたことは、Taiwan As No1と思っている人が多いということだ。最初に気付いたのは帰国してまだ一ヶ月もたたない頃だった。私は漁業の養殖技術は日本が最高水準と思っていたが、同僚はそう思わず、台湾こそが世界最高と言い張った。

新聞にもよくTaiwan As No1の記事が載る。帰国して一年程した頃に見た新聞記事が忘れられない。「xx教授が検索エンジンを開発、グーグルより高速に」「xx大学が新薄膜トランジスタ(TFT)構造を開発、プロセスが単純で日韓企業と比べ有利に」。ひょっとしたら台湾はすごくなるかもと思ったが、10年経った今でもグーグルよりもすごい検索サイトは台湾から出てきていない。TFTもその勢力図を変えるとされる技術の出現によって日本勢や韓国勢を打ち負かしたとは聞かない。都合のいい情報に浸かりきれば自分達は世界で最もいい国に生活しているつもりになるのでめでたい話ではあるが、現状に甘んじてしまえば改善の駆動力は失せ、いつしか世界競争から取り残される。

日本にいた時には、日本の技術力は世界で一番と思っていた。しかし台湾の状況を鑑みて、ひょっとしたら日本にいた自分にも同じような思い込みの部分があったのではないかと思い始めた。海外に長く住んでいる日本人の話によると、その国では外国人の匂いが気になるが、帰国した途端に日本人の醤油臭さに気付くそうだ。私も台湾へ帰国した時に日本を客観視することができた。日本に居た頃はプリンターと言えば世の中には日本のA社とB社しかないと思っていたのに、台湾ではアメリカのC社のほうが圧倒的に大きなシェアを持っていた。C社は安く、品質も悪くなかった。また、ある時台湾の大学で7千万円する科学機器購入のため、日米欧の5社にプレゼンをしてもらったことがあった。欧米メーカーが強調するのは、装置部品はモジュール化されているので、学生が安心して部品交換できるということだった。一方、日本メーカーは「専門家が来て調整するので測定精度は高い」ということだった。測定機器の主な使用者は学生や操作員であるので、素人が使っても精度がぶれないタフさは必要である。欧米メーカーは消費者のつぼを押さえてものを作っている印象を受けた。一方で日本メーカーはどこか職人的な感じがした。また欧米メーカーのプレゼンテーターはグローバル展開している中の台湾支社の人員であったのに対して、日本メーカーは代理店のワンマンオーナーであった。正直プロフェッショナルな感じがしなかった。また購入後の保守が不安であった。

ものづくり、匠、職人芸。これらは日本人が拠り所とするいわば伝家の宝刀である。しかしイノベーションを伴わないものづくりは誰にでもすぐ真似できるから、それを拠り所にするのは危険である。戦前と比べて日本人の我慢強さは減っている。「日本人は繊細で根気強いため、ものづくりに適している」と言うが、故宮博物館で中国の古代工芸品を見れば昔の中国人の繊細さ、根気強さ、マニアック度は日本に引けを取らないことがわかる。世界に誇る中華料理は、温度と時間の最適化と素材と調味料の組合せの最適化なので、これは正にものづくりである。ものづくりとしての中華料理は、素材そのものを重んじる日本料理に劣らない。日本人だけが文化的に或いは人種的にものづくりに長けているとは言えない。今後環境さえ整えば周辺の発展途上国のものづくりはすぐに追いついてくると考えた方がいい。実際、パソコンからスマートフォンまで、アメリカのイノベーションとアジアのものづくりが結びついて世界を席巻した例は多い。私は2、3年前からスマートフォンを使い始めたが、それまで日本の携帯技術は世界のトップと思っていただけに、このようなものが台湾メーカーにも作れてしまうことに衝撃を感じた。ものづくりとはこの程度のものだと思い直した。

3月の大震災で日本の多くの工場が操業停止に追い込まれた。その影響で海外の多くのメーカーが製品を出荷できない状況に陥ったと報道された。このことから、「日本製部品は世界で重要で欠かせない」とメディアで言われている。しかし私は同じような報道を台湾で度々見てきた。災害でどこかの工場が被災して海外有名メーカーの出荷に影響が起こるたびに、「台湾製部品は世界でとても重要で欠かせない」と報じられる。中国にしても事情は同じであろう。もちろん日本と台湾が作る部品はレベルが違うかも知れない。しかしCPUのようなオンリーワンでなければ、普通の製品は幾らでも代替が可能であり、主導権は握れない。この話はサプライチェーンがグローバル化しただけの話なのだが、それで「日本のものづくりはすごい」と思う所に台湾と似ているところがあるように思えてしまう。

リーマンショックでアメリカの自動車会社のビッグ3がつまずいて以来、日本ではアメリカのものづくりは終わったという見方もあった。しかし航空機・宇宙産業は今でも健在だし、研究において必要な測定機器や基幹部品は相変わらずアメリカ製がトップブランドを占めている。研究においても、アメリカの学会は世界中から人が集まるのでレベルが高い。従ってアメリカのものづくりは終わっていない。アメリカのイノベーションとアジアのものづくりが組めば、日本にとっては大きな脅威となる。

国内にいては見えないことは他にもある。日本人は自分を「平和好きで温厚な草食民族」とよく自任する。実は台湾でも中国でも自分を「平和好きで温厚な民族」と自任している。尖閣諸島紛争の時にも中国の一般市民がインタビューされて「我々は平和好きである。しかし外国の挑発には屈しない」と答えていた。日本人がそれを聞くと「何て厚かましい国民だ。どこが平和好きだ」と思うに違いない。しかし中国も、日本が戦争を起こした歴史から「何て厚かましい国民だ。どこが平和好きだ」と思っている。どの国民も好戦的な一面はある。だから「自国は草食で平和好き、他国は肉食で好戦的」と捉えるのはおかしい。特に日本では「欧米は肉食、アジアは草食」と例えられている。もしこれらの国が争い事を好まない民族であるとすれば、秦の始皇帝や漢の中国統一も、信長、家康の日本統一もなく、今のアジアは古代からの村落のままで黒船襲来後間もなくして消えていたであろう。尖閣諸島紛争でも同じことだが、どの国も国内では自分に都合のいい情報しか出回らせない。従ってこのような紛争ではどの国民も被害者意識から余計に熱くなり、最悪の場合には暴走する。(ちなみに私は台湾では日本の言い分を、日本では台湾の言い分を言いたがるので、私はどこでも非国民である)。

日本のテレビでは青年海外協力隊の活動が紹介され、発展途上国の人々の為に多くの日本人が献身的に働いていることを知らせてくれる。このような活動は欧米でも台湾でも行っている。だからそれだけでは日本人が特に貢献していると、他人に対して自慢することはできない。更にどの国でも同じだが、自国の美談は報道される一方、醜い部分は海外に長らく住まないとわかってこない。台北には日本人ビジネスマンがよくいく飲み街がある。夜遅くなれば現地の女性を同伴して消えていく。被殖民的で快くは思わないが、私は自由な経済活動であるし経済も活性化してくれるので別にいいと思っている。しかし日本で「買春はODAのような援助活動である」と恩着せがましく主張している知識人がいるように、強い経済を盾に発展途上国に対して物を言うことには傲慢さを感じる。これこそ日本人がアメリカ人に感じている傲慢さであろう。私も大学生の頃にバイトをした時、工事現場のおじさんから「台北に何回も行った事あるよ」と言われ、台北での買春話を延々とされ、台湾の女性達は金目当てだと言われた経験がある。したがってテレビでコメンテーターが言う「日本人は控えめ」とかけ離れている実像も存在し、日本がアメリカに対して感じる強権を、周辺諸国の人々も日本に対して感じていることを受け止めなければならない。(これは当然台湾人の中国や東南アジア人に対する言動にも言えることである。)

人々はその社会の情報に浸かって生きているので、誰もがその社会の常識に囚われてしまう。常識から抜け出す簡単な方法はある。それはその環境から抜け出してみることだ。ご飯を食べる時はお椀を持つのがお行儀と教わったが、韓国に行ったらそれは行儀が悪いことになる。これは表象的なことに過ぎないが、その社会の言葉や風習を理解すればより内面的な常識の違いも見えてくる。自分の常識が通用しない世界があることに気付きさえすれば、あとは自然に想像力を働かせ、何事にももっと謙虚になれるかもしれない。これらは意表をつくことなので刺激的で面白い。私も台湾へ帰国した頃は台湾について無知であった。1年経って徐々に社会が見えてきた。そして日本を離れたことで客観的に世界の中の日本が見えてきた。それは、私が日本に居れば気付かなかったであろう。これもひとつの国際化である。

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<葉 文昌(よう・ぶんしょう) ☆ Yeh Wenchang>
SGRA「環境とエネルギー」研究チーム研究員。2001年に東京工業大学を卒業後、台湾へ帰国。2001年、国立雲林科技大学助理教授、2002年、台湾科技大学助理教授、副教授。2010年4月より島根大学電子制御システム工学科准教授。
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2011年6月8日配信