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エッセイ297:李 軍「車内の風景 こころの風景」

私は小さいころから日本語が好きで、中学一年生の時から二十年近くも日本語を勉強してきた。日本に来た当時はまったく知らない国に来たのではなく、久々に故郷に里帰りしたといった懐かしさを覚えていた。それでも、びっくりしたことが多々あった。最初にびっくりしたのは電車やバスが定刻どおりに来ること、電車の中で「これから先揺れますので、ご注意ください」というアナウンスが流れてくること、「駆け込み乗車」という言葉が存在していること…。

福岡に四年、東京に四年。この八年間、毎日といってもいいほど電車や地下鉄に乗っている私は、電車の中でも様々な発見があって、日本人のこころの風景をこっそりと覗くことができた。

◇風景(一)「はなす」

上京したばかりの時、なぜ東京の人はみんな朝から電車の中で寝てしまうのかと不思議に思っていた。そのうちに東京のリズムが地方と全然違うということが分かってきて、変に思わなくなったが、熟睡した人とその隣の人の様子を観察するのが面白かった。眠った人の中には、いびきをかいたり、口を開いている人もいれば、横に倒れそうで倒れない人もいて様々である。それに対して、その隣に座った人は避けて避けて嫌そうな表情で我慢する人もいれば、嫌がって立ち去っていく人もいる。しかし、どんなにひどい状況であっても、心の中でどんなに嫌がっていても、みんな決して口に出さないし、注意もしないでいる。

私は日中漢字文化の繋がりや大和言葉の特質を研究しているが、このような風景を見るたびに「はなす」という和語の意味合いを思い起こす。「話す」「離す」は異なる漢字が当てられているため、別の言葉として認識されている。しかし、「はなす」という和語の持つ「ものがある事物の中またはその事物の周辺から遠ざかっていく」という根源的な意味合いがそれぞれの言葉の中に共通しており、日本語の国字である「咄(はなし)」も、「心事を口の外に出す」という意味合いに由来すると考えられる。日本人が物事に対してストレートに自分の意見を言わず、「~~よいのではないでしょうか」「私的には~~と思いますけれど」といった曖昧な表現を好んでいるのは、おそらく、直接「話」してしまったら、みんなから敬遠されてしまう、つまり「離」れてしまうことを恐れているのではないだろうか。

◇風景(二)雨のしずく

日本では、雨が降ったときに、みんな車中できちんと濡れた傘を束ねて持つようにしている。ある雨の日、一人の若い女性がたくさんの荷物を抱え込んで乗車してきて、私と隣に座っている中年の女性の前に立つとすぐに携帯を取り出していじり始めた。片手でたくさんの荷物を持っているせいか、自分の傘からゆっくりと雨水が落ちてくることに気づいていない様子であった。その傘の位置はちょうど私と隣の女性の間にあったので、電車の揺れ具合によって、雨水がどちらに落ちてくるか把握できない。私も隣の女性も必死に避けようとしていた。一粒一粒…雨に降られても別にかまわないのに、なぜこんなに気になるのであろうか。幸い、私たちの巧みな水滴回避術によってほとんどの雨水が床面に落ちて、被害はなかったが、電車を降りたときに肩も凝ったし、気持ち的にもすごく疲れた。これも「話」してはだめなのであろうか。

◇風景(三)ごみ実験

日本の電車はとても清潔で乗り心地がよい。たまにごみを捨てたりする不心得者もいるが、いつもきれいに保たれている。ある日、向かい側の座席に丸めた紙のごみが置かれていた。私が乗った時は空席が多かったが、徐々に混んできて、最後にそのごみのある座席だけが残っていた。結論から言うと、少し躊躇して去っていった人が八人、ごみを避けて座った人が二人、最後の人はそのごみを自分のポケットにしまって座っていた。何人もの乗客がその座席の前に現れたり去っていったりしていたが、ただ一人もごみを床面に捨てなかった。日本人は自分のやりたいことを我慢してまで、周りを配慮し、できるだけほかの人に迷惑をかけないようにしていることがよく分かった。

私が最初に日本語に魅了されたのは日本語の美しくて優しい響きであった。だが、本格的に日本語を大好きになったのは日本語の魂に気付いた時だったかもしれない。「言霊」という日本語があるが、「言霊」は文字通り「ことば」に宿っている「たましい(魂)」のことである。美しい日本語は、それを受け入れる人の気持ちをよく考え、理解し、その心を癒し温める力を持っている。一方、不快な言葉を使うと、相手にその言葉の良くない魂が飛んでいくのではないかという配慮で、「しょうがない、我慢するか」「暗黙の了解」という日本人ならではのルールがあるようである。どうしてはっきりと言わないの、ともどかしい時もあるが、これこそ日本、日本人、日本語の魅力かもしれない。こういう考え方に馴染んでくると、車内の風景も、ぽかぽかと地面の生き物たちを照らす春の日射しによって、みんなが暖かく優しい光に包まれているように見えてくる。

(著者の了承を得て、渥美財団2010年年報より転載)

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<李軍(リ ジュン)☆ Li Jun>
中国瀋陽市出身。瀋陽市同澤高等学校で日本語教師を務めた後、2003年に来日。福岡教育大学大学院教育学研究科より修士号を取得。現在早稲田大学大学院教育学研究科博士後期課程に在籍。主に日中漢字文化を生かした漢字指導法の開発に取り組んでいる。ビジュアル化が進んでいる今日、絵図を漢字教育に取り組む新たな試みを模索している。
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2011年6月15日配信