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エッセイ289:林 泉忠「放射能パニックとメディアの責任」

M9.0の大地震によって引き起こされた福島第一原発の放射能漏れ問題がもう二週間以上続いている。その間、香港を含む多くの国や地域は居留民を相次いで日本から退避させ、東京の空港は一時大混雑に陥った。航空券も地震前の4倍の20数万円に跳ね上がった。日本は香港の観光客にとって最も人気のある国の一つであった。毎年3月下旬から4月の桜開花の季節になると日本ツアーがピークを迎える。しかし、今年は香港の幾つもの大手旅行社がまだ出発していない日本ツアーをすべてキャンセルしただけでなく、被災地から遠く離れた沖縄や北海道のツアーを含む4月末までのすべての日本ツアーの受付けを中止した。東京で行われる予定の多くの国際的なビジネス活動も中止か延期となっている。筆者が3月21日に搭乗したワシントン発東京行きのボーイング777の機内には、乗客が半数しかなく、そのうちの大部分は日本人であった。福島原発事故がもたらした「パニック」の中には、一時的に巷の噂になった塩買いだめ騒動もあった。

◇「パニック」は日本人の身に起らなかった。

しかしながら、これらの「日本由来のパニック」が日本人の身に起らなかったという不思議な現象が生じている。これはいったいなぜであろうか。

「日本人はとても冷静である」という解釈が可能であろう。確かに、大地震が発生した後、被災地の人々が冷静に災難と向き合う姿がさまざまなメディアを通じて全世界で報道されており、一時中国、香港、台湾だけでなく全世界に美談として伝えられていた。しかし、もし地震による放射能漏れ問題が確実に人間の健康ないし命に深刻な影響を及ぼすとなれば、いかに冷静な日本人でも極めて危険な環境にとどまって生活を続けようとは思わないだろう。今回の外国人の身に起きた「日本の放射能パニック」は海外メディアの放射能問題に関する大げさな報道と直接かつ密接な関係があるのではないか。

実際、「日本の放射能危機」をめぐる報道を見てみると、多くの海外メディアは日本のメディアと際立った対照を呈していることが分かる。新聞を例にとってみよう。日本の各紙においても放射能漏れ問題をトップニュースとして取り上げているが、見出しにせよ内容にせよいずれも把握している状況に基づき、客観的かつ冷静に報道している。しかし、香港の主要新聞では、例えば3月16日付けの各紙のヘッドラインのタイトルは、それぞれ「末日災禍」(『星島日報』)、「50死士が末日に未来を救う」(『東方日報』)、「放射能大拡散」(『蘋果日報』)、「放射能拡散、東京脱出」(『明報』)であった。これらの記事の内容は必ずしも嘘とはいえないが、一般の読者はその内容をじっくり読むとは限らない。多くの人々は新聞売り場を通り過ぎて、ちらっと各紙のトップニュースを見るだけかもしれない。しかし、人々をはらはらさせる、これらの極めて誇張され人目を引く見出しは、多くの市民をパニックに巻き込む方向に導いただろう。塩の買いだめ騒動はまさにこの人為的なパニックの中の一つのエピソードではないか。もし日本の主要な新聞がこのように報道したら、おそらく多くの日本人もじっとしているわけにはいかないであろう。

◇日本の各紙には誇張的で煽動的な言葉がない

東京電力の福島原発事故への対応には多くの問題点が存在しており、事態に対する説明も言葉足らずで実態が掴めないことは否めない。これも多くの疑惑が生じた要因であろう。これらの問題に対して、日本のメディアが別に寛大であるわけではない。連日、『朝日』『読売』『毎日』『産経』はそれぞれの社説の中で東京電力と菅政権の対応を厳しく批判している。ただ、これらの主要な新聞は決して「大拡散」「大災害」「末日」「殺到」などといったような誇張的ないし煽動的な言葉を使わない。それは、各紙が、被災時におけるメディアの最も重要な役割は確実な情報を提供することであるということをよく分かっているからである。その情報に基づき、問題を解決する最良の方法を社会が見出し、市民の不安を最小限に止めることができるだろう。

ビジネス社会に置かれている新聞などのマスメディアは、現代社会の情報を発信する重要な媒体となっている。各自の位置づけに基づき読者を満足させるような報道を作り出すことは非難すべきではないかもしれない。風もなければ波も立たないような平常時には、誇張した報道が「全体の差し障りにならない」かもしれない。しかし、災難に遭遇した時期には、メディアは報道そのものによって不必要な社会パニックをもたらすことを避ける責任がある。

◇災難に遭遇した時に、メディアはどのような役割を果たすべきか?

かつて香港もSARSのような大きな社会不安を引き起こす出来事を経験したことがある。当時、情報があまり透明ではなかったし、政府も意図的に問題を矮小化しようとしていた。メディアは真相を暴き出すような積極的な役割を果たしていた。ただ、幾つかの主要なメディアは誇張した言葉を用いて、憶測に基づいた情報を大々的に報道していた。ひとたびパニックになると、市民はエレベーターのボタンを押すのも怖くなったし、地下鉄やバスの中で誰かが咳をしたらすぐに避けてしまう。香港行きの飛行機やレストランなど、一時誰も足を運ばなくなったし、多くの国際的なビジネス活動が中止となってしまった。事後、世界保健機関(WHO)のデータによれば、SARSが直接に病気を引き起こし命を脅かす度合いは、せいぜい毎年世界で発生している多くの伝染病の一つ程度にすぎない。しかし、人為的なパニックによってもたらされた多大な経済損失は想像以上のものであった。これは疾病そのものの影響の度合いとは正比例しない。

SARSが与えた教訓は、今回の香港および他の地域のメディアの福島放射能漏れ問題に対する報道方式に反映されていないようである。災難に遭遇した時、如何に人為的なパニックを避けるか。メディアがどのような役割を果たすべきかを深く考えなければならないであろう。

*本稿は『明報』(香港)2011年3月31日に掲載された記事「日核恐慌與媒體責任」を本人の承諾を得て日本語に訳しました。原文は中国語。李軍訳。原文は下記よりお読みいただけます。

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<林 泉忠(リム・チュアンティオン)☆ John Chuan-Tiong Lim>
国際政治専攻。中国で初等教育、香港で中等教育、そして日本で高等教育を受け、2002年東京大学より博士号を取得(法学博士)。同年より琉球大学法文学部准教授。2008年より2年間ハーバード大学客員研究員、2010年夏台湾大学客員研究員。
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2011年4月8日配信