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エッセイ290:カバ 加藤 メレキ「中東の民主化とトルコ」
最近のトルコのメディアが注目していることは大きく三つ挙げられる。まずは国内政治、次には中東の複雑になってきた政治状況、そして日本の大震災である。その中でも地理的、歴史的そして宗教的な諸関係からすると、中東で起きている民主化の動きが極めて重要である。
ここでは、トルコの政治家のレベルよりも、一般人の認識の中で、中東の最近の動きはどのように位置づけられているかを考えたい。
まず、エジプトやリビアを始め、アラブ諸国とトルコの関係を知る必要がある。先ず地理的に見ると、トルコは南にシリアとイラク、東にイランと国境を接している。エジプトやリビアは、地中海を挟んで、トルコの南に位置している。陸続きにアラブ諸国と繋がっているトルコにとって、中東における様々な動きは他人事ではない。
そして歴史的な観点からすると、トルコの過去にオスマン帝国の存在は大きいものであるが、その国境は地中海を囲んでいた時期がある。例えばリビアやエジプトは16世紀にオスマン帝国に併合された歴史がある。そのような歴史的な背景から現在のトルコ語は、アラビア語から入ってきた言葉が極めて多い。例えばムバラック元大統領の名前の「ムバラック」はトルコ語で今でも「おめでとう」という意味で日常的に使われている言葉である。
さらに、トルコでは、同じイスラム教徒という考えから、アラブ諸国の人々に対して、「兄弟」という認識もある。こうした地理的、歴史的、宗教的そして文化的な背景から、アラブ諸国はトルコにとって単なる隣国以上の様々なつながりを持っている相手である。とはいえ、トルコとアラブ諸国の関係は20世紀の第一次世界大戦前後から途切れてしまったのだが、それは最近また回復している。例えば、シリアとトルコを繋ぐ鉄道が最近動き出だしたし、この両国の間ではビザなしの移動も可能になった。
トルコのステレオタイプ的なアラブ人イメージをまずここで確認したい。現在30代から40代のトルコ人にとって、それは、白いヴェールを被った、石油王者の男性である。(なぜか、アラブ人女性のイメージは薄い存在となっている。)そうした男性はトルコ映画の中の「アラブ人」であって、金銭的に恵まれているが、単純な人間というイメージである。トルコの東にもアラブ人が住んでいるのだが、それにしても、トルコ国外からのアラブ人は、トルコの町の風景の中では極めて少ない存在である。
最近のエジプトとそれに続く中東の民主化の動きの中でも、現在国際社会を動かしているリビア情勢に関しては、トルコ国内でも緊張感が高まっている。トルコの世論では、中東で問題となっている国々の民主化は一日も早く実現すべきと見なされている。言い換えれば、中東諸国の民主化は、極めて遅れているという見方である。
例えばエジプトのムバラック元大統領は、現在30歳前後のトルコ人にとって、幼い時から「当然」エジプトにいる存在であった。それを疑問視できないほど、ムバラックの存在は、エジプトの風景の一つであった。ムバラックという権威がなくなったことは、トルコ人にとっても、当然だと思われてきた物事を改めて「当然なのか」どうかと考えるきっかけとなった。
問題となったのは、2万5千人のリビア在住のトルコ人の引き上げであった。この問題からも窺えるように、現在多くのトルコ人がアラブ諸国に留学や仕事のために滞在している。トルコ人の避難のために、数回に渡って運搬車両をリビアに送り、そこにいるトルコ人が帰国できるようにサポートした。彼らの帰国後の生活支援もトルコの一つの課題である。
しかし、トルコの一般の人々が、現在問題となっている中東の国々に関して持っている一般常識のレベルはそれほど高いものではない。あるお笑い番組のアナウンサーが、町の貧困層を対象に行ったルポルタージュがネット上で公開されている。この動画は頻繁に好評されている。その内容は、街路を歩く人々に訪ねた「カダフィは誰ですか?」という質問に対する返事である。人々は「宗教学者じゃないかな?」、「アラブ人だろう」、「昔の仙人の名前かもしれない」、「リビアの王様の息子の名前だと思います」、「さあ、よく知りません」などである。この番組は2011年3月中旬のものであるが、それ以降の報道などによって一般人のリビアに関する知識がより増えているかも知れない。
大学生レベルのインターネットの掲示板などを見ると、一方では、中東の民主化が遅れていることを極めて熱心に議論する傾向がある。彼らにとって、「ムバラック」「カダフィ」などの名前は「恐竜」であるとされている。この「恐竜」という言い方には、既に時代遅れになっているという意味合いが加えられている。さらに特に「カダフィ」のセクションをみると、彼の国民に対する独裁者的な姿勢を、トルコの若者たちは激しく非難している。
一方では、中東におけるアメリカの政治的な存在をますます懸念するトルコ人もいる。彼らにとって、こうした中東の現状は、世界の強い国々が石油を獲得するための「八百長問題」である。その意味は、中東が混乱していれば、支配して石油などを手に入れることが容易になるから、西洋の国々が中東の紛争を後ろでサポートしているという見方である。
国際社会がリビアの市民の安全を懸念して動き出した現在、トルコ政府もこの動きに加担する考えを発表している。トルコ市民やビジネスマンから、特にリビア市民に対して物質的な支援をする動きが始まっている。トルコ人にとって、中東に平和が来るのが待ち遠しい。しかし、それが簡単には実現しない理想であるという現実にトルコ人は心を痛めているのである。
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<カバ 加藤 メレキ ☆ Melek Kaba Kato>
比較文学・文化専攻。筑波大学大学院生。現在19世紀の西洋人の日本イメージを中心に研究活動。
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2011年4月13日配信