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エッセイ291:李 彦銘「原発危機への対処をどう見るか:二つの「異質論」への危惧」

3月11日の大震災から一か月、余震がまだまだ続くなか、放射能が引き起こした不安は必ずしも減少していないが、長期化するに伴いそれほどパニックになることでもないようになってきた。もちろんこれは、東京に住む私の体験に基づいた話であり、各地で状況は異なるであろう。

しかし、一か月前は違っていた。フランスをはじめ、アメリカやイギリス、シンガポールなど、多くの国の政府は日本政府が発表した半径20キロよりはるかに広範な範囲を設定し、自国民に避難や退避の勧告を出していた。さらに、大使館や新聞社などが主要機関を関西に移転させたり人員を帰国させたりする動きも顕在化し、あたかも東京は危ない、パニックはすでに起こっているという印象を与えた。三連休の間に東京在住の人々も西へと避難し、大規模なパニックが起こるのではないかと私は心配した。しかし実際にはそれ以上の事態は発生せず、「日本人はパニックにならなかった」ように見えた。外国人から見れば不思議であった。

なぜパニックは起こらなかったのだろうか。やはり日本人が特別に冷静だからか?ではなぜ外国人の中だけでパニックが起こったのか。やはり外国人は日本人と違うからか?

このような単純すぎる答えに疑問を感じながら、私は21日に北京に向かった。前から予定していた資料調査のためだったが、友人や知人みんなに「避難」だと揶揄され、おいしい食事をいただきながら、「放射線を持ってきていないよね?」と冗談を言われた。この言葉は以前誰かにも言われたことがある気がして、なんだか妙に懐かしい気持ちになった。

よく考えてみたら、それは2003年の夏、SARSが中国で流行した時期のことだった。人の移動がウィルスの蔓延を手伝うので、対策として北京はゴールデンウィークに入ってから実質上隔離された(記憶ははっきりしていないが、鉄道での移動は難しかったが、自動車や長距離バスは走っていたような気がする)。私も大学の呼びかけに応じ、大学の宿舎に留まり外出を控え、実家には帰らなかった。6月24日に世界保健機関(WHO)が北京に対する旅行延期勧告を解除し、流行地域指定リストからも外した。その後夏休みになってようやく実家に帰れた。その時に暖かく迎えてくれた友人たちは、同じように「SARSを持ってきていないよね?」と冗談を言ってくれた(このジョークのセンスに戸惑いを覚える人がいるかもしれないが)。

この2つの危機を比較するのは、妥当ではないところも多いだろうが、個人体験としては歴史の重複のような感じが強かった。

まずは危機に関する報道の国内外の格差である。SARSの際は、北京市政府・中国政府の最初の情報公開が悪かったために、3月の時点で却ってパニックを引き起こし、人々がデマや噂で動いた。しかし4月20日に衛生部長と北京市長がSARS対応と情報公開の遅れに責任を持ち事実上解任されてからは、対応体制が急激に好転した。にもかかわらず、海外ではすでに「中国政府=情報隠ぺい」のイメージが広がり、「北京封鎖」、「北京ゴーストタウン」とまで報道された。海外メディアの中国政府に対する信頼度が極端に低かったのである。

これは今回の東京の状況にも共通すると言える。海外メディアは東電の情報隠ぺいや日本政府の危機管理能力を一旦問題視すると、日本政府の対策すべてに不信の目を向けた。危機の中における海外メディアの報道は、基本的にはこのような図式で動いた。ここには、行政システムや国内政治の細かい変化を観察し、それを簡潔に一般市民に伝えるのが非常に大事なことであるのに、それはおそらくメディアに求められる役割ではないという落とし穴あるいは矛盾が存在している。

次に共通するのは、外国人の脱出である。東京での外国人の脱出ぶりは前述の通りだが、残るか残るまいか、大好きなあるいは長く生活してきた日本と運命をともにするかどうかと、相当深刻に悩んだ外国人が多くいた。北京SARSの場合は、外国人を取り上げるニュースがあまりなかったのでその心理状況を確認できないが、留学生や駐在員の帰国ラッシュは確かに起こり、日本を含めて各国政府も帰国勧告を出していた。各大学の留学生もほとんど帰国した。政府の立場から国民を守るために勧告するのは当然なことであるが、個人にとってはなかなか難しい心理的な判断である。ただ、より安全なところに避難したほうがいいというのは人間の一般的な判断なので、脱出したからといって残った人と「異質」とはいえない。

最後に、危機の中に長く生活した人々、残った人々の反応である。日本人が特別に冷静であることや日本人の死生観や文化に対する解釈として、日本が島国であるためだとか、常に危険な自然環境にさらされていて特殊な部分があるためだ、などがよく挙げられる。文化的な要素を否定するつもりはないが、こうした見方は日本人の特殊性を過大視しているのではないかと私は考えている。SARSの際の北京においても、4月にあれほどパニックになってマスク・白酢などいろんな物資を買い占めた人々が、事態が長期化するにつれて驚くほどに冷静になり普通の生活に戻っていった。逃げ場がないからしょうがないと考えた人もいただろうし、逃げても結局は北京に戻らないといけないと考えた人もいた。その理由はさまざまだが、逃げないと決めた以上、ここで普通に暮らしていくと腹を据えたほうが心の負担が小さくなる。この意味では、いまの東京とあのときの北京では同じことが起こっていて、日本人は大変特殊でもなければ「異質」でもないだろう。

なぜわざわざこのような比較をするのか。今、日本人は、地震や災難の中でも「冷静」で「資質が高い」と世界中から高い評価を受けている。しかし、こうした評価の土台は相変わらず「特殊論」であり、それは80年代の「日本異質論」と共通する部分を持っている。かつて「日本的経営」や日本文化が善につながったり悪につながったりして、日本に対する評価が当時の国際背景に翻弄された。原発問題の長期化や今後の対処によってこれから世界が下す評価はまた変わるかもしれない。だから異質論を土台にした議論には単純に同意できない。世界各国が今日のようなグローバルな危機に対処していくには、日本との協力が必要で、今回の危機をめぐる日本政府の行動様式、日本社会の行動様式に対する正しい理解がなおさら必要とされる。

また言うまでもないが、外国人が「異質」である論調にも危惧すべきである。ますます世界を必要としている日本にとって、閉鎖感につながる価値判断は慎重にしなければならない。また、日本の考え方を分かりやすく世界に対し説明することも求められる。この役割は日本の有識者に期待したい。

p.s. 日本政府がどこまで情報を隠ぺいできるかについて、私は深い疑いを持っている。この問題は政治体制そのものにかかわる問題である。民主主義体制では情報隠ぺいがありえないとは言わないが、昨年学界および政界を賑わせた「日米密約」問題を想起すると、有識者委員会が当時の公文書を綿密に検証し、結論として「広義の密約があった」と報告したことには大きな意義があった。つまり、日本の安全保障と同盟関係という最も機密度が高い分野においても、国民がきちんとチェックするルートがあるということを証明した。このような体制の下で、原発問題についてたとえ隠ぺいが行われても、事後に明らかにされる可能性が高い。その時に問われる責任を考えると、隠ぺいのコストの方がよほど高いだろう。

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<李 彦銘(リ・イェンミン)☆ Yanming LI>
国際政治専攻。中国北京大学国際関係学院卒業、慶應義塾大学にて修士号取得した後、現在は同大学後期博士課程在籍中。研究分野は日中関係、現在は日本の経済界の日中関係に対する態度と影響について博士論文を執筆中。
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2011年4月27日配信