SGRAかわらばん

エッセイ286:マックス・マキト「僕たち大丈夫だよ」

家族のみんなへ

マニラやトロントやアルバータから電話やメールをありがとう。
大地震が起こったのは、フィリピン大学のベンジ先生とボニ先生を案内して、名古屋駅の周辺を観光しているときでした。驚いた先生たちを安心させるために、ビルの出口に立たせて、「この程度の揺れならば日本は大丈夫だよ」と二人を落ち着かせました。地震が去ったあともそのまま観光を続けたけど、先生たちは前の日から結構歩いて疲れていたので、暗くなる前にホテルに戻ることにしました。地下鉄に乗る前に、SGRAの平川先生から携帯に連絡がきて無事を確認し合いました。「大変なようだ」という先生の言葉にもあまり動じませんでした。でも、ホテルに戻ってテレビをつけたら、事態の深刻さがわかりました。すぐに携帯メールでフィリピンにいる僕と先生たちの家族に無事であることを伝えました。家族から、友達から、フィリピン大学の先生たちから、「フィリピンも列島国ですから同じような災害が起こるかもしれません。フィリピンにいる人たちは、日本とフィリピンのために跪いて祈っています。」というようなメールが殺到しました。

大地震の翌日、予定通り、名古屋大学で「アジアにおける製造業の持続可能な共有型成長に向けて」というテーマのワークショップを開催しました。最初に平川先生の誘導で黙祷をしました。発表者全員が日本のことを心配しながら、力を入れて発表しました。そのときに、福島原子力発電所一号機の爆発のニュースがはいってきたので、フィリピンでは数年前に市民の大反対を受けて原子力発電所の建設が途中で中止されたという話もでました。翌日、フィリピン大学の先生たちを中部国際空港へ見送りに行ったけど、思ったより空港は落ち着いていました。その後、すぐに復旧した東海道新幹線のなかで翌週の授業をどうすればいいか悩みながら東京に戻りました。

家に帰ってニュースをよく見ると、日本の大変な悲劇は始まったばかりで、この数日間に震度7の余震が70%の確率でやってくる、計画停電も実施されることがわかりました。月曜日の朝、春学期中の大学のインターネット掲示板を確認したけど授業中止の通知は見当たらなかったので、学生たちに僕の授業のために大学に来なくてもいいというメールを送りました。その数時間後、大学は授業を全面的に中止し、教員や学生たちの避難のために香港行きの飛行機や関西行きのバスを手配したことがわかりました。その後も授業の再開を何回も延期して、今のところ暫定的に4月4日からと決められています。  
家族のみんなからは、日本を避難するように言われたけど、僕は東京に残ることにしました。それから毎日、みなさんの心配を少しでも減らすために、一番早く事態を整理して報道したフジテレビなどで情報を拾って英訳し携帯から送信しています。

巨獣がついに目を覚ましたのです。半世紀以上も力を蓄えていた深い眠りから。3000キロも離れた島国フィリピンまで聞こえた唸り声を東北沖の海底から轟かせ、広大な地域に住む人々を無差別に何回も襲いました。住民たちも勇敢に立ち向かいました。サイレンを鳴らしながら、「襲来だ!皆さん早く逃げてください!」という警告は、巨獣が着岸するまで続きました。巨獣を退治するため、町を守るための砦に配置された役人や消防士と共に、その警告を続けた若者の命も奪われました。警告を聞いて高台に避難できた住民たちは固唾を呑みながら見ていました。巨獣が町の砦で押さえられたのを見て「大丈夫!大丈夫!」と言っていたのに、それが間もなく「越えた!越えた!」という悲鳴に変わりました。町を壊滅して巨獣は去りました。しかし、その唸り声は今でもたまに遠くから聞こえてきます。巨獣の毒がこの島国に残り、今でもさらなる被害を起こしています。毒を吸い取るためにこの島国に住む人々皆が手を繋いで必死に戦っています。

当分の間は大変でしょう。でも、繰り返しますが、この程度の被害なら日本は大丈夫だよ。必ず復旧する。今、日本をどのような国に復旧させるかを検討するきっかけが与えられていると僕は思っています。僕をガッカリさせた失われた数十年間の日本に戻るのか、僕が愛する戦後復興期の日本に戻るのか。第二次世界大戦が終わった時、日本の製造業の能力の約90%は破壊され、物資不足は深刻な問題でした。原子爆弾の投下により25万人が亡くなりました。しかしながら、その後「東アジア奇跡」と呼ばれるほど、日本は著しい復興を実現しました。しかも戦争の焼け野原から登場したのは、僕を含む大勢の地球市民を魅了した数多くのヴィジョンだったのです。平和憲法、非核3原則、そして僕の研究テーマである(持続可能な)共有型成長などです。

今回、日本本土に襲来したのは、外国の軍隊ではなく、日本の古くからの敵であるあの巨獣でした。その戦いの爪跡から、新しい平和憲法、新しい非核3原則、新しい持続可能な共有型成長など、新しいヴィションを誕生させてほしいと僕は願っています。自衛隊や民間の防災機能を強化することによって、日本やアジア諸国のように地震や津波に弱い地域の住民の生命や財産を守る新しい平和憲法。原子力発電エネルギーを根底から見直す新しい非核3原則。そして、この地震で示されたのは分散を図る分業が必要だということだと思うので、東アジアの国際分業と安心で安全な環境を促進する新しい持続可能な共有型成長です。このような新しい日本を想像するだけで僕の胸はドキドキします。復興へどの道が選ばれるのか今はまだわからないけれど、僕はこの悲劇を無駄しない日本の人々の強い決意や智恵に賭けたいのです。

これからも東京とマニラを行き来しながら日本を研究する僕を支えてください。

この文章の英語版は下記URLからご覧いただけます。
English Version: “We Can Take It

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<マックス・マキト ☆ Max Maquito>
SGRA日比共有型成長セミナー担当研究員。フィリピン大学機械工学部学士、Center for Research and Communication(CRC:現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、アジア太平洋大学にあるCRCの研究顧問。
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2011年3月30日配信