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エッセイ283:シム チュン キャット「日本に「へえ~」その7:すみません、ちょっとわからないのですが...」

もう「へえ~」どころの騒ぎじゃありませんね。「おお~!」というか、「おおおお~!」ですね。3月11日に起きた千年に一度の巨大地震、それによって引き起こされた巨大津波、また被災規模の大きさ、そして何よりも被災された皆様の無念さ、苦痛と悲しみの深さを考えると、どんな言葉も無力で意味を成さない感じがします。国にいる家族や友人からの心配の電話やメールに対する、「僕は無事です」「東京は大丈夫です」「帰る必要はありません」などの返事さえも、避難所の人々が置かれている過酷な状況を思うと、なぜか軽く聞こえ、心配してくれる相手の気持ちをわかっていながらも、心の中に「東京はいいだろう!東京は!」と叫びたくなる無礼な自分がいます。そして、今はエッセイなんか書いている場合でもないかもしれません。「えっせい」という響きがこんなにも軽量だったのかと思ってしまうほどです。でも、こんなときだからこそふっと思い出したのが、「有事のときにこそ普段のように無事に生活することが大事」という、その昔僕が国家公務員をやっていた頃にイスラエル人の災難対策指導官に教わった言葉です。(なぜ天災のほとんどないシンガポールで災難対策が必要なのかはまた後日に。)ということなので、平常心やこれまでの生活リズムを取り戻すためにも、反感を買うかもしれないということを承知のうえで、いつものように自分らしくエッセイを書かせていただきたいと思います。テーマは恐怖のあの日以降、僕が「ちょっとわからないのですが...」とつい首を傾げてしまったという小さなことについてです。

まず、なんといっても震災被害に追い討ちをかけた福島原子力発電所の事故ですね。もちろん、今回の地震の巨大さが想定外だったとはいえ、起きてはならない事故であることは言うまでもありません。しかしあの強烈な地震で前後左右に揺さぶられたはずにもかかわらず、発電所の第一号機から第六号機がすべて倒壊しなかったことに最初不謹慎にもちょっと驚きを覚えてしまったのは僕だけでしょうか。日本の建物の耐震性能の高さを改めて認識させられました。それから、これとは別に、事故発生直後「格納容器」「核燃料棒」「炉心溶融」「メルトダウン」など普段では聞き慣れない仰々しい言葉が次から次へと学者や専門家の口から飛び出たわりには、対策が「放水」だったことにも驚きました。原発のことはちょっとわからないのですが、対策が地味というか、素朴なのですね。

それはさておき、被曝の恐怖の中、最後まで命懸けでその放水活動に携わった東京消防庁の隊員たちには、いくら帽子があっても脱帽しきれない気持ちでいっぱいです。隊長さんたちが記者会見で見せたあの涙には本当に感動しました。それに、会見でのあの説明のわかりやすかったこと!なんとかの不安院、もとい保安院の偉い方々にはぜひ見習ってほしいものです。なぜならその保安院が行った会見の中に、「これって日本語?」と思わず自分の耳を疑ってしまった場面が多々あったからです。しかも、中には頭も上げずにぼそぼそと説明文を読んでいるだけという役人もいたりして、僕が下宿している家の日本人のお母さんまで「この人、フランス人?」と真顔で聞いてきたこともあったぐらいです。電力会社や現場の作業員とのコミュニケーションがどうなっているのかはちょっとわからないのですが、社会の平安・安全を保つことがお仕事なら、もう少し一般人にもわかるような説明をしていただかないと、逆に不安と混乱が広がるばかりだというのです。その一方で、ぼそぼそと説明する保安院の役人に向かって、ときどきヤクザみたいに乱暴な口調で質問を浴びせる記者たちのやり方がどのように事態を好転させられるのかということもちょっとわからないのです。

あと、今回の東日本大震災に対して「やっぱり天罰だ」と発言した政治家の心持ちがちょっとどころか全然わからなければ、こんなときにプロ野球セ・リーグが早々と開幕を決定したことについてもちょっとわからないのです。ある日本人の友人の言葉を借りれば、それは「野球試合をやるんで、皆さんこれまで以上に節電をしてくださいね」と言っているみたいなことです。因みに、野球ファンであるこの友人も早期開幕に反対です。もちろん、冒頭でも言ったように「有事のときにこそ普段のように無事に生活することが大事」ではあります。「選手は野球が仕事」という言い分もわからなくはありません。でも門外漢であることを承知で言わせてもらうと、チャリティ試合ならともかく、2つのプロチームが戦って最後に勝負がつくことで被災された皆様がどう「勇気づけられる」のか、そのメカニズムがちょっとわからないのです。東北出身の高校球児たちが甲子園でがんばる姿のほうがよっぽど被災地を元気にできるというものです。

赤道直下にある祖国のシンガポールがなぜ自国の空気中の放射能濃度を測定し始めるのか、近所のおじいさんがなぜお米やトイレットペーパーだけでなくお酒まで大量に買いだめしたりするのか、わからないことや書きたいことはまだありますが、そろそろキーボードを打つ手を止めたいと思います。足りない頭をひねり、日本にとどまる外国人の一人としてこれから自分に何ができるのかということを考えながら、あの日以降一滴のビールも口にしてないという自分の最長記録を伸ばしつつ、皆様からの意見や批判および寄稿を心待ちにしたいと思います。

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<シム チュン キャット☆ Sim Choon Kiat☆ 沈 俊傑>
シンガポール教育省・技術教育局の政策企画官などを経て、2008年東京大学教育学研究科博士課程修了、博士号(教育学)を取得。日本学術振興会の外国人特別研究員として研究に従事した後、現在は日本大学と日本女子大学の非常勤講師。SGRA研究員。著作に、「リーディングス・日本の教育と社会--第2巻・学歴社会と受験競争」(本田由紀・平沢和司編)『高校教育における日本とシンガポールのメリトクラシー』第18章(日本図書センター)2007年、「選抜度の低い学校が果たす教育的・社会的機能と役割」(東洋館出版社)2009年。
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2011年3月23日配信