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エッセイ279:ホサム・ダルウィッシュ「最近のエジプト情勢についての所見」

数十年に亘る抑圧と支配を経て、エジプト人たちはやっと現支配体制に対抗して立ちあがった。彼らは悪化の一途をたどる自分たちの苦しい状況は、現体制の本質に起因することに気づいたのだ。その体制とは、貧困や不正、治安当局による人権の侵害、そしてエリート階層に於ける縁故主義によって国家を腐敗へと導いた体制である。

2011年1月25日の抗議運動の勃発以降、エジプトは歴史上もっとも重要な出来事を経験してきている。興味深いのは、この1月25日という日が、エジプトの警察がイスマイリーヤで英国の植民地支配に抵抗して戦ったことを記念して制定された「警察の日」であることだ。しかし、2011年の同じ1月25日に勃発した抗議運動は、警察による度重なる人権侵害に抗議すべく始まったものである。これは偶然と言えるのだろうか。人々はムバーラク大統領の支配とその政権の即時退陣を要求してきた。抗議運動を始めたのは、過去20年間に積み重なる経済的・社会的苦難を忍び、国民を守るという国家の役割が衰退していくのを見て来た中流階級の高学歴の若者たちである。国家の役割が衰退した原因は、富裕層と政治権力の結びつきにあり、これにより汚職が蔓延し、貧困と失業が拡大した。

この抗議運動の引き金を引いたのは若者たちであったが、すぐにエジプト中のあらゆる社会を巻き込んだ。抗議活動は2011年1月28日の「怒りの金曜日」にクライマックスを迎え、数百万人が抗議デモに参加し、ムバーラク体制の退陣を要求して、エジプト中の通りを行進した。翌週の金曜日の2月4日は、「ムバーラクが去る日」と名付けられ、再びムバーラク大統領退陣要求を強めるエジプト人で街が溢れかえった。

今回のエジプトにおける抗議運動の性格は、2000年から2010年にかけてエジプトで起こった抗議活動とは全く異なる。このときの抗議運動は、主に賃金の改定と経済・政治改革を求めるものだった。しかしながら、今般の抗議運動は過去の抗議運動と以下の観点で異なる。

(1) 第一に、地域的に考えると、エジプトの人々はチュニジア革命にインスピレーションを受け、政治的な権利と自由を要求し、国の腐敗と縁故主義に終止符を打つことを求めて抗議運動を起こした。とは言え、地域的な問題が抗議運動勃発の原因となった訳ではない。

(2) 第二に、抗議運動は主に国内問題に起因していて、地域問題や米国やイスラエルの政策といった国際問題とは無関係である。今回エジプトで起きたことは、1979年の「アメリカとイスラエルに死を」といった地域的・国際的勢力に対するスローガンを掲げ「シャー」の没落に繋がったイラン革命とは異なる。エジプトに於ける抗議運動の真の関心事は、階級や宗教的背景とは関係のない純粋なエジプト市民の国内問題で、アメリカの政策やパレスチナ問題のような地域的問題とは関係がない。今回の抗議活動の市民的特徴として、かつてエジプトの政治を特徴付けてきたイデオロギー的な分水嶺を、エジプト人が越えたことを示している。イデオロギー的なレトリックが無いことが、エジプトの若者たちによる動員を促進した。若者たちがインターネット上で、そしてエジプトの街頭で数百万人の人々を動員することに成功したことは、彼らがエジプトの全ての人々に語りかけ、エジプトの全ての人々のために語ることができることを証明したのである。

(3) 第三に、エジプトのあらゆる地方で今、人々が求める変革は、社会・経済的な改革と政治的な改革を合わせたものである。これは1952年にエジプトが共和国となって以来、エジプトの抗議運動としては極めて珍しい。このような新しい抗議運動が生まれた背景には、エジプトの人々が、自分たちの社会・経済的状況の悪化の背後に政治の腐敗があるということにより意識を強めたことがある。街頭での抗議運動をこれまで12日間続けられたことは、エジプトの人々が、未来への願いをかなえるためには本格的な政権交代が肝要であり、それが唯一の方法であると確信するようになったことを明確に示している。

チュニジアとエジプトの革命の重要性は、恐怖心に打ち勝ち、多くの学者たちによってアラブ世界における「永続的かつ安定的な独裁体制」と呼ばれたエジプトの独裁体制に立ち向かうことのできる若者たち(他のどの組織された政治勢力でもなく)の力にある。学者達は常に、このような永続的な独裁主義的政権は、エリート層の連合に対する劇的な変革が行われない限り、変化は決して起きないと信じていた。しかしながらチュニジアとエジプトの人々は、変革が底辺から起こりうることを証明した。エリートではなく一般大衆による本質的な改革の要求というこの新しい現象は、抗議活動を勢いつかせた若者たちの役割にその特徴がある。合法的反対勢力(ムスリム同胞団は非合法化されている)のどれもが、今回エジプトで見られたような、前例のない数の、あらゆる職業のエジプト人を街頭に駆り出せなかったことは、抗議活動に参加した若者たちが将来のエジプトを切り開いて行く際、より幅広い国民参加を作り出す力があることを明確に示している。

今回の抗議運動の未曽有の力によって、発生から10日もたたないうちに、ムバーラク大統領は、1981年大統領に就任して以来、初めて副大統領を指名し、内閣を総辞職させ、新内閣を組閣し、2011年9月の大統領選には出馬しないことを宣言し、2月5日には次男を与党の重要ポストから事実上解雇し、そしてムバーラク自身、2月6日に与党国民民主党の党首を退くことを余儀無くされた。

別の言い方をすれば、ムバーラクがこれまでの10年間準備して来た父から息子への権力移譲のシナリオは、革命を先導する7百万人の抗議者の目前で瞬時にして消え去った。しかしながら、与党の党首を辞任したことは、大統領の職を辞することを意味するわけではなく、むしろ体制のトップを入れ替え人々の怒りを吸収し、ムバーラク自身が出来るだけ長く権力の座にしがみつくことを目指している。

しかし、ここで我々は、抗議活動を行った後に現行政権下で交渉をする抗議活動と、今回のように現在の政権の指導部と重要人物たちを引きずり降ろし、本格的な変革を求める革命的抗議運動を区別しなければいけない。今回の抗議運動は継続する一連の抗議活動であり、ムバーラクと彼の政権が権力の座にしがみ付いている限り続くと見られる。

ムバーラクと現行政権と同じ側に立つことのリスクを上げることで、エリート層とビジネス界、そしてさらに重要な軍との同盟関係を転換させるには、エジプト社会のあらゆるセクターを抗議運動に取り込むことが重要である。そして、そのためには、エジプトの街頭で繰り広げられる統合された妥協の無い抗議を繰り返すことが必要である。妥協のない抗議運動によって軍が抗議者側につくことを余儀無くされた場合、我々は安定した権力の移譲を見るだろう。しかし、それは必ずしも民主的なものにはならないだろう。

軍を周縁に追いやったチュニジアのベン・アリと異なり、革命を弱体化させるためにムバーラクがとった最初の手は、軍部と密接に繋がった力のある人物を要職につけることだった。ムバーラクは、まず、総合情報庁長官を務めていたウマル・スレイマーンを副大統領に、次に航空相のアフマド・シャフィークを首相に任命した。チュニジアでは軍が民衆の側に立ったが、ムバーラクは、軍と繋がりのある人物を要職に任命することで、軍が彼に敵対しないようにすることを狙った。また、抗議活動を暴力的に鎮めたり、無政府状況を作り上げて民衆を孤立させ、政府が繰り出す暴漢らに立ち向かわせたり(過去、国会議員の選挙中、投票を妨害するためにそのようなことが実際に起きた)する次の計画の際に、軍が中立を保つようにすることを狙っていた。ムバーラクがとったこのような対策の全てが、政権の生き残りをかけて、本当の変革を要求する支持者たちの気を紛らわせ、その要求を風化させることを狙ったものであった。 

ムバーラクが抗議者たちの要求を鎮めるためにとった二つ目の作戦は、エジプトにおいて最も組織化された非合法で社会・政治的な反対勢力であるムスリム同胞団を、抗議運動を扇動したとして批判することだった。そして、現政権に取って代わるとすれば、それは西側諸国とイスラエルの双方に敵対的なイスラーム主義国家しかないと西側諸国にアピールするために、ムスリム同胞団の幹部を大量に逮捕したのである。

しかしもう一度今回の抗議運動をよく見てみると、ムスリム同胞団は指導的な役割を果たしておらず、抗議者たちの大多数を代表しているわけではないことに気付く。エジプトの革命的な変革の危険性をイランと比べるのではなく、トルコに目を向けるべきであろう。トルコでは政府の役人の大多数がイスラーム主義者であるが、憲法と民主的な規範の上に成り立ち、社会を構成する全員が公正で自由な選挙に参加することができる。

もうひとつ指摘しておきたいことは、チュニジアやエジプトの変化を黒(権威主義)から白(民主主義)への変化という枠組みでとらえるべきでないということだ。むしろ、黒から、右派から左派までを含む政治勢力の全てを代表するような様々な色へと変化するかもしれない。そして、エジプト社会の全ての勢力がそろって席に着き、自分たちの国の将来について話し合わなければならなくなるかもしれない。今、エジプトの情勢を見守る人々が一番心配しなくてはならないことは、ムバーラクが退任するかどうかではなく、ムバーラク体制の後に、軍がエジプト政治においてどのような役割を果たすようになるかということだ。

今後数日の間に、どのような事態になるかわからないが、エジプトで今日起きていることが、この地域の他の国々に影響を与えることは確かである。なぜなら、アラブの国家は全て、エジプトの人々が今引きずり降ろそうとしている体制と似通った権威主義体制によって成り立っているからである。

(原文は英語、河村一雄訳)

※本エッセイは、2月6日に執筆したものであり、その後も情勢は変化しているのでご留意願います。

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<ホサム・ダルウィッシュ ☆ Housam Darwisheh>
1979年、シリア(ダマスカス)生まれ。2002年、ダマスカス大学英文学・言語学部学士。2006年、東京外国語大学大学院地域文化研究科平和構築・紛争予防プログラム修士。2010年同博士。現在、東京外国語大学大学院講師・研究員。趣味は、ジョギング、ダルブッカ(中東地域の太鼓)演奏、ダンス。
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2011年2月9日配信