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エッセイ277:李 軍「同根異枝の日中漢字(その2)掛詞篇」

11月末にある学会に参加した。12時半から18時までの長丁場の発表だったので、最後の方では、発表者も参加者もみんな疲れ切ってしまった。そんな中、ようやく主催側の最後のあいさつになったが、あいさつをされた先生が学会と関係のない話で締めくくって、みんなの疲れを吹き飛ばしてくださった。それは次のような内容であった。「先日、歯が一本抜けましてね、病院に行きました。この年になると、歯無し話をすると本当にかなしいものだ。みなさんはまだ若いから、このぐらいの学会で疲れた顔をしないでくださいね」と。今の季節は「歯無し」ではなく、「葉無し」になるかなぁと、「はなし」に相当する様々な当て字を思い浮かべながら聞いていた。

著名な言語学者、鈴木孝夫先生は「日本語は目と耳の両方を利用する『テレビ型』の言語であり、ヨーロッパ語を含むほとんどの言語は、未だに『ラジオ型』で、音声に全部情報があり、書いたもの、つまり文字情報ですら音声の写しに過ぎない」と指摘している。日本語は、漢字の流入、受容、伝播、定着があったがゆえに、「ラジオ型」であった大和言葉から、聴覚と視覚が連携した「テレビ型」の言語になったのであろう。

たとえば、「あう」に「会」「合」「逢」「遭」「遇」(これらの漢字は「同訓異字」という)を当てることによって、和語「あう」の意味を細分化し、語彙拡充を可能にした。それだけでなく、当て字を用いることによって、豊かな表現が生み出されていった。その代表的なものが掛詞(かけことば)である。掛詞とは和歌などにおける修辞法の一つで、古くから用いられてきた。「まつ」に「松」「待つ」といった二つの意味があるように、同じ音、あるいは類似した音を有するものに二つ以上の意味を込めて表現する方法である。『奥の細道』の巻末に「蛤のふたみにわかれ行く船出する秋ぞ」という句がある。「ふたみ」は「蓋身(蛤の蓋と身)」と「二見(二見浦)」、「わかれ」は「見送りの人たちと『別れて』」と「川が『分かれて』」といったようにそれぞれ二つの言葉が掛けられている。

最近、テレビのお笑い番組では「なぞかけ」がよく出される。例えば、「薄い味のコーヒーとかけて、バスツアーと解く、その心は――こくない(濃くない・国内)」。このように、「なぞかけ」は掛詞の親戚のようなもので、その手法が似通っている。2010年12月2日付の『読売新聞』の「編集手帳」にも次のような「なぞかけ」が引用されていた。「『新聞』とかけて『お坊さん』と解く。そのココロは――今朝(袈裟)きて今日(経)よむ。テレビの『笑点』で人気者になったなぞかけの名手、故・二代目春風亭梅橋さんの作と伝えられる」。

このような「なぞかけ」は、むかし商売繁盛を願うときにもよく使われていた。東京都内の比較的古いそば屋や飲み屋、料理屋などの入口に、「春夏冬中」(商い〈秋ない〉中)と書いた木札が下がっていたり、店内に「春夏冬二升五合」(商いますます繁盛:二升=升〈ます〉+升〈ます〉、五合=半升〈はんじょう〉)と掲げた木彫りの看板が飾られていたりした、と東京に長く住んでいた友人から聞いた。

また、今日流行っている「サラリーマン川柳」(第一生命保険株式会社主催)を見てみると、第14回第1位の作品は「ドットコム どこが混むのと 聞く上司(ネット不安)」、第15回第1位の作品は「デジカメの エサはなんだと 孫に聞く(浦島太郎)」、第19回の優秀作品は「IT化 夫婦関係 愛低下(あずさ3号)」で、これらにも掛詞の手法が応用されている。

一方、漢字の発祥地、中国ではどうであろうか。

中国では、昔から新婚初夜に生煮えの餃子を食べさせる風習があった。生煮えの餃子を食べさせて、煮えたかどうかを聞き、「生」と言わせることが目的である。「生(なま)」と「生(子どもをうむ)」は同じ字であるので、これから子どもをたくさん作る意思を婉曲的に宣言させる儀式である。

中国では古くから「多子多福(男児が多いほど福が多い)」「不孝有三,無後為大(親不孝には三つあるが、子孫を残さないことがもっとも親不孝である)」という伝統的な倫理観が根強かった。そのため、旧正月に飾られている年画の中に「蓮子(ハスの実)=子を連れてくる」が描かれたり、新郎新婦の新居には「棗(なつめ、『早』と同音)」「花生(落花生)」が置かれたりした。いずれにも「早生貴子(早く子どもに恵まれますように)」という願いが込められている。この習慣は今日でも受け継がれているが、少子化が進む日本と同様に、中国でも、特に大都市では出産率が低下する一方である。もはや「早生貴子」の儀式は単なる形成的なものにすぎず、そのうちに姿を消してしまうのではなかろうか。

中国の民俗にはこういった漢字の多義性と同音異字を生かしたものがたくさんある。例えば、南方ではお正月の時に「桔子(ミカン)」を贈る習慣があり、「桔」の中に「吉」があり、幸せになりますようにというメッセージが「桔子」の中に込められている。また、日本のお正月でよく食べられている「お餅」は中国語では「粘◆(◆は米偏に羔)」という。「粘」の意味は日本語と同様で、ねばねばしている状態を表す。「粘」は「年」と同音で、「粘◆」は「年◆」ともいう。つまり、年越しの時にねばねばしたお餅(粘◆)を食べる習慣は漢字の読みに由来したと考えられる。

動物の中では「鹿lu」が「禄lu」と同音で、縁起の良い動物として好まれている。日本では「蝙蝠(こうもり)」に対して暗いイメージを持っているようだが、中国では「蝙蝠bian fu」は「変福 bian fu(福に変わる)」に似たような発音であるので、縁起の良い動物として飾られている。逆に「フクロウ」は日本では「不苦労」というふうに読まれることによって、人々の愛着が集まっているが、中国では「猫頭鷹」という名称で、夜しか働かないので、暗いイメージがある。

このように、日本では同じ読みに数多くの漢字を当てて、多彩な表現手法を生み出していったのに対して、中国の同音異字は、言語的な面だけでなく、民俗的、習慣的な面などにおいても活用されている。

新年早々、皆様も書き初めをお書きになったであろう。私は漢字一文字だけを書くのをやめて、「伸」「新」「信」「真」「進」「心」「親」…というたくさんの願いを込めて、「しん」とひらがな二文字を書いた。少々「慎」に欠ける欲張りな願いのようだが、自分らしいと気に入っている。

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<李軍(リ ジュン)☆ Li Jun>
中国瀋陽市出身。瀋陽市同澤高等学校で日本語教師を務めた後、2003年に来日。福岡教育大学大学院教育学研究科より修士号を取得。現在早稲田大学大学院教育学研究科博士後期課程に在籍。主に日中漢字文化を生かした漢字指導法の開発に取り組んでいる。ビジュアル化が進んでいる今日、絵図を漢字教育に取り組む新たな試みを模索している。
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2011年1月19日配信