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エッセイ281:林 泉忠「エジプト革命 アメリカは何を恐れているのか?」

エジプト大統領の座に未練を持っていたムバラクは18日間の悪戦苦闘を経て、ようやく人民の力の前に屈服した。独裁者として権謀術策を弄することで30年間も独占しつづけた大統領官邸から逃げ出した。

しかし、このエジプトの衝撃的な一幕は、東アジアの民衆にとっては身に覚えのないことではない。1986年にフィリピン大統領マルコスも人民の力に惨敗し、夜中にヘリコプターでハワイに逃亡したことは全世界に知られている。当時、このフィリピンで巻き起こった民主運動のうねりは、一方で自由民主主義の旗を掲げつつ、親米的な独裁政権を庇うというアメリカの姑息なダブルスタンダードをすっぱ抜くことになった。ただし、冷戦終了後でも、アメリカは「テロ対策」のために、この矛盾に満ちた外交方針を維持し続けている。これこそ、オバマ政権がエジプト民主運動に対して態度を決めかねて、動揺している要因である。

アメリカのエジプトへの「読み間違い」と動揺

オバマ政権がエジプト政権崩壊後に発表した声明では、エジプト人民が非暴力的な手段によって正義を勝ち抜いたことを褒め称えていた。しかし、エジプト民衆の感情が激しく湧き返っていたあの18日間、ホワイトハウスの態度はムバラク政権と広場にいる民衆の間を右往左往し、二股を掛けた態度で臨んでいた。アメリカ副大統領バイデンは、カイロ市民抗議集会が行われた当初、「ムバラクは独裁者ではない」と明言し、国務長官ヒラリーも「ムバラク政権は安定している」と語っている。抗議行動が次第に拡大するにつれ、ホワイトハウスはようやく用心深く口調を変えて、「秩序ある権力の移行」を要求するようになった。これもまた、実権をムバラクの親米路線を継続できそうなスレイマン副大統領にスムーズに移してほしいという願いがあったからである。

アメリカがこれほど「用心深い」のは、アメリカの「国益」を配慮しているからであるが、そこには「イランの悪夢」の再来を恐れているということがあるのではないか。

昔のカーターのイランは今日のオバマのエジプト?

1979年、イラン革命が勃発して民主政体が解体され、イスラム共和国が打ち立てられた。この西方諸国を混乱させる革命が起きた後、イランの「アメリカ大使館人質事件」が発生した。当時急進派のイラン学生たちはテヘランにあるアメリカ大使館を占拠し、66人を人質にして、444日間も身柄を拘束していた。事件後、アメリカのカーター大統領は再選に失敗した。この革命はイランを親米から反米へ導き、今日に至ってもなお尾を引いている。したがって、エジプトでイランの失敗を繰り返すのではないかということこそ、まさにオバマ政権が憂えているところなのである。当時、前国家安全保障会議顧問ブレジンスキーは、特殊部隊を使って大使館を奇襲することをカーターに提案したが、失敗に終わってしまった。それから31年後、ブレジンスキーはエジプト情勢に対して「冷静に」対応すべきだと示しているが、これも昔の「イランの悪夢」の暗い影がまだ残っているからかもしれない。

昔のカーターにとってのイランは、今日のオバマにとってのエジプトになるかどうかに言及するのは早計かもしれない。しかし、今回のエジプトの民主化運動がアメリカの利益に衝撃を与えることは一目瞭然であろう。

まず、アメリカが最も望まないのはムバラク政権後のエジプトが、イスラム原理主義勢力が主導する国になることであろう。エジプトの人民は奮い立っているが、頭となる人物が存在しない。各方面の勢力が隙あらばつけ入ろうと機会をうかがっている。アメリカはリアルタイムで迅速にエジプト情勢に介入し、エジプト政権を副大統領に移そうと図っていた。オバマ政府はアルカーイダ組織の浸透を防止する一方で、イスラム原理主義の色彩を帯びている、大きな政治勢力になり得るムスリム同胞団に対しても警戒心を持っている。それは、ムスリム同胞団がいざ権力を握ると、エジプトとアメリカの関係に大きな変化をもたらすだけでなく、イスラエルとの関係を再調整する可能性もあり、アメリカの中東政策に打撃を与える恐れがある。

アメリカ社会は石油の急騰を恐れている

反米的なイスラム原理主義勢力の蔓延を憂える外、全世界屈指のエネルギー消費大国で、世界一のマイカー族を有するアメリカにとっては、石油価額の不安定も最も恐れていることである。エジプトは原油を輸出するわけではないが、膨大な製油工業を有している。毎日110万バレル余りの石油を輸出するだけでなく、スエズ運河を通して運送されている石油も200万バレルに達しており、中東石油輸出の重要な命脈を握っている。

かつてアメリカがイラクを攻撃した本当の理由の一つは、石油の安定供給をコントロールするためであった。したがって、石油はアメリカがエジプトの政権の調整に介入した重要な理由であった。

エジプト憲法の規定により、大統領が辞任した後66日以内に選挙を行わなければならない。しかし、最高軍事委員会は半年以内に大統領選挙と国会議員選挙を行うと強調している。いずれにせよ、アメリカが如何に大統領選挙を主導するエジプト軍事勢力を通じて、イスラム原理主義勢力の浸透を防ぎ、新しい親米勢力を育成するかは、これから先数か月のオバマ政策の注目すべき焦点であろう。

(2011年2月12日 香港島にて)

(本稿は『明報』(香港)2011年2月17日に掲載された記事「埃及變天 美國最怕什麽?」を本人の承諾を得て日本語に訳しました。原文は中国語。李軍訳)

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<林 泉忠(リム・チュアンティオン)☆ John Chuan-Tiong Lim>
国際政治専攻。中国で初等教育、香港で中等教育、そして日本で高等教育を受け、2002年東京大学より博士号を取得(法学博士)。同年より琉球大学法文学部准教授。2008年より2年間ハーバード大学客員研究員、2010年夏台湾大学客員研究員。
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2011年3月2日配信