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エッセイ262:オリガ ホメンコ「きれいな服が大好きな私」

私は昔からきれいな服が大好きです。旅先では必ず新しい衣服を買ってきます。そして着るときに、「この上着はロンドンで買った」と、その旅のことを思い出し、暖かい気持ちに包まれるように感じます。

私の子供の頃はソ連時代だったので、きれいな服や靴を手に入れるのが困難でした。国産のものはほとんど皆同じでつまらないデザインのものばかりでした。そして外国のものは身近になかったので、たとえお金があっても、普通の店ではあまり良いものは買えませんでした。その当時でも、外貨の店にはいろいろな品物がありましたが、外国に行かない限りは外貨を持てなかったので買うすべがありませんでした。

一方、ブラックマーケットでも、高い値段で様々なものを売っていました。私にはかなり年上の姉がいます。彼女の友達に外国製の服を密かに売っている友達がいたので、私がジーンズを欲しいと頼むと、ある時のこと、持ってきてもらうことが出来ました。大喜びで試着しましたが、小さい時にぽっちゃりしていた私は、どんなに頑張っても、横になっても、そのジーンズのボタンを留められなかったのです。悲しくて辛くて大泣きしました。サイズが限られていたので、どうしようもありませんでした。ジーンズを手に入れる夢はまた数年先送りされました。そしてその数年間、自分は太っていると思い込んでいました。

高校の時に一人の友達ができました。その友達は小さい頃、家族でアメリカに亡命し、アメリカの学校や大学を出て、スイスの会社に就職してキエフの事務所に転勤になったのでした。彼を思い出す時、まず、初めて見たカウボーイブーツが頭に思い浮かびます。彼は背が低かったので、そのブーツのせいで少し可愛く見えました。シャルル・ペッロの昔話のブーツに入った猫のように見えたのかもしれません。しかし、1990年のキエフには同じような格好をしている人はまだ誰もいませんでした。ある日、彼の同僚がスイス人の奥さんを連れてキエフに遊びに来ました。彼女はとてもおしゃれな格好をしていました。きれいな靴におそろいのバッグ、そして首に素敵なスカーフを巻いていました。日曜日に一緒にオペラ座へ行ったとき、私は心の中でとても恥ずかしい思いをしました。どうしてもその人のファッションを自分のと較べてしまったからです。私の格好は、どちらかというと。。。流行のものではなく。。。しかし清潔感はありました(笑)。人生で最初のカルチャーショックでした。

キエフの中央デパートで買ったチェック柄の上着と自分で作ったミニスカート。つまり、商品は店にほとんどなかったので選択の余地がなかったのです。自分で作らなければなりませんでした。ものがなかったから、「ものより心が大事」と言われました。心や精神が大事と分かっていても、きれいなものが欲しいという十代の乙女の正直な気持ちを抑えることは出来ませんでした。

そのスイス人の女性と出会って、オペラ座から家に帰る途中にいろいろ考えました。その時私はキエフ大学の前の公園を歩いていました。星空を眺めながら、「私も頑張ってよく勉強して、仕事をしてお金を稼いで絶対にきれいな服を手に入れるよ」と心の中に誓いました。

その後もやはり、皆と同じものを着るのがいやで、しばらく頑張って自分で服を縫い続けました。大学の3年生の時にはコートまで縫い上げました。皆と同じ茶色や黒のものを着るのはいやでした。少しでも明るいコートが欲しかったのでピンク系のコートを縫いました。今考えてみると暗い色ばっかり着ている皆に反発していたのかもしれません。

あれから20年近くが過ぎました。勉強もして仕事もするようになりました。そして、もう長い間服を縫っていませんが、その代わりにいろいろな服を各地で買い集めました。服は相変わらず好きです。それはソ連の体制下で多感な子供時代を送った影響、あるいはその時に感じたコンプレックスだったかもしれません。時の流れと共にそれを乗り越えることができました。

しかしながら、今でもやはりストレスを強く感じている時に、ストレス解消のため服を縫うことがあります。おもちゃの服ですけど。

去年、モスクワに遊びに行った時、友達の16歳の娘さんと赤の広場を歩きながらそのような話題になりました。そしてその16歳の子は「店にジーンズがなかったの?それはどういうこと?」ととても驚いた表情で尋ねました。そのときすぐには説明できませんでした。彼女は私の話にとてもショックを受けたようでした。そして「ソ連が崩壊してよかった!」と。自由にものを買えるだけではなく、旅行もできるようになったからです。それはそうですよ。ものと心のバランスも、それから自然に協調できるようになったのかもしれません。。。

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<オリガ・ホメンコ ☆ Olga Khomenko>
「戦後の広告と女性アイデンティティの関係について」の研究により、2005年東京大学総合文化研究科より博士号を取得。2006年11月から2008年12月まで学術振興会研究員として早稲田大学で研究。2005年11月に「現代ウクライナ短編集」を群像社から出版。現在キエフでフリーの日本語通訳や翻訳、NHKやBBCのフリーランス記者など、広い範囲で活躍している。
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2010年9月29日配信