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エッセイ261:シム チュン キャット「日本に『へえ~』その5:天気で騒ぎすぎ?」

長年日本に住んでいるので、日本人が天気の話題が好きであることは重々承知しています。「今日も暑いですね~」「昨日はなんか寒かったね~」「これから雨が降るらしいよ~」「明日は雪みたいだね」などのたわいもない挨拶は留学生たちが日本語教室の初級コースで絶対に習う言葉ですし、手紙やはがきやメールを書くときも、ほとんどの場合は本文に入る前の冒頭にまず気候や季節を表す「時候の挨拶」が入ります。さらに、たとえば夏の暑さにまつわる表現ひとつとっても、猛暑、炎暑、熱暑、酷暑、大暑、極暑、激暑、厳暑、残暑などがずら~っとあって、まあ、それぞれの微妙な違いについて僕はよくわかりませんが、とにかくどれも「暑いよ!」ということなのでしょうね。僕の国シンガポールのある有名なお土産Tシャツに書かれている「Singapore has 3 seasons(シンガポールには三つの季節がある):Hot(暑い)、Hotter(より暑い)、Hottest(最も暑い)」というような、なんのひねりもない単純表現よりは日本語のほうが暑さを表すうえで断然に多暑、もとい多彩であることは間違いなしです。

しかしながら、ちょっと前まで、全国放送のNHKを含むテレビ局などが各々のニュース番組で「今日も暑いです!」「猛暑日が続いています!」というニュースを毎日のように報道していたのをみると、ちょっと騒ぎすぎだったのではないかという気がしないでもありません。毎日の暑さについてトップニュースとして報道するテレビ局も少なくありませんでした。確かに今年の日本の夏は記録的に暑かったです。熱中症で病院に運ばれた人も例年より多かったそうです。でも多くの諸外国のように、天気についてのことは天気予報の時間に注意なり警戒なり重点的に報道すればいいのではないでしょうか。ほかの大事な国際関連のニュースを差し置いてまで真っ先に「今日も猛暑日です!」という「ニュース」が流れることに疑問を感じていたのは僕だけでしょうか。「ニュース」の意味を辞書で調べると、「新しく一般にはまだ知られていないできごとや情報」とありました。百歩譲って今年の夏の猛暑が「一般にはまだ知られていないできごとや情報」だとしても、毎日のように頻繁に、しかもトップニュースとして報道する必要があるのでしょうか。天気予報の時間ではダメなのでしょうか。週間ニュースとして報道するのもダメでしょうか。

「天気」はつまり「天の気」であって天地間の大気の流れによる自然現象である以上、気まぐれなのはそれこそ自然の摂理です。遠くで爆発を起こしながら猛烈に燃え続ける太陽による影響も無きにしもあらずでしょう。その証拠に、去年の夏は今年とは打って変わって、長雨や日照不足の冷夏でした。去年のことなんかもう忘れているという人もいるかもしれませんが、思い起こせば去年の夏にも日本の各テレビ局が冷夏についての「ニュース」を毎日のように流していました。暑すぎてもニュース冷たすぎてもニュースでは、いったいどのような夏が人間にとって一番良くて「普通」なのかと聞きたくなります。数字やデータが大好きな日本人のことですから、きっと「夏の平均気温は33.58度がちょうどいいです」とかいう人がいるかもしれませんね(笑)。この「平均」という言葉も曲者です。考えてみれば、ニュースなどではよく今年の夏の気温は「平均以上です」もしくは「平均以下です」と言ったりはしますが、ぴしゃりと「今年の夏は平均です!」という報道を聞いたことがありません。そもそも自然界の中に「平均」という言葉が存在しないからなのでしょう。逆に「平均な夏」なんて話題性が乏しく、日本人は好まないかもしれません。でも一度でいいから、「今年の夏はなんと平均です!」というトップニュースを是非聞きたいものですね!

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<シム チュン キャット☆ Sim Choon Kiat☆ 沈 俊傑>
シンガポール教育省・技術教育局の政策企画官などを経て、2008年東京大学教育学研究科博士課程修了、博士号(教育学)を取得。日本学術振興会の外国人特別研究員として研究に従事した後、現在は日本大学と日本女子大学の非常勤講師。SGRA研究員。著作に、「リーディングス・日本の教育と社会--第2巻・学歴社会と受験競争」(本田由紀・平沢和司編)『高校教育における日本とシンガポールのメリトクラシー』第18章(日本図書センター)2007年、「選抜度の低い学校が果たす教育的・社会的機能と役割」(東洋館出版社)2009年。
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2010年9月22日配信