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エッセイ260:宋 剛「坊さんとお粥―北京婦産医院に関する雑感(その2)」

ロビーと廊下は「L」字或いはゴルフのクラブの形をしていて、目に入ったのは3列の人、三つの窓口に始まって、アイアンとシャフトを繋ぐところで直角に曲がり、薄暗い廊下の奥へと延々と伸びていく。曲がったところから列と列の間隔はなくなる。この人間でできたクラブは25メートル以上もの長さがある。日本では、ディズニーランドのアトラクションに匹敵する風景だ。しかし、歓声はない。いまだに眠気に囚われる人が多いからだろう。

辛うじて列の後ろに並び始めたところ、2人の40代に見える女性が微笑みながら声をかけてきた。「ここで並ぶと専門医は無理だわ」「さあ、さあ、前のほうにおいで、1番だから、一番いい先生に見てもらえるよ。」妻の顔をちらっと覗いた。平然とした顔だ。多少動揺した私にも力が付いて、「いいです」と断った。

妻が心配なのでロビーの椅子に座らせて自分一人で並ぶことにした。病院は8時からで、窓口は7時30分からだ。あと1時間すれば行列が縮む。それまでは膨らむ一方だ。「1時間あれば、ぐっすり眠れる、ゆっくり食べれる、ドラマなら1回見れる、小説なら30ページ読める、ジョギングなら10キロ走れる……」と、私は一時間の使い道を考えた。

「どうだ?前に来ないか、1番だよ。」女の声がまたした。相手は後ろの人だ。
「じゃあ、お願いします。」東北訛りの若い妊婦で、躊躇した声だ。
「おいで、おいで、今日は看板医師だから、200元ね。」女の二人組は更に笑った。
「は、はい」妊婦はお腹を抱えながらついていった。
「特別番号と同じ値段じゃないか。」「本当に。」隣の列の夫婦みたいな男女は河南訛りで会話をした。

8時過ぎに、やっと窓口までたどり着いた。普通の医師の26番だった。専門家ではないが、寝不足の甲斐があった。今度は診察室の外で待つことになった。前に5、6歳の女の子を連れた30代の女性がいた。暇つぶしで妻とその女性は世間話を交わし始めた。「飯に行ってくる」と、番号を手に入れて一安心した私は彼女たちを後にした。

病院の向い側の路地裏に「宏状元」というお粥専門の店があった。20種類以上のお粥のメニューを手にして、どれにするか迷った結果、自分へのご褒美として「状元極品粥」を注文した。22元だった。店にはほかに3、4人いた。みんな黙々と食べていた。店の外に、油条(棒状の揚げパン)を売っている屋台があった。何人かの男が横の道端にしゃがんでしゃべりながら1本1元の油条を噛んでいた。耳を澄ませば、また方言が聞こえてきた。

「地方の人がやたらに多いな。」かつて日本人学生と平等な扱いを求めて大学院の事務室にクレームをつけていた中国人留学生の私でも、北京人のプライドで、地方の人は一人でもいいから病院から消えてほしくなった。そうすればダフ屋たちも笑えなくなるだろう、こんなに朝早く来なくても専門家に見てもらえるだろうと思った。この思いとは別に、彼らとは、店の中と外という二つの世界に分かれていることに、小さな優越感を感じているのにも気づいた。

妻が診察を終えたのは午後2時だった。血液検査と結果待ちにも時間がかかった。
帰る途中、妻は診察室前で会話した女性の話をした。東北省の出身で、長女がいるが、旦那さんの親の要望に逆らえず政府に罰金を払う覚悟で男の子を生もうとしている。二年前に妊娠したとき、知り合い経由で地元病院の医師に頼んで超音波検査をし、胎児の性別を教えてもらった。女の子だと告げられて堕してみたら男の子だった。地元に病院が数ヶ所あるが、超音波器のある病院はそこしかない。しかも、1台しかない。今回は地元の病院を諦めて北京の親戚の家に泊まって婦産医院に通っている。最後に、「ここは患者が多いが安心してみてもらえるところだ」と妻に言ったらしい。

「患者に胎児の性別を教えないこと」という張り紙は病院の中で確かに見た。男尊女卑の思想を持つ親たちが実に腹立たしいが、機械があっても性別を正しく判断できなかったり、平気で堕胎手術を行ったりする病院と医師の存在に驚愕し、憎たらしく思った。そして、22元のお粥を吟味しながら外の人たちを眺めて得意になった自分がバカだったと思った。

中国語では、「僧多粥少」つまり、坊さんが多くてお粥が少ないという言葉がある。人が多くて、分け配るものが少ないことの喩だ。これはまさに現在の中国の患者と病院の現状にふさわしい言葉なのではないか。7月23日のニュースだが、北京市の流動人口は1000万人を突破した。そのうち、病院にかかる流動人口は200万人近くで、北京市全体の6割を占めているという(北京市公共衛生情報中心)。

このエッセイの冒頭で、冬休みに読書をしたと書いた。タイトルを忘れたが、東アジアにおける仏教の誕生と歴史に関するものだった。その中で玄奘のことについて記され、その業績を称えている。計75部、1335巻のインドの仏教経典を中国語に訳し、中国の『老子』を梵語に訳したという。その中の『般若心経』は日本にも伝わり、法相宗、天台宗、真言宗、禅宗などの宗派に強い影響を与えているようだ。インド周遊中の玄奘は、数十万の僧侶が参加した現地の仏教弁論大会で向かうところ敵なしで、大きな名声を博した。また帰国後、唐の玄宗皇帝にたいへん尊敬され、その教義も一世を風靡した。しかし、仏教僧侶や特権層に認められたそんな玄奘より、『西遊記』で描かれた三蔵法師のほうがずっと人々に知られ、人間らしく見える。どうも、今は、北京人独占の婦産医院より、すべての中国人を安心させる婦産医院のほうがよさそうだ。ただし、「今」という期間が短いことだけを願っている。

ちなみに、息子は昨日から咳を続けている。妻と相談した結果、明日は北京婦産医院よりも有名な北京児童医院に赴くことにした。たった今、「さっさと終わらして、目覚しを探しなさい」という妻の声がしたから、こんなところで筆を擱こう。

☆エッセイ251:宋 剛「坊さんとお粥―北京婦産医院に関する雑感(その1)」は、ここからご覧ください。

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<宋 剛 (そーごー)☆ Song Gang>
中国北京聯合大学日本語科を卒業後、2002年に日本へ留学、桜美林大学環太平洋地域文化専攻修士、現在桜美林大学環太平洋地域文化専攻博士課程在学中。中国瀋陽師範大学日本研究所客員研究員。9月より北京外国語大学日本語学部非常勤講師。SGRA会員。
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2010年9月15日配信