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エッセイ259:宋 剛「坊さんとお粥―北京婦産医院に関する雑感(その1)」

冬休みはもう終わりに近い。というか、あと24時間。この一ヵ月半の休みを振り返ってみると、やったことは二件しかなかったことに気がつく。妻との通院と読書。

妻は病気ではなく、懐妊している。分娩予定日はあと三週間後の3月21日。ひ孫を待ちに待った祖母も安産を祈願すべく、観音様の像を買って家に仏壇を設けた。本来、実にめでたいことだが、我が家を受け継ぐ血脈の活性化を図る執念と、食べ物を粗末にしてはいけないという座右の銘によって買い置きはせずに、常に「あれを買って、これを買って」と、夫の私に主として肉とデザートを注文し、そしてその日に完食する。そのあげく、ある日の検査で、妊娠糖尿病にかかったことが判明した。

「仏は常に在せども 現ならぬぞあはれなる 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見え給う」と『法華経』にいう。きっと、夜明け頃に現れた観音様が空っぽになった冷蔵庫を見て怒ったからだ、と筆者はひそかに思う。とにかく、一般の妊婦より多い、週2、3回ほどの通院検査を余儀なくされた。筆者はもちろんその付き添いだ。

通う病院は、北京で最も有名な公立産婦人科の専門病院、北京婦産医院である。ここは、おそらく、中国随一の産婦人科といっても差し支えない。67,484㎡の敷地面積、1,062名の専門医、660のベッド数、いずれも全国のトップクラスである。医術はもちろん、お医者さんの態度もよく、注意事項など、大切なことをいろいろと教えてくれる。公務員と医者のほとんどはにべもないと思っていた留学前の印象は、今回の経験でだいぶ薄らいだ。

ところが、丁寧なお医者さんにお会いするまでの道程があまりにも困難であった。
病院までの距離は遠いわけではない。車で30分くらいである。しかし、冬休みに入って付き添いの初日、妻に起こされたのは5時半だった。まさかこの世には妊娠時計認知症でもあるのかと変な顔をしたら、「いつものことだよ」と涼しい顔で説明された。平日にほとんど学校の寮に住み込む私には、妻の苦労を承知していなかった。

婦産医院はたいへん有名だが、前を通る道は案外細い。敷地内の駐車場に入ろうとする車はすでに行列を作っている。入り口に入ったところで、急に3、4人の男性に囲まれた。映画で見た少林拳のポーズをしようと思ったとたん、「専門医の番号、いる?」と声をかけられた。

中国の病院では、日本の銀行のように、まず受付で番号登録を済ませて番号札をもらうことが診察の第一歩。番号は専門医用と普通の医師用と二種類。科によって当直医師の人数が違うが、婦産医院の場合、産科が一番多く、毎日、専門医5人、普通医3人の規模である。ランクは問わず、医師一人当たりの受診可能患者数は40人。さらに、一つの科に、20の特別登録の枠が設けられている。要するに、産科では、一日の最大患者数は約340名である。当然、登録料金も普通、専門、特別の順で上がり、それぞれに7元(100円)、14元(200円)、200元(3000円)となっている。有名な病院、有名な科であればあるほど、番号札がなくなるのは速くなる。

「結構です、すみません」と、妻はあっさりと断りながら私を連れて道を急ぐ。
「専門医の番号って、いくら?」と、男の好奇心は鼠のようにうごめく。
「100元」
「100元!?」鼠はハンマーに遭う。そして、病院のダフ屋(!)を相手にしない妻がえらく見える。「でも、そんなに朝早く起きなくたって」と、やはり心のどこかでひそかに思う。
だが、病院1階のロビーに入った瞬間、その思いは吹飛ばされた。

(つづく)
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<宋 剛 (そーごー)☆ Song Gang>
中国北京聯合大学日本語科を卒業後、2002年に日本へ留学、桜美林大学環太平洋地域文化専攻修士、現在桜美林大学環太平洋地域文化専攻博士課程在学中。中国瀋陽師範大学日本研究所客員研究員。9月より北京外国語大学日本語学部専任講師。SGRA会員。
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2010年9月8日配信