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エッセイ254:韓 京子「アデュー!2010 World Cup!」

南アフリカで開催されたワールドカップがとうとう終わってしまいました。といっても私にとっては「まだやってたんだ」という感じでしたが。2002年は燃えていた気がするのですが、2006年はあまり記憶に残っていません。年をとったのか、情熱を失い醒めた人間になってしまったのか……。今回は、韓国チームも日本チームも開催前の低評価とはうってかわった戦いぶりに湧いたのではないでしょうか。もちろん逆のチームもありました。

さて、国それぞれ応援の仕方、様子も違うと思われるので、こちら韓国の様子を少しお伝えすることにしましょう。

はじめからそれほど盛り上がっていなかったのですが、開催一ヶ月前に行われた強化試合で中国に完敗してからさらに下がってしまいました。ところが、その後の強化試合最終戦で日本に快勝してから急にスイッチが入りワールドカップモードに突入したという感じです。

ワールドカップグループリーグの初戦相手はギリシャ。この初戦で韓国チームは「いけるかも」という希望を持たせてくれました。とにかく「韓国ってこんなに強かったっけ?」と思わせてくれた試合内容でした。この試合の日本での報道が韓国寄りだったことは韓国でも報道され、「???」、「私たちはああなれないだろうな」と戸惑いを覚えた人が多かったようです。

ご存知のように韓国と日本はグループが違い、韓国の試合の数日後に日本の試合があるというパターンが続きました。日本は大会前の強化試合で韓国に敗戦したこともあり、非常に低評価でした。しかし、その後の日本チームの予想外の善戦に、どうしても日本を快く応援できない私たちは表面では応援しても心の中では「韓国チームだけ勝てばいいのに」「日本も決勝トーナメント進みそうだよ。いやだな」って思った人も多かったのではないかと思われます。いかんともしがたい性でしょうか。

2010年のワールドカップの観戦方法の特色は携帯で移動中に試合を観る人が多くなったことです。大勢で観戦するというのは以前と変わりません。テレビのない飲食店に人は全くいません。いつも行列のできるイタリアンのお店ががらがらで、店員もシェフも携帯で観戦していました。お店にテレビがなくてもどっからか聞こえる歓声で得点が入ったのか、取られたのかわかります。今回は真夜中の試合もあったのですが、やはり団地全体を揺らがす歓声でほぼ状況把握ができるほどでした。もちろんこの歓声で起きてテレビをつける人も多かったみたいです。

また、以前と変わったのが応援場所です。ソウル市庁前の広場だけでなく江南の道路が加勢。夕方の試合のある日には午前中から交通規制がしかれ、大変な渋滞になりますが、道行く人は「仕方ないか~」って反応でした。江南の道路が応援場所として加わったのは、若者も集まりやすく、また近所に高層ビルがたくさんあり、お手洗い、コンビニなども多く便利だったからということです。しかし、決勝トーナメント進出が決まった喜びで漢江に飛び込み溺死するという事故があったのは本当に残念でした。

おもしろかったのは「鶏肉」の需要がはんぱな量じゃなかったことです。みんなで集まって観戦するところは、生ビールの飲めるお店。韓国ではビールのおつまみにはフライドチキンが定番です。家で家族や友達といっしょに観戦するときもフライドチキンなど鶏肉料理やピザを出前で頼むのがほとんどです。出前を頼んでも何時間も待たされたとか。そのため、韓国戦の次の日の教職員の食堂のメニューが「タットリタン(鶏肉をじゃがいもなどの野菜を入れ辛く煮込んだスープ。Wikipediaに載ってるのにはびっくり)」だった日は、「センスないよな~。みんな昨日鶏肉食べるくらい知ってるだろう」って不平が出ます。

ところが、このチキンとビールの夜食が習慣になってしまった人が多いらしいのです。ワールドカップ期間に5キロも太ってしまったあるお姉さんは何を着てもぱっつんぱっつんになってしまったためダイエットをはじめたとか。いったいどれだけの鶏が消費されたのでしょう。

来週から夏の最も暑い期間である伏日が10日ごとに訪れます。日本では盛夏の土用丑の日にうなぎを食べますが、韓国では初伏(19日)・中伏(29日)・末伏(8月8日)の日は夏の保養食としてサムゲタン(参鶏湯)を食べます。本当は保身湯という犬肉のスープを食べる日だったらしく、今でも「守っていらっしゃる」方もいます。

今回のワールドカップ、南アフリカでの開催ということで少し遠く感じられたかもしれませんが、若者はちょっと違ったようです。最近の韓国の大学生は南アフリカに英語を学ぶため留学するということも多く、若い子は少しは身近に感じていたのかもしれません。

もう一つは鄭大世選手です。彼の涙にみんな泣きました。韓国籍の彼が北朝鮮の代表として出場したことの意味するところは大きかったように思えます。韓国の人が「在日ってなんなのか」少しは考えるきっかけになったのではないでしょうか。韓国戦争勃発50年を迎え、南北の分断などなどいろいろ考えさせられることが多かったワールドカップだったような気がします。

4年後はどう変わっているのでしょう。楽しみです。

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<韓 京子(ハン・キョンジャ)☆Han Kyoung ja>
韓国徳成女子大学化学科を卒業後、韓国外国語大学で修士号取得。1998年に東京大学人文社会系研究科へ留学、修士・博士号取得。日本の江戸時代の戯曲、特に近松門左衛門の浄瑠璃が専門。現在、檀国大学日本研究所学術研究教授。SGRA会員
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2010年7月28日配信