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エッセイ251:葉 文昌「台湾の大学から日本の大学に移って思うこと(その1)」

台湾の旧職場を3月16日に離職し、島根県松江市に22日に来て、早速住民登録、移動手段となる自転車の購入、携帯電話申請、等、新生活に向けた準備をした。そして4月1日、待望の辞令を学部長から受け取る日となった。スーツを着てやや緊張しながらも期待に満ちた気持ちで出勤する。式典では学部長が辞令を読み上げて交付された。台湾での職場にはこういうのがない。台湾の大学では8月1日から新年度が始まるが、夏休み中なのですぐ授業が始まらない。だから先生によってはまだ海外で帰国準備をしていて授業が実際に始まる9月中旬に現れることも少なくない。また式典はないので、辞令はそれぞれが事務室に取りに行く。

着任して一週間後には新入生が入ってくる。学校のメインストリートには部活の勧誘ポスターが張り出され、活発な課外活動が繰り広げられる。それに比べると、台湾のキャンパスはおとなしい。台湾の初等教育で、学生の勉学へのモチベーションを高めるために先生がよく口にする言葉に「萬般皆下品、唯有読書高(すべては下品で読書だけが高貴)」、「書中自有黄金屋、書中自有顔如玉(書中に豪邸あり、書中に美人あり)」があるが、社会全体がこのような歪んだ価値観を漂わせていることも原因であろう。読書以外は下品なことなので、例えばオリンピックでは韓国と違って情けない成績しか得られていない。

台湾の大学でも建前では課外活動奨励しているが、多くの規制が自由な課外活動を妨げている現実がある。以前、学生にものづくりの面白さを伝えようと、太陽電池ラジコン飛行機を作るクラブを立ち上げようとしたことがある。学生有志10名程が集まったが、クラブ団体として認定されるには20名の団員を集める必要があると言われた。認定されないと活動する部屋が支給されないのである。学校の管理担当者とかけあったが「20人の名前を借りて署名を集めればいいんだよ」と親切にも“裏技”を伝授してくれた。正直者がバカを見る中華社会に自分まで染まる必要はないと思った。このような規制があるため、現存している部活には社会奉仕的な、或いは学習的な、いかにも模範的な官製部活が多い。

続いて学科の新入生オリエンテーションになるが、日本では先生全員が参加し、教壇で一人一人学生を前に自己紹介をした。台湾では教員の自意識が強いためか、オリエンテーションにでる教員は殆どいない。学生へのフォローはどちらも細かく、「大学の生活に馴染めないのであれば将来社会にも馴染めない。大学生なのだから勝手にさせればいい。」という考えは時代遅れのようだ。今や大学教員も授業と研究を通じての社会貢献だけではなく、小中高の教員と同じく学生へのメンタルケアも要求される時代のようである。

日本の学生は礼儀正しい。授業で携帯電話をいじる学生もいない。台湾ではたまに携帯が鳴って、小声で話そうとする学生がいる。咎めるのは先生の責任だが、しかし学生を言う前に台湾の先生の中には会議でも講演会でも小声で電話を話す輩がいる。今や日本人は華人に代わって“礼儀之邦”となっていることは台湾人も認める所だ。もっとも”日本人は礼があっても体はない”と日本のアダルト産業に関連させてオチをつける華人(やメディア)も多いので、日本人は礼儀正しいと華人に褒められて気を良くするのはいいが、心の中では間違いなく口に出てこない残り半分を思っているはずなので、はめをはずさないように。

授業に関しては日本では多くの教員が教科書を執筆し、それを授業で使う場合が多い。一方、台湾ではアメリカの有名大学で使われている教科書を使うことが多い。僕も台湾に行ってからアメリカの教科書に接することになったが、アメリカの教科書はとても噛み砕いて説明している教科書が多いと感じる。アジアでは99乗算をそのまま暗記するのに対しアメリカでは理解させることに重点を置いているように、教育に対する価値観の違いが根底にあるのだろう。説明が詳しいから、アメリカの教科書は自習でも身につく。一方で日本の教科書は、先生のわかりやすい講義なしではわかりづらいことが多い。更にアメリカの教科書は、説明が詳しいだけでなく参照文献もしっかりしており、かなり手間をかけて作っていると感じる。アメリカは自由競争なので寡占化されるし、また有名大学で使われる教科書は台湾などの多くの国の大学でも採用されるので、手間ひまかけて作っても成功すれば十分な見返りは期待できるのであろう。学生の視点からすれば、アメリカでメジャーになった教科書を使えば外れがないので安心できる。(つづく)

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<葉 文昌(よう・ぶんしょう) ☆ Yeh Wenchuang>
SGRA「環境とエネルギー」研究チーム研究員。2001年に東京工業大学を卒業後、台湾へ帰国。2001年、国立雲林科技大学助理教授、2002年、台湾科技大学助理教授、副教授。台湾での9年間では研究室を独自運営して薄膜トランジスタやシリコン太陽電池が作れる環境を整えた。2010年4月より島根大学電子制御システム工学科准教授。
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