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エッセイ250:権 南希「二度目の『留学』

昨年9月、私は8年間の留学生活を送った東京を離れて大阪に来た。私を待っていたのは、個性的なパワーに満ちた大学三年生、いや「三回生」たちだった。私が所属しているところは、大阪にある関西大学の政策創造学部。「先生、何故日本に留学しようと思ったのですか?」「韓国人は日本人が嫌いって、本当ですか?」関西弁が飛び交う学生たちの質問攻めのなかで、私の初講義は始まった。初めて日本に留学生として来た時に感じた緊張感のようなものが、もう一度よみがえるような感じがして嬉しかった。

しかし、感傷に浸っている間もなく、これまでとは違う緊張感と責任感が心理的なプレッシャーとなって重くのしかかってきた。秋学期から担当することになった科目は、国際法事例研究。学生たちには自らテーマを決めて国際法に関する論点を発表してもらった。インドの児童労働問題、アフリカの紛争ダイヤモンド問題、地球温暖化問題、捕鯨問題、東アジア共同体問題などのテーマについて発表があった。そのなかで私を一番悩ませたのは、韓国と日本の間の問題だった。もちろん、国際法の専門的な知識だけを学生に伝えるなら、問題はそれほど難しくない。しかし、東京裁判、竹島・独島問題となると話は違う。特に「東京裁判」のような日本の歴史認識が直接問われる問題は、韓国人の私にとっては非常に扱いが難しい問題だった。「そんな勝者の裁きだったのに、何故日本だけが、我々がずっと責められなければならないのですか」と問う学生たちにどう答えれば良いのか。そもそも、外国人の私の意図は誤解されることなく、きちんと伝わるのだろうか。

二年ほど前、野坂昭如の小説を映画化したアニメ「火垂るの墓」の韓国のある大学での上映を巡って、韓国内で賛否両論が報道されたことがある。その時、韓国人の友人たちと何時間もこの問題について話した。私たちが日本に留学していなかったら、おそらくそこまで力を入れて話すことはなかったと思う。同じ韓国人留学生の中でも意見が違う人たちがいることは当然なことであった。しかし何年もの時間を同じ建物で過ごしていても、お互いの意見の違いを知り、理解する機会を持つことは意外とないものだ。もちろん、最初から結論はあるはずのない話だったが、それぞれが自分自身に対して結論を出し、解散した。この時のことを思い出したとき、私の悩みはすんなりと消えていた。

彼らの主張を真正面から受止め、問題を共有すること、そして真摯に答えることのみが私のできる精一杯のことであることに気がついた。発表グループの学生たちと議論を重ねて行くにつれ、私は学生たちに、そして学生たちは私に、言いたいことが、そして聞きたいことがたくさんあることが分かった。東京裁判チームの発表が終わった昨年11月のある日、私は改めて留学当初の自分に戻ったような気がした。

昨年の受講生たちは来春、社会人になるための準備で忙しい。私はいま、二度目の「留学」の初めての春を、一回生とともに送っている。

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<権 南希(くぉん・なみ)☆ Kwon Nami>
韓国大邱市出身。2009年東京大学法学政治学研究科博士過程単位取得満期退学。現在関西大学政策創造学部助教。担当科目は、専門導入ゼミ(国際環境法)、国際公共政策(国際法)など。研究分野は国際法。最近は「武力紛争時における環境問題の国際法的アプローチ」を研究している。
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2010年6月16日配信