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エッセイ246:李 恩民「人民元切り上げ?中国都市住民の動き」

最近、アメリカ議会やEU諸国は中国通貨・人民元の切り上げを強く要求している。中国政府の予想以上の猛反発から国際社会における人民元への関心は一気に高まった。通常、世界経済・国際貿易の視点からこの問題を考察するが、ここでは次元を変えて、人民元切り上げを予感する中国都市住民の動きを紹介したい。
 
1993年末、中国政府は人民元の為替レートを調整して約30%引き下げた。その結果、1米ドル(以下同じ)=5.8元の公定相場は1ドル=8.7元に統一された。その直後、人民元の対ドル相場は緩やかに上昇し、1997年から2005年までの約9年間、そのレートは基本的に1ドル=8.2元前後に維持されていた。中国が事実上の固定為替制度を取っていると言われる所以はここにある。

1993年の人民元の大規模な引き下げによって、ドルが唯一の安定した通貨であるとの認識が中国全土で広がり、都市住民、特に知識人(留学生だった筆者も含む)は出国など機会がある度に、喜んで所定の金額のドルを購入し、なるべく定期預金にしておく。ドル預金の利息は高く、政府の外貨準備もドルを主としているから、ドル預金は一番有利かつ安全だと思われたからである。

この傾向を加速したのは、1997年のアジア金融危機だ。タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピン、韓国の通貨が相次いで暴落していく波に乗って、中国も人民元を引き下げるのではないかと国際社会は懸念した。そこで「財産の損益」を考える中国都市住民は、慌ててドル買い出しに回った。と言っても、外貨の売買が自由にできなかった当時、闇市場が横行した。各地の「中国銀行」の周辺やホテル・北京空港の周辺には、ドルを買求める人が溢れ、外国旅行客や筆者も含む留学生は買い入れを強いられるケースもあった。

しかし、中国政府は最終的に人民元の引き下げを行わず、危機のさらなる悪化に歯止めをかけた。その結果、貿易損失は大きかったが、「人民元は安定した通貨だ」とのイメージが固められ、中国人自身も人民元に自信を持つようになった。 そして国内ではドル買いの傾向は下火となり、モンゴル、ロシア、ベトナム、ミャンマー、タイ、北朝鮮など周辺諸国との国境貿易では人民元が歓迎され、言わば特定地域の非公式の国際通貨の一種になった。

2001年、輸出競争力の低下などで悩んでいた日本の政財界は、人民元が外国通貨に対して過小評価されているとし、切上げるべきだと指摘、米政府高官も同調した。2003年9月、アジア太平洋経済協力会議(APEC)の財務相会合は、共同声明を発表して人民元切り上げの必要性を示唆した。その後、先進7か国財務相・中央銀行総裁会議(G7)が毎回人民元を主要議題に据え、人民元の変動幅の拡大を求めた。これが国際社会による人民元切り上げ要求の第一ラウンドであった。

こうした国際的圧力を受けた中国政府は建前上、外圧に屈しなかったが、経済実力を反映したより柔軟な為替レートが望ましいとの声に耳を傾けた。2005年7月21日、中国は事前通告なく、自主的に人民元相場形成メカニズムの改革を行い、その結果、人民元対ドル相場は2%の切り上げとなった(1ドル=8.11元)。以降5年間、毎年年末の人民元は前年比2.56-6.9%の上昇率で事実上徐々に切り上がってきており、2010年4月現在は1ドル=6.81~6.83元前後で維持されている。
 
中国政府は外圧よる人民元の切り上げはしないと宣言している。当面、人民元の相対固定相場制は引き続き維持されていくと見られるが、民間は既に新しい動向を見せている。これまでドルを預金してきた市民が、ドルの購買力の低下を心配し、ドル立て貯金の一部を売り出して人民元に換え始めたのである。いつまでも安価な労働力と資源を消耗して作った安価な商品だけを中国のセールス・ポイントとするべきではない、との考え方も広がっているそうだ。中国が現行の為替制度を漸進的に転換し、最終的に変動相場へ移行していくのはもはや時間の問題だと、都市市民が考えていると言ってもよかろう。
 
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<李恩民(リ エンミン)☆Li Enmin>
1961年中国山西省生れ。1996年南開大学で歴史学博士号取得。1999年一橋大学で博士(社会学)取得。現在は桜美林大学リベラルアーツ学群教授。専門は日中関係、現代中国社会論。著書『転換期の中国・日本と台湾』(大平正芳賞受賞)、『「日中平和友好条約」交渉の政治過程』など。
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2010年5月12日配信