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エッセイ247:オリガ・ホメンコ「ウクライナ人の心を治療する女医さん」

オリガさんの家族は皆医者なので、彼女も自然に医者になった。今や自分の病院を経営する有名な医者だ。それと同時に今まで15年以上かけて集めたイコン(聖像)を展示するために家族経営の博物館を創った。
 
オリガさんが子供の頃、ソ連領だったウクライナでは宗教が禁止されていたため、革命前からお爺さんがもっていたイコンは密かにタンスの後ろの壁に隠されていた。それが聖パンテレイモンのイコンである。聖パンテレイモンとは、医者が患者を治療するのを手伝う聖人である。左手に薬箱、右手にスプーンを持つ優しい顔の聖人だ。ソ連時代に子供だったオリガさんは宗教についてあまり考えたことがなかった。学校では「宗教を信じてはいけない」と言われていた。特に、春になってイースターが近づくと、先生は「学校にイースター・ケーキとイースター卵を持ってきてはいけない」と厳しく注意した。イースターがメーデーと重なったある年、オリガさんが翌日に同級生とメーデーのデモに参加するために着て行く服の準備をしている時に、お母さんは台所でイースター・ケーキを密かに作り、お婆ちゃんはイースター卵に、それとは分からないように「XB」という文字を書いていた。それは「復活したイエス・キリスト」という意味だった。それでも、その頃のオリガさんは、あまり深くは考えなかった。大人になってソ連が崩壊した時、昔のイデオロギーに代わる新しいものはでてこなかったので、初めて人々は宗教に目を向けたのだった。

大人になったオリガさんが市場を歩いていたある時、古着を売っているお店を通った。ふと見ると床の上に人間の顔の絵が置かれていることに気づいた。「これは何ですか」と聞くと、「イコンですよ。1ルーブルくれたら売りますよ」と言われた。その当時の1ルーブルは、パン1個を買えるか買えないかというくらいだった。彼女はそのイコンを買った。痛んだイコンを家に持って帰って、きれいに拭いた。宗教に詳しい知り合いに聞くと、それは子供を守って頭をよくさせる聖人の姿だった。オリガさんには3人の子供がいたが、家にそのイコンを飾ると、子供たちはなぜか落ち着くようになった。

そこでオリガさんは家にあった昔のイコンのことを思い出して、タンスの後ろの壁に隠してあったイコンをとりだして飾った。その時からイコンに興味を持ち、いろいろと調べてみたところ、このふたつのイコンは「家庭イコン」だったことがわかった。家庭イコンは教会にあるものと違って、とてもプライベートなもので、その家族のお守りにもなる。

ウクライナではキリスト教を受け入れる前にいろいろな神様を信じていた。そしてキリスト教になっても、その昔の伝統がキリスト教の中に溶け込んだ。つまり、マリア様やキリスト様には大きなお願いや悩み事がある時に祈るが、日常的なことはその家庭にある「担当」の聖人のイコンに心の中で相談していた。

その家庭の裕福さに関係なく、各家には家庭イコンがあった。ただ財布の大きさによって、有名な画家のものだったり、近所に住んでいる田舎のアマチュア画家のものだったりしたが。そしてウクライナの家ではイコンのことを「神様」と呼び、自分の「神様」を家の中の一番きれいな所に飾っていた。そして自分の「神様」が大好きだった。ウクライナの家庭イコンはロシアの暗いイメージと違って、肉体美が溢れたイメージや、優しそうなイメージのものが多かった。その点、ギリシャの伝統的なイコンとも違っていた。本来イコンには図像の規則がたくさんあるが、教会のイコンと違って、家庭イコンでは画家が比較的自由に描くことができたのだった。

昔は、日曜日になると、そのイコンを教会に持って行き、ミサの間は神父さんの後ろに、教会にあるイコンと一緒に並べていた。今はもうその習慣がない。「無神論」というソ連のイデオロギーの70年間の後、昔の家庭イコンはほとんどなくなってしまったからだ。オリガさんは今、家庭イコンがウクライナの家族の絆を強め、伝統的な高い道徳観を守るものと思い、昔の習慣をまた普及させることを望んでいる。

15年前、彼女の手元にあったイコンはたった2枚だったが、今は5000枚になっている。ほとんどのイコンはフリーマーケットで手にいれた。イコンを修復することはやめた。なぜなら、イコンについている傷は、イコンそのものだけでなく、所有していた家族、さらには国の運命を語っているからだ。ソ連の70年間、イコンの意味が分からなくて、捨てたり、傷つけたり、またお金が欲しいという理由で外国に大金で売ったりしていた人も少なくなかった。

手元にたくさんのイコンが集まってきた時、オリガさんは、やはりそれをどこかに飾って、人と触れ合わせる必要があると考えだした。だが、博物館らしくないものが良いと思った。博物館だと、ものに触ってはいけないので「触れ合いの場」にならない。オリガさんは、人々が休む椅子があり、イコンの前にろうそくを立てて祈ったり考えたりすることのできる「場所」が欲しいと思った。そして、やはり、家のものなのだから、パンの香りなどがあったら素晴らしいと思った。

イメージが固まると、そのような物件にもめぐり合った。キエフから東に90キロくらい離れたところに昔の公園に囲まれたミル(粉ひき場)の建物があった。それで家族と相談して、その建物を買った。その建物は18世紀のものだが、不思議なことにそこにはまだ「パンの香り」が残っている。今そこに、彼女のコレクションの全てを入れている。近辺の住民や観光客がよく見に来る。またクリスマスやイースターには、コレクションの一部でウクライナの町を回る巡回展を開いている。

オリガさんは医者として忙しい毎日を送りながら、相変わらず一ヶ月に一回くらいフリーマーケットに出かけて、イコンを探し続けている。ただ最近は、やはり市場にものが減っているようだ。それは外国に売り出されたのかもしれないが、もしかしたらウクライナの人々が自分の伝統に気づき家に飾りはじめたという証拠であるのかもしれない。「そうなっていると良いですね」とオリガさんは微笑みながら言う。

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<オリガ・ホメンコ ☆ Olga Khomenko>
「戦後の広告と女性アイデンティティの関係について」の研究により、2005年東京大学総合文化研究科より博士号を取得。2006年11月から2008年12月まで学術振興会研究員として早稲田大学で研究。2005年11月に「現代ウクライナ短編集」を群像社から出版。現在キエフでフリーの日本語通訳や翻訳、NHKやBBBCのフリーランス記者など、広い範囲で活躍している。
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2010年5月19日配信