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エッセイ249:マックス・マキト「マニラ・レポート2010年春」

「フィリピン人のために死ぬ価値がある」という言葉が刻まれた黄色いゴム製のリストバンドをはめて、2010年5月10日(月)の朝早く、投票所に化けた教会に向かった。この言葉は、1983年8月21日に暗殺されたニノイ・アキノ元上院議員が、米国での長年の亡命生活を終える決断をした時、母国に帰ることに反対する声に対して発した有名な言葉である。当時のマルコス大統領の独裁政権から、民主主義を円滑に取り戻すために帰国を決断したのだった。ある意味で、ニノイが目指したことは実現できた。母国に足を踏んで間もなく(踏んでいないかもしれない)暗殺者の銃弾で命を奪われたが、それがきっかけとなって独裁政権のもとで溜まっていたフィリピン国民の不満が爆発し、1986年のいわゆる無血の黄色い革命でフィリピンに民主主義が戻った。その激変の時代をリードしたのはニノイの妻、コリー・アキノ大統領だった。
 
今回の選挙では、このアキノ夫妻の息子であるノイノイが国の最高責任者の座に適任であるという、国民の審判が下された。選挙結果も勿論重要であるが、今回は、投票方法自体にも様々な進展があり、フィリピンの民主主義も新しい時代に突入したと感じた。

(1)機械化。今回の選挙から投票は機械で読み取り、投票所ごとに数えた票数が選挙本部に無線通信で送られた。今までの選挙では、票は投票箱に投じられ、投票箱ごと選挙本部に運ばれた。黄色い革命の時には、投票箱が安全に運ばれるのを見届けるために、一般市民が真剣な目で見守った。選挙の尊さを守るため、僕は投票箱の上に座り込んだ。ところが今回は、機械化によって、おおよその投票結果がわかったのは、フィリピンらしくないほど早かった。その結果、今回の選挙では選挙結果についての揉め事がほとんどなく、比較的平穏に選挙が終わった。出馬者が自ら敗北を認めた珍しいケースもあった。

(2)調査と発表結果の一致。今までの選挙では、NGOの独自の調査結果と政府の発表結果が大きく異なることが普通であった。今回の選挙においても、違法的に操作されたというクレームがないわけではないが、NGOの調査と政府の投票結果が大体一致していたというのが一般的な見方であろう。僕が調べた限りでは、SOCIAL WEATHER STATIONというNGOが実施した事前調査と開票結果が驚くほど合致していた。つまり、今回の選挙は開票の速度が早いだけではなく正確だったと言えるだろう。

(3)テレビ討論の審判。フィリピンはジャーナリストにとっては世界で1番か2番目に危険とされている。このことは国の治安の悪さを物語っているかもしれないが、僕は彼らの命がけの熱意に敬服している。事実を伝えようというフィリピン人ジャーナリストの使命感と覚悟は誰にも負けない。黄色い革命がまだ進行していた時、政府の統治により言論の自由が奪われたことがあったが、マスコミはただちに反駁し、立ち上がった市民にとって重要な情報源となって、無血にその革命を終わらせることに貢献した。今回の選挙では、マスコミは出馬者に討論の場を提供し、テレビ放送によって一般国民にその様相を紹介した。しかも、討論が終わった直後、会場にいる一般市民の審判を集計してテレビで流した。僕がみた限りその審判は妥当であり、選挙結果にも繋がったようである。

フィリピンの真夏に、投票者でギュウギュウ詰めの投票所は決して楽しいところではない。その夜の家族との団欒でわかったが、ほかのところはもっと深刻だった。暑さに負けて倒れた人々もいたようだ。僕がはめた黄色いリストバンドに刻まれた言葉を思い出させるかのように、投票自体が命がけという場所もあったわけだが、今回はそんなに多くなかった。意外にも、一番早く投票するはずだったノイノイが、投票所の機械の故障によって4時間も待たされた。これは大統領としての彼のこれからの仕事の困難さの前触れであるかもしれない。しかし、ノイノイらしく、慌てることもなく、辛抱強く機械が直るまで待っていたのは、彼の力かもしれない。

今、経済的及び社会の構造的要因によって出稼ぎのために海外で「亡命生活」をせざるをえないフィリピン人が年々増えている。その中には、ノイノイのお父さんのように、いつか帰国したいと考えている人もきっと沢山いる。僕もその一人である。大統領になったノイノイには、このように考えている人々の気持ちを大切にしてもらいたいと思う。つまり、海外からの仕送りに頼るのではなく、国内で雇用を生みだす政策をお願いしたい。
 
今回のマニラ滞在で、僅かながらも母国の進歩を肌で感じて、帰国に一歩近づいたような気がする。地方で遊んでいる土地をいかに生かせるか、妹の高校時代の友人からアドバイスを求められた。農業については素人だが、山もあり、川もある広い土地を現地視察してみたら、その美しさや可能性に魅了された。「環境的に持続可能な共有型成長に貢献できる農業はいかがですか」と提案すると、大変喜んで受けいれてくれた。いつか、フィリピンの地方で農業をするのを楽しみにしている。

実は、この「持続可能な共有型成長」という考え方は、2010年4月28日(水)にフィリピンのアジア太平洋大学(UA&P)で開催したSGRAの第12回日比共有型成長セミナーから思いついたアイデアである。今回のセミナーのテーマは「共有型成長と環境:フィリピン都市道路交通を事例として」であった。(詳細は http://www.aisf.or.jp/sgra/active/schedule/12.php を参照)UA&Pの理事であるバーニー・ヴィリエガス教授が、開会挨拶でセミナーの課題を次のように上手くまとめてくれた。「3E」(或いは「Eの3乗」)とは、EFFICIENCY、EQUITY、ENVIRONMENTのことである。無理やり日本語に訳せば、効率、公平(均等?)、環境であるから、「3K」(又は「Kの3乗」になるかな。EFFICIENCY+EQUITYというのは、僕の研究のメイン・テーマである共有型成長だが、そこにENVIRONMENTを加えて持続可能な共有型成長の概念が誕生した。通常この3Kの間にはトレードオフ(TRADE OFF)があり、3者を並立させるのは大変難しい。

7月3日(土)に蓼科で開催するSGRAフォーラムでは、上記のマニラセミナーの内容に関して報告させていただくので、みなさんお時間があればぜひご参加ください。

選挙に関する資料、投票所の様子、フォーラムの写真

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<マックス・マキト ☆ Max Maquito>
SGRA日比共有型成長セミナー担当研究員。フィリピン大学機械工学部学士、Center for Research and Communication(CRC:現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、アジア太平洋大学にあるCRCの研究顧問。テンプル大学ジャパン講師。
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2010年6月9日配信