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エッセイ244:シム チュン キャット「シンガポールの新しい賭け:カジノ!カジノ!」

国内外の富裕層の取り込みを狙ってあの清廉かつ堅物のイメージで有名なシンガポール政府がちょうど5年前にカジノをつくると宣言したときは、正直にいってシンガポール人でさえ驚かされました。それもいきなり2つも!マジで?大丈夫?などの疑問をよそに、政策を決めたら即刻実施という「効率至上」のシンガポール政府は、あれよあれよという間に入札を始め、そのすぐ後に工事を急ピッチで進めてきました。そして、計画通りに今年2010年の旧正月の元日に一軒目のカジノが始動し、もう一軒も今年の4月末にオーブンすることになりました。

 

もちろん、シンガポールにおいてこれまで賭け事のような産業がまったくなかったわけではありません。イギリスの「伝統」を受け継いで競馬は昔からありますし、宝くじも普通にあります。クルーズに乗れば海上カジノもありますし、橋を渡って国境を越えればマレーシアの高原リゾートにも立派な老舗カジノがあります。さらに、賭け事が好きで今は他界した僕のお祖母さんの話によると、法を犯すことを恐れなければ、ちょっと船に乗ってシンガポールの海域を出たら、違法なインドネシアのカジノ船も何隻か海上に停泊していたそうです(うちのお祖母さんはいったいどこまで賭け事をしに行ったのでしょう…)。

 

ただ、これまでのカジノではクルーズやリゾートに行くための時間と出費、あるいは法網をくぐってまで違法なカジノ船に乗り込む勇気が必要でしたが、国内に簡単にアクセスできるカジノをつくるとなると、話は全然違ってきます。しかも、都市国家シンガポールの国土は東京23区の面積ぐらいしかないので、二つの新しい合法カジノは本当に「ちょっとそこまで」という距離にあるわけですから、カジノ産業によって賭け事にのめり込む国民が増え、仕事放棄、家庭崩壊、犯罪助長の引き金になりやしないかという心配の声があがりました。当然、同じ心配をシンガポール政府の役人も抱えています。かといって国内外の富裕層のお金もほしいものです。さあ、あなたならどうしますか。

 

シンガポール政府が考え出した対策は簡単です。外国人はともかく、賭け事にのめり込む国民が増えることだけが心配の種ならば、その国民をカジノに来にくくさせればいいのです。そこで、シンガポールの国民と永住者に限り、100ドル(約7千円)のカジノ入場税が課されることになりました。カジノに入場するための税金が導入されたのは世界初だそうです。またご親切に、2000ドル(約14万円)の年間税を先払いすれば、一年間無制限に入場することもできます。ただし、二つのカジノをまたがっての相互利用はできず、カジノ別の入場税もしくは年間税が必要となります。

 

それだけではありません。三種類の「カジノ排除」(Casino Exclusions)措置も取られることになりました。賭博中毒を自覚しており、自らをカジノから遠ざけるための「自己排除」(Self Exclusion)、親、配偶者、兄弟、子どもなど直接の家族構成員が自分の家族をカジノに入れないための「家族排除」(Family Exclusion)と、破産申告した者や政府から生活保護を受けている者などのカジノへの立ち入りを自動的に禁止する「第三者排除」(Third-Party Exclusion)がそれにあたります。さすがはルールづくりに長けているシンガポールというところでしょうか。一軒目のカジノのオーブン早々、「大阪にカジノを」と掲げる橋本知事がさっそく視察にシンガポールへ行ったのも頷けます。

 

ところが、カジノがオープンした旧正月の元日にシンガポール政府の想定外の事態が起きました。なんと外国のパスポートを持ち、入場税のかからない外国人単純労働者がきれいで快適な設備と無料で提供される飲み物だけを求めに洪水のごとく世界最新のカジノに押し寄せたのです。そのうえ、カジノの清潔な床の上で昼寝する外国人労働者もいっぱいいたようで、華やかに着飾ってカジノを楽しむために来た入場者からは苦情が殺到しました。その後、またいろいろな議論が起きたのは言うまでもありません。外国人労働者にも入場税を課すべきだとか、そもそもあの立派なカジノをつくったのが工事現場で働く外国人労働者なのですから彼らも行く権利はあるとか、富裕層は歓迎するのにお金を持たない外国人なら排除するとはいったいシンガポールの社会はどこに向かっているのかとか、とにかくいろいろな意見がマスコミを賑わしたわけですが、二軒目のカジノのオープンを前に新しいルールはまだできていないようです。さあ、あなたならどうしますか。

 

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<シム チュン キャット☆ Sim Choon Kiat☆ 沈 俊傑>

シンガポール教育省・技術教育局の政策企画官などを経て、2008年東京大学教育学研究科博士課程修了、博士号(教育学)を取得。日本学術振興会の外国人特別研究員として研究に従事した後、現在は日本大学と日本女子大学の非常勤講師。SGRA研究員。著作に、「リーディングス・日本の教育と社会--第2巻・学歴社会と受験競争」(本田由紀・平沢和司編)『高校教育における日本とシンガポールのメリトクラシー』第18章(日本図書センター)2007年、「選抜度の低い学校が果たす教育的・社会的機能と役割」(東洋館出版社)2009年。

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2010年4月28日配信