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エッセイ242:ダルウィッシュ ホサム「ダマスカスの伝統:ハンマーム(公衆浴場)への誘い(その2)」

 
入浴は、身体的・宗教的な清めとして、イスラームの文化に根付いている。イスラームの聖典クルアーンは、顔、手から肘まで、そして足先から足首までを洗うことを推奨し、ムスリムは日々の5回のお祈りの前に、この清めの儀式を行う。これは、魂を浄化するには、身体も清められていなければならないからである。このため、ハンマームに行って身体を清潔にすることは、モスクでのお祈りを補完すると言われている。ハンマームは、ムスリムが魂を浄化する上で、特別な精神的・身体的清めの役割を担っていると考えられているのである。
 
ハンマームの雰囲気を言葉だけで表現するのは難しいが、ここでハンマームでの体験を紹介したい。
 
ハンマームは、脱衣所や休憩所がある「バッラーニー」、身体を温める「ウィスターニー」、そして熱いサウナがある「ジュッワーニー」の3つに分かれている。ハンマームの内側は、全面光り輝く大理石で出来ている。ハンマームの入り口の門をくぐると、美しく装飾された噴水が中央に鎮座する「バッラーニー」に入る。噴水の両側には、絨毯が敷き詰められた数段の階段があり、それを上ると脱衣所がある。脱衣所で着替えを済ませると、ハンマームの従業員からタオルと、歩くとカタカタと音がする木製のサンダルを受け取る。タオルを身体に巻き、木製のサンダルをはいて、次に向かうのが温かく熱されたサロン「ウィスターニー」である。熱いサウナに入る前にこのウィスターニーで少し休んで、身体を温める。

身体が温まり、熱いサウナに入る準備が出来たら向かうのが「ジュッワーニー」だ。ここは、燃え盛る炎で熱されたお湯が、パイプを通って部屋の床の下を巡っている。全体が大きなサウナのようになっているが、横には小さな部屋もあり、身体を洗ってもらうこともできる。ジュッワーニーの中には、石の水うけと銅の蛇口があちこちにあり、水蒸気で曇った中にローレルとオリーブ石鹸の香りが立ちこめ、美しく装飾されたドーム型の天井の窓から、日の光が差し込む。子供たちは、石鹸と水蒸気でツルツルになった大理石の床の上を滑り、笑い声をあげて遊ぶ(が、いったん垢擦りに捕まったら、この笑い声は悲鳴に変わる!)。

「ハラーラ」という熱いサウナで汗を流したら、次は垢擦りである。皮膚が赤くなるまで、紙ヤスリのような固いスポンジで身体中をこすられ、垢だけでなく体毛もこすり落とされてしまう(!)。垢擦りが一段落すると、次に待っているのがマッサージである。マッサージは例外無く関節が音をたてるくらい力強いもので、身体中の筋肉の最後の一つまで揉みほぐされる。マッサージには、オリーブ石鹸が使われ、肩から指先までマッサージされる間、抵抗することもできずに静かに横たわっているしかない。しばらくすると、痛みにも慣れ、身体が生まれ変わるような感覚に陥る。

ハンマームで身体を洗い、汗をかき、垢擦りとマッサージを終えると、最後に休憩所が待っている。従業員たちは、「ナイーマン(祝福の意味)」と声をかけながら、ゆったりとした布で身体を覆う伝統的なハンマームの服装に着替えた客を、テラスに案内する。ここでズフーラート(花とハーブのお茶)を飲みながらゆっくりと休憩し、他の客と語らうのは、ハンマームでは必要不可欠だ。純粋に入浴と汗をかくだけの目的でハンマームに来る者はなく、ハンマームは社会的な集まりの場として重要な役割を果たしているのである。

ハンマームは、ダマスカスの文化的な遺産である。これは歴史や建築の観点からだけでなく、その社会的な役割からも言うことができる。なぜなら、ハンマームは、個人が社会活動や伝統を他の人々と共有するための場所、時間そして機会を提供する社会・文化的な空間としての役割を果たしているからだ。また、ハンマームでの社会・文化的な体験を特別なものにするのは、ハンマームの美しい建築であり、中の装飾であり、水の音、窓から差し込む柔らかな自然光、お湯から立ち上る水蒸気、そして天然石鹸の香りなのである。

ハンマームはまた、ダマスカスの人々にとって社会的儀式を行う場所でもある。宗教的な祝日や、家族行事など大事なイベントがあると、人々はハンマームに向かう。この時には、特別な料理とお菓子を入浴後にハンマームで食す。このような機会は男性よりも女性の方が多く、例えば結婚式の前、子供が生まれた40日後、そしてラマダン(断食月)明けのお祭などの機会にハンマームに行くのである。男性の同行無しに外に自由に出られなかった女性にとっては、ハンマームは、家族や親戚、友人が自由に集まって話せる唯一の公的な場所でもあった。
 
ハンマームは、大昔から続くダマスカスの文化的な伝統を、現在も継承し、実行している場所であり、ダマスカスの人々が共有する記憶をとどめている空間なのである。もしダマスカスに行く機会があれば、ぜひハンマームに足を運び、この歴史的な記憶と伝統に触れてみてはいかがだろうか。

・ハンマームの写真はここからご覧ください。

・ホサム「ダマスカスの伝統:ハンマームへの誘い(その1)」はここからご覧いただけます。
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<ホサム・ダルウィッシュ☆Housam Darwisheh>
1979年、シリア(ダマスカス)生まれ。2002年、ダマスカス大学英文学・言語学部学士。2006年、東京外国語大学大学院地域文化研究科平和構築・紛争予防プログラム修士。2010年同博士。現在、東京外国語大学大学院講師・研究員。趣味は、ジョギング、ダルブッカ(中東地域の太鼓)演奏、ダンス。
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2010年4月14日配信