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エッセイ241:ダルウィッシュ ホサム「ダマスカスの伝統:ハンマーム(公衆浴場)への誘い(その1)」

アラビア語で「ディマシュク」と言い、ジャスミンの町として知られるダマスカスは、アブラハムの時代にまでさかのぼり、人々が現在まで住み続けている世界の都市の中で、最も古い。ダマスカスの長い歴史の中で、歴史家たちはこの都市を「ジルク」「ファイハ」「アッシャーム」など様々な名前で呼んで来た。古都ダマスカスは壁と塔、そして7つの門で囲まれていた。この7つの門をくぐれば、目の前には息をのむような建築美が広がっている。預言者ムハンマドは、メッカからの旅の途中、近くの山の頂上からダマスカスを見て、「楽園の門をくぐるのは、死を迎えた時の一度だけにしたい。」として、ダマスカスに一度も足を踏み入れなかったという言い伝えがある。マーク・トゥエインは、1869年の旅行記 “The Innocent Abroad” で、いくつもの帝国の繁栄と衰退を目撃してきたダマスカスを、以下のように書き記している。
 
“Damascus measures time not by days and months and years, but by the empires she has seen rise and prosper and crumble to ruin. She is a type of immortality. In her (Damascus) old age she saw Rome built; she saw it overshadow the world with its power; she saw it perish. …no record event has occurred in the world but Damascus was in existence to receive news of it. Go back as far as you will into the vague past, there was always a Damascus… She has looked upon the dry bones of a thousand empires and will see the tombs of a thousand more before she dies.” Mark Twain. 1869. The Innocent Abroad (Chapter 44).

このエッセイでは、ダマスカスの人々の間で何百年も続く伝統、「ハンマーム・アッスーク/ハンマーム・アッシャービー」(公衆浴場)を紹介しよう。(本エッセイでは、以下「ハンマーム」と略す。)

ダマスカスの人々とハンマームとのつながりには、長い歴史がある。アラビア語で「温かさを広げる」ことを意味するハンマームは、ダマスカスを首都として栄えたウマイヤド朝(662〜750年)から続いている。歴史家の中には、ダマスカスのハンマームはローマ帝国時代にまでさかのぼると主張する者もいる。ダマスカスのハンマームは、多くの歴史家の著作の中に登場する。例えば、著名な歴史家イブン・アサーキル(〜1176年)は、著書『ダマスカスの歴史』の中で、50以上のハンマームに言及している。イブン・シャッダードは、1250年に発表した著作の中で100以上のハンマームを取り上げ、イブン・ジュバイルは、1185年にダマスカスを訪れた時、100以上のハンマームが存在したと書き記している。ダマスカスには160以上のハンマームがあったと言われているが、時代の移り変わりや生活環境の変化と共にその数は減っていった。ダマスカスのハンマームの数は20程度に減少したものの、ダマスカスからハンマームが消えることはなく、現在に至るまで、その扉は地元の人々だけでなく旅人や観光客にも開かれている。

ハンマームはローマ時代の伝統とアラブの伝統が混ざり合って出来たものであり、ハンマームに通う習慣は何百年も前から姿を変えずに続いている。有名なハンマームを挙げれば、旧市街の中のアル・ブズーリーヤ市場の近くでウマイヤド・モスクの東にあり、スルターン(君主)ヌール・アッディーン・アッザンキによって1170年に建てられた「ヌール・アッディーン・アッシャヒード」や、旧市街の城塞とウマイヤド・モスクの間に位置し、985年に建てられた「アル・マリク(王)・アル・ザヒル」などがある。

人々はなぜハンマームに通い続けるのだろうか?ハンマームに行けば、心身ともにリラックスでき、仕事や旅の疲れを癒し、リフレッシュすることができる。それだけでなく、社会的なコミュニケーションの場としても、ハンマームは大きな役割を果たしている。また、ハンマームで温まれば、たくさんの子供に恵まれるようになり、双子の男の子を授かる確率が高くなると信じている人もいる。結婚式や誰かが退院した時、遠くへ旅をしていた友人や家族が帰って来た時など、何かの機会に人々はハンマームに行き、身体を綺麗にしてお祝いをする。これは昔から続く伝統である。

以前よく通っていたハンマームの横にあるコーヒー屋には、千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)や恋物語を語って聞かせる人(ハカワーティー)がいて、その数々の物語の中には、ハンマームが頻繁に登場した。ある物語の中のハンマームの描写を紹介しよう。
 
「昔々、スルターン(君主)の息子が結婚した。結婚式の前夜、新郎と新婦は、召使いたちを連れてハンマームに出かけた(もちろん、別々に!)。新郎と他の男たちは、頭と足から火花が出るまで、ハンマームの熱いベンチに座って汗を流した。また新婦は、ハンマームから出て来ると、この世で最も美しい新婦になっていた。」(つづく)

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<ホサム・ダルウィッシュ☆ Housam Darwisheh>
1979年、シリア(ダマスカス)生まれ。2002年、ダマスカス大学英文学・言語学部学士。2006年、東京外国語大学大学院地域文化研究科平和構築・紛争予防プログラム修士。2010年同博士。現在、東京外国語大学大学院講師・研究員。趣味は、ジョギング、ダルブッカ(中東地域の太鼓)演奏、ダンス。
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2010年4月7日配信