SGRAかわらばん

エッセイ240:葉 文昌「台湾の若者が感じた日本」

2009年12月、台湾の大学の研究室の全員を連れて宮崎で行われた国際学会に参加し
た。メンバーは自分を含めて13名、そのうち海外渡航経験者は11名、日本渡航経験者
は9名であった。国際会議できちんと聴講してもらうのと同時に、日本とは如何なる
所かを体験できるせっかくの機会でもあったので、学会後には、日本の某大学研究室
との交流飲み会や、福岡での温泉付ビジネスホテルの宿泊等を企画した。
  
帰国後、全員に学会とそれ以外の感想を書いてもらった。ここで学生が学会以外に感
じたことをそのまま皆さんに紹介しようと思う。

まずは修2のA君から。「福岡のホテルでB君に温泉浴場に行こうと誘われたけど、
そこは全裸と聞いて恥ずかしいと思った。」「日本は街でゴミを見かけないと聞いた
けど、実際に来て見て本当にそうだった。感服した。」「博多から大宰府まで地下鉄
で行けるので、日本の地下鉄網はとても便利と思った。台湾も将来このように便利に
なればいいな。」

次は海外初めての修2のB君。「大宰府では賽銭の音が大きいほどいいと聞いたの
で、惜しみもなく500円玉を投入した。お守りは800円もするけど、これで御加護が得
られるのなら代償はやむをえない。」「台湾の物価水準から日本を見ると、食べ物は
高く、日用品は安いとの印象を受けた。」

修1で海外初めてのC君。「台湾から日本は2時間ちょっとの距離だけど、まるで別世
界に来たようだ。テレビで見たことがあるものもあるけど、実際に見てみるとまた違
う味がした。そしてもっとも感じたことは日本の生活水準の高さと環境の良さであ
る。」「街は聞いていた通りに綺麗で、しかも台湾のような道を争う車やバイクもな
い。台湾に戻ってきたら少し戸惑った。だから生活環境で台湾が見習う所が多い。で
も台湾にも日本より便利な部分もある。例えばテレビチャンネルの多さとコンビニの
多さ、それから夜遅くまで開いている屋台等、これらは台湾に居ることの幸せであ
る。」
  
続いて新卒の女性事務アシスタント。ここで説明するが、台湾政府はリーマンショッ
ク以来、失業率を下げるために大学に人を雇う予算を与えた。それで僕も申請したら
3人のポストが与えられた。折角の機会なので一つの実験をしたくなった。男女共同
参画の米軍に見習って、事務・研究アシスタントとして新大卒女子を三名雇ったの
だ。これで研究室にはじめて女子が入ってきた。半年間の感想を言うと、実験室の安
全には気を使ったものの、女子の存在で研究室の雰囲気は和らいだし、仕事の面でも
悪い影響を受けた印象はなかった。総じてプラスといえるだろう。ただ一つ、女性は
厳しくすると男性より涙もろいようなので、男女平等と言っても本音で平等に接する
ことは注意が必要のようだ。
 
その三人の女性は今回自費での参加である。自費なので学会に参加する義務はない。
学会の間、彼女達は三人で宮崎観光に出かけた。日本語はできないものの、多くの地
元の方に親切にして頂いたようだ。A子曰く「バスを乗り継いで鵜戸神宮で降りたら
そこに見えるものは山と海だけだった。でも日本人の人情は厚く、沿道ずっと目的地
への行き方を教えてくれる人がいた。しかもあるお土産店のおばさんは歩きやすい行
き方も教えてくれた。平和台公園で道に迷った時にはバスの運転手が無料で目的地ま
で乗せてくれた。」
 
学会翌日の土曜は福岡に移動しての自由時間である。その日は私以外の皆は大宰府に
行った。感想文には、B子の薦めた大宰府の梅枝餅は美味しくてとても感動したと、
皆書いてある。若い人は何を食べても美味しいから羨ましい。私が居たらおそらくは
「これの何が美味しいのかね?所詮は観光客向けのお菓子だろう」などと殺風景なこ
とを言っていたかも知れないので、やはり私は行かなくて正解だった。更にその夜は
事前に調べた有名なラーメン屋さんに行ったようである。福岡での自由時間の計画は
すべて女性達によるもので、男子は計画もなく尻についていく感じだった。翌日の帰
国にもかかわらず女性は夜も店が開いている時間目一杯まで買い物をし、帰国日も朝
早く起きて買い物に出かけた。女性陣にとって今回の旅行は骨の髄まで楽しめたと言
えるのではないか。
 
最後にA子「もう日本を離れる時間になった。台北と比べてこれ以上ない新鮮な空気
が恋しい。綺麗な街道、時間に正確、秩序、それと客への礼儀正しい対応、すべては
とても印象に残りました。このような機会を与えてくれた先生に感謝します。」

これが有終の美を飾る研究室の卒業旅行となった。12月末に、島根大学での准教授就
任が内定したからだ。学生には厳しくも真摯に接してきたから、このことを学生に伝
えるのは悲しかった。でも熟慮して決めたことだから前を向いて進むしかない。3月
には8年間学生と共に手作りで立ち上げた、太陽電池や薄膜トランジスタが作れる薄
膜デバイス研究室は消滅する。4月からの日本での新生活は期待と同時に不安もある
が、期待だけを増幅させて臨んで行きたい。

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<葉 文昌(よう・ぶんしょう) ☆ Yeh Wenchuang>
SGRA「環境とエネルギー」研究チーム研究員。2001年に東京工業大学を卒業後、台湾
へ帰国。2001年、国立雲林科技大学の助理教授、2002年、台湾科技大学の助理教授、
副教授。自己評価による8年間の業績は予算を獲得し装置を手作りして、薄膜トラン
ジスタやシリコン太陽電池が作れる環境を整えたこと。2010年4月より島根大学電子
制御システム工学科の准教授。異国の生活の中で気づいたことは、国籍も人種も意味
はなく、重要なのは食わせて頂いている組織、地域、そして国に、給料を超えた価値
を創出すること。
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2010年3月31日配信