SGRAかわらばん

エッセイ237:張 桂娥「新羅千年の都~雨の慶州を巡る冬の旅~(その1)」

韓国慶州(キョンジュ)で開催される第9回日韓アジア未来フォーラム(2010年2月9日)を控え、一足先に釜山(プサン)入りしたソウル在住のSGRA研究員、金雄熙さん、金賢旭さん、韓京子さんの暖かい出迎えの中、今西淳子さん、石井慶子さん、梁明玉さん、陸載和さん、そして、台湾から東京経由で参加した私が金海空港に到着したのは2月7日午後2時でした。

想定外の好天気に恵まれ、ぽかぽかの陽気に包まれながら、流れていく車窓の風景を眺めていると、海を越えて釜山に来ているのに、なんだか外国に来たという実感があまりしない自分にびっくりしました。どこか懐かしい雰囲気さえ漂っているこの町の風情にすぐに馴染んで、東アジア社会に共通する何らかの繋がりを肌で感じました。今までただの記号としか見えなかったハングル文字も、今にもカラフルな看板から躍り出ようとした感情豊かな文字に見えてきて、ほんの2、3文字でも認識できれば町の景色に少しは溶け込むこともできたのにと、密かに悔やんでいました。

程なくホテルに到着し、今回の発表者の横山太郎先生(跡見学園女子大学)と合流し、部屋に荷物をおろしてから、みんなで(しかも自家用車一台で六人乗り⇒さすが華奢な女性陣ならではの凄技ですね^^)海雲台(ヘウンデ)ビーチの美しさを堪能できる釜山ウェスティン朝鮮ホテルの喫茶ラウンジに繰り出しました。素晴らしい砂浜の景色を眺めながら、自己紹介に続いて、日本・韓国・台湾の大学教育現場の珍現象について議論したり、梁明玉さんのお姉様の梁明順さんからの差し入れ=美味しい干し柿(マシッソヨ!!カムサミダ!!)をつまんだりして、優雅なティータイムを心ゆくまで満喫しました。(この旅の初めから終わりまで、梁明順さんの至れり尽くせりのサービスにはただただ感謝の一言です。どうもありがとうございました!)

しばらくすると、もう一人の発表者である藤田隆則先生(京都市立芸術大学)と上述のソウルからの参加者が到着し、全員集合。釜山在住の朴貞蘭さんを入れて総勢12人でわいわい話しながら、海雲台ビーチを一望するラウンジの窓際の特等席を独占していました。もちろん、フォーラムの打ち合わせや翌日の慶州観光ツアーのスケジュールの確認も入念に済ませました。そして、歓談も一段落ついたころ、夕日に染まり始めた白い砂浜を後にした全員は、二台の車(うち一台は乗客定員11名の現代(ヒョンデ)ワゴンレンタカー)に分乗してレストランへ向かいました。
 
数年前から韓国料理のおいしさに目覚めた私は、韓国でのご馳走といえばお馴染みの焼肉やブルコギか伝統的宮廷料理と思い込んでいましたが、幹事の朴貞蘭さんが案内してくださったのは、なんと「夢」と名づけられた高級日本料理店!!朴さんのご主人のお勧めでもあるようですが、ぜひ韓国人の目線から捉えられた日本料理のあり方を体験してもらいたいという企画動機を聞いて、なるほど、この店で出された日本料理を食べたら、韓国の人々に受け入れられる日本料理の姿がわかるということになるわけです。まあ、韓国料理は明日も明後日も食べられる機会がいくらでもあるし、せっかくのチャンスなので、世界に広がりつつある日本料理を通じて、食生活における異文化理解にアプローチしようじゃないかと期待を膨らましながら席に着きました。

さすが、プサンの政財界にも名の知られるご接待向けの日本料亭だけあって、出された料理の数々は、日本人でも納得できる秀逸の品ぞろい。お刺身、ふぐのてっさ、焼き魚、煮魚、珍味、漬物、しめのうどんやご飯と味噌汁。しかし、一見高級日本料理の素材がふんだんに取り入れられても、ドレッシングやソースの種類をはじめ、付け合せの野菜や食べ方は、やはり韓国料理的要素が上手にミックスされていると感動しました。地元の人でもめったに体験できない日韓食文化の集大成に舌鼓を打った私は、韓国における台湾料理を一回だけでも味見したいなって、ついに欲が出てしまいましたが……。

会席の間に交わした話題は、今回のフォーラムテーマである「東アジアにおける公演文化(芸能)の発生と現在:その普遍性と独自性」にちなんで、日韓中における伝統的芸能の様々な様相をはじめ、接待向けの座敷から生まれた日本の遊女・舞妓・芸者文化や韓国の妓生(キーセン。Wikipediaによれば「朝鮮国に於いて、諸外国からの使者や高官の歓待や宮中内の宴会などで楽技を披露するために準備された女性の事をさす。しかし実際の妓生の位置付けは芸妓を兼業とする娼婦である。」)まで広がり、東アジアの民族性や民俗イベントの異質性と同質性をめぐる熱き論議が繰り広げられていました。専門外の私も時々箸を置いて日韓双方の見解に耳を傾けて頷くほど、本番のフォーラムに遜色のない真剣な話題も盛りだくさんでした。これぞ、SGRAの醍醐味ではないかとつくづく思ったのは私だけでしょうか。まだ初日での顔合わせの段階なのに、参加者たちの気持ちはすでに未来フォーラムに向けて、着々とウォーミングアップし、後一歩で準備完了といったところでした。
 
翌日2月8日早朝、車で未来フォーラムの開催地である慶州へ移動しました。予想した以上に時間がかかったため、急遽、観光ツアーコースの途中の観光名所に先回りして、そこで待機することになりました。慶州鮑石亭(ポソクジョン)址は新羅の風流を知る場所でありながら、新羅千年の幕が降ろされたと伝わる悲劇の場所でもあるといいます。慶州の遺跡に熱い眼差しを注いできた美術史家の陸載和さん(武蔵野美術大学)の情熱あふれるガイドに従って鮑石亭の由来や見所を見学している間に、バスがようやく到着しました。いよいよ慶州旅行ツアーのスタートです。残念なことに、晴れ女たちの実力が発揮できず、慶州に入ってから、終始あいにくの天気でした。それでも私たちは、スーパーガイド陸さんの金メダル級の流麗な素晴らしい解説に引き込まれ、新羅千年の古都慶州を巡る冬の旅に興味津々で観光バスに乗り込んで、車窓に映る雨模様の古の都の風景を眺めながら天馬塚(古墳公園)へ出発しました。

最も大きい規模を誇る新羅時代の古墳公園大陵苑にある天馬塚は、唯一内部が観光客に公開されている陵で、墓の内部には発掘した金冠、装身具などの出土遺物のレプリカが展示されています。SGRAメンバーたちは絶好のシャッターチャンスを逃さず、早速その入り口で記念写真を撮りました。次の観光スポットは、瞻星臺という東洋に現存する最も古い天文台として知られている石塔でした。その優雅な曲線美と、四角、丸の絶妙な調和の取れた建築物として評価を受けている瞻星臺は、星を観測する天文台と判断されているが、古代美術史の若き新鋭研究者の陸さんは、異なる見解を持っておられるようです。門外漢の私は、遺跡を巡る様々な仮説に果敢的に挑んでいく陸さんの追究心にひたすら感服しているだけでした。(つづく)

釜山慶州旅行と日韓アジア未来フォーラムの写真を下記よりご覧ください。

張桂娥撮影
石井慶子撮影

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<張 桂娥(チョウ・ケイガ)☆ Chang Kuei-E>
台湾花蓮出身、台北在住。2008年に東京学芸大学連合学校教育学研究科より博士号(教育学)取得。専門分野は児童文学、日本近現代文学、翻訳論。現在、東呉大学日本語学科助理教授。授業と研究の傍ら日本児童文学作品の翻訳出版にも取り組んでいる。SGRA会員。
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2010年2月24日