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エッセイ234:今西淳子「アジア市民の育成を掲げた留学政策を」

鳩山政権になって、にわかに東アジア共同体構想が語られるようになった。しかし、アジア各国との首脳会議で言及されても同床異夢であると指摘されたように、いまだその実態が何であるのかほとんどつかめない。近年、東アジア諸国においては、めざましい経済発展に伴って中産階級が生まれた。また各国とも欧米、特にアメリカの文化や教育の影響を非常に強く受け、さらには交通情報技術の発展による情報化と人的交流が進み、以前に比べて共通する要素がめざましく増加したことが指摘されている。しかしながら、この地域では、言語や宗教や文化の多様性に加えて、未だに政治体制が異なっており、各国の社会基盤も、さらには国民の思想基盤も一様ではない。このような状況のもとでは、政治の主導、あるいは経済による枠組み作りと同時に、その地域の人々の問題意識の共有化への地道な努力が必要だと思う。まずは、アジア人、さらには、鳩山総理が語る「個の自立と共生」を包含する「アジア市民」の育成をめざした国際教育政策を、東アジア各国の教育機関が共有するところから始めるべきなのではないか。
 
日本では、1983年に中曽根内閣で提唱された「留学生受入10万人政策」が2001年に達成され、先日発表された日本学生支援機構の統計によれば、2009年5月の留学生数は132,720人となった。これは前年と比べて7.2%増で過去最高である。そして、現在、福田内閣で開始された留学生受入30万人政策が進んでいる。

戦後賠償に代わるものとして1954年に始まった国費奨学金(現在の文部科学省奨学金)は、アジア各国から優秀な学生を招き日本の先進技術やシステムを学んで帰国後に母国の発展に寄与することを目的としていた。その後、経済大国となった日本のODAの利用もあり奨学金総額も増え、また留学生に対するアルバイトの許可等により、中国と韓国を中心に多くの留学生が渡日するようになった。受入体制の不備による混乱等から批判もあるが、これらの留学生政策はそれなりの成果をあげてきていると思う。以前に比べて大学や社会に外国人が増え、日本人も「異邦人」に慣れてきた。

ところが、バブルがはじけ、さらには少子化が進むと、日本の留学生政策や施策の目的が大きく変化し、学生不足に悩む大学の定員割れを防ぐため、あるいは留学生に卒業後就職してもらって減少する労働力を補うためという、日本の経済活動の救済が目的のひとつに組み込まれ、「高度人材の育成」という「理念」をもって語られるようになった。

一方、2008年に発表された「留学生30万人計画」は、日本を世界により開かれた国とし、アジア、世界の間のヒト・モノ・カネ、情報の流れを拡大する「グローバル戦略」を展開する一環と位置付けている。大学学部における英語による授業の推進など議論も多いようだが、日本自身が変わらなければいけないということにようやく気付いたと言えるのかもしれない。
 
日本の大学や大学院で勉強する留学生は、60%を占める中国を中心に、アジア圏の出身者が90%を越えるにもかかわらず、アジア域内での人的交流を強調する記述は従来の留学政策には見られない。東アジア共同体をめざすのであれば、アジアからの留学生が圧倒的に多いという実体をふまえて、彼らのひとりひとりが「アジアの一員である」という意識、さらには「アジアの市民」であるという自覚を促すことを留学政策の目的のひとつとして掲げることは効果的なのではないだろうか。具体的には、エラスムス計画などで「EU市民の育成」を目的として域内の青少年交流を積極的に推進してきたヨーロッパ共同体の経験が参考になるだろう。日本の各大学は、日本だけではなく、アジア全体の発展に寄与するアジア市民の育成をめざすという意欲を示してほしい。そして、この考え方が東アジア各国の大学にも共有されることを望む。「良き国民」であると同時に「良きアジア市民」であることへ人々の意識が展開していくのには、長い時間が必要とされているかもしれないが、まずはスタートすることが大切である。なぜならば、これはやがて普遍的な価値観がこの地域に普及することにつながるはずだから。
 
具体的には、短期留学の推奨である。従来、日本の大学が受け入れる留学生は、学位取得を目的とした長期滞在者が多かった。このようなタイプの留学は、勿論これからも続いていくだろうが、通信と交通技術の爆発的進歩によって人々が自由に移動できるようになった今日では、アジア各国において、交換留学や1年未満の語学研修、あるいは異文化体験を目的とした短期留学を大いに奨励してほしい。短期間であっても若い時に経験した異文化体験は、その人のその後の物事の判断に大きな影響を与えるという調査もある。日本と留学生の母国だけではなく、アジア地域内で大量の若者の相互交流が行われるような東アジア地域としての教育政策を、アジア各国が協力してうちたててほしい。ひとりの若者が複数のアジア諸国、あるいは域外の国にも滞在し、この地域の多様性と同質性を体験することを、非常に大きな規模で推進してほしい。

「東アジア」を提唱するとしても、当然それは開かれていなければならず、他の地域を排除するものではない。短期留学の推進により、アジア各国だけでなく欧米からの留学生の増加が報告されているが、これは「東アジア市民」の育成という目標に何ら反するものではなく、むしろ「良き市民」意識の醸成において、大きなプラスとなるであろう。

短期留学を非常に大きな規模で促進するためにはアジア各国における大学間の単位の交換システムの整備が急務であるし、専門の担当者の育成、宿舎の整備、ボランティアの組織化、リスクマネジメントなど、多くの課題をすみやかに解決していかなければならないだろう。単位交換システムについては、むしろ日本の大学の方が消極的であるとも聞く。大局を見て戦略的にグローバル化を進めることが必要であるということかもしれない。そして、内向き傾向がますます強まる日本人の若者たちには、自分の大学、自分の国に引きこもらずに、在学中に一度は外へでて異文化を経験しなければならないような環境作りが望まれる。

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<今西淳子(いまにし・じゅんこ☆IMANISHI Junko>
学習院大学文学部卒。コロンビア大学大学院美術史考古学学科修士。1994年に家族で設立した(財)渥美国際交流奨学財団に設立時から常務理事として関わる。留学生の経済的支援だけでなく、知日派外国人研究者のネットワークの構築を目指す。2000年に「関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)」を設立。また、1997年より異文化理解と平和教育のグローバル組織であるCISVの運営に加わり、現在英国法人CISV International副会長。
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2010年2月3日配信