SGRAかわらばん

エッセイ233:マックス・マキト「マニラ・レポート2009年冬」

今年も年末年始をマニラで過ごすことができた。12月9日、マニラ空港到着後恒例になったJOLLIBEE(マクドナルドが苦戦している現地のファースト・フード)のTWO PIECEチキン弁当(200円ぐらい)は、迎えの車中で食べざるをえなかった。お店でほかほかを食べられなかったのは、到着時刻の午後1時半から始まっているGOOD GOVERNANCEプロジェクトのワークショップで総括発表をすることになっていたからである。妹がマニラの渋滞を上手く避けてドライブしてくれたおかげで、質疑応答の時間にも間に合った。参加者は思ったより少なかったが、メンバー全員の前で、このプロジェクトの全体構造について意見を述べることができた。このプロジェクトにおいて、教育、水道、健康という分野に対する政府の支出は、貧困者の人的資本(HUMAN CAPITAL)に対する支出と見なされるべきであり、それらの支出により、貧困者の生産性も高まるので、自然に共有型成長に貢献すると主張した。

尚、先週、プラハで開催された15ヵ国が参加した報告大会で、このプロジェクトの報告がモデルになると世界銀行を含む助成側の評価を得た。12月のワークショップがガラガラだったのでがっかりしたが、このニュースは心強い。

3ヶ月ぶりに実家に帰って、家族から話を聞いた。2009年9月にONDOYという大型台風が、我が家のある川沿いの谷にある地区にもたらした被害は、マニラ都内で最も大きかった。記録的な雨量はアメリカで大被害をもたらしたハリケーンKATRINAの倍で、マニラの1ヶ月分の平均雨量(9月はフィリピンの雨季のど真ん中)が6時間で降ったという。幸い、番犬を含む家族全員無事だったが、洪水はもう少しで2階まで達するほどだったそうである。しかしながら、最大被害地でありながら、市長の懸命な努力により、マニラで一番早く回復した地区だとされている。

家族の中で最も被害を受けたのは、3人のお手伝いさん(KASAMA、つまり「一緒に住む仲間」と呼ぶ)だった。フィリピン人の習慣であるのか、台風の後に家族の安否を聞かれたとき、彼女たちは笑顔で「家が流されたから家の問題なんてないさ」と答えたそうである。実をいうと、親子3人のお手伝いさんは必要ではないのだが、社会福祉活動と考えて、無理してもKASAMAとしている。要請はないけれども、僅かなクリスマス・ボーナスをあげることしか僕にはできない。
いや、そうではないかもしれない。僕の研究テーマは「共有型成長」である。彼女たちのような境遇の多くの人々のためにも僕の研究の必要性があると、改めて痛感した。

12月17日に、SGRA顧問の平川均教授がマニラに到着した。先生との共同研究のおかげで今回もマニラの訪問調査をすることができた。共有型成長に大きく貢献しうる自動車産業の調査をしている。政府(通産省)、大学(フィリピン大学、アジア太平洋大学)、産業(トヨタ、フォードなどの組み立て企業の役員、下請け企業協会会長、フィリピン自動車競争力機構長など)、マスコミからヒアリングを行った。平川先生はクリスマス・イブに日本に帰国したが、僕は日本に戻る1月9日の前夜まで調査を続けた。

平川先生との自由時間のメイン・イベントは市場(いちば)にいったことかもしれない。平川先生は、市場の隣にある郵便局で、世界への年賀状を投函した。僕は「ちゃんと届きますように」と心の中で静かに祈った(先生は「大丈夫」と僕より楽観的だった)。この機会に、僕は市場の上にあった選挙登録所に寄った。今年の5月に行なわれる大統領選挙に僕の高校時代の同級生が出馬するので投票したいが、東京のフィリピン大使館の選挙登録に間にあわなかった。運良く僕がマニラ滞在中に政府が選挙登録期間の延長を決めたからだ。今のところ、一般調査では、同級生の彼が一番人気であるが、そうではなくても投票する努力は市民(同級生?)の義務ですね。幸いに、平川先生も退屈せずに、市場観光を楽しんでいたようだ。

相変わらず、フィリピンの自動車産業界は大騒ぎである。自由貿易派(主に輸入業者)と保護貿易派(現地生産者)との亀裂が依然として大きい。僕はできるかぎり自由貿易派の言い分を全面的に否定しないようにしながらも、一時的な保護を弁護している。大統領は自動車産業に対する保護装置のための法案を国会で審議するよう議会に要請したが、大統領選挙が迫っているので、議会はもうそれどころではないようだ。

このような状況のなか、ペニンシュラ・ホテルで会った下請け企業協会の会長は、「まだ先が見えない」と言いながら、工事中のビルに僕らを案内してくれた。そこで自動車産業関係の人材を育成する予定だそうだ。「もし宜しければ、マニラ滞在中はここに事務所を構えれば?」と誘われた。平川先生も短期滞在用の部屋に泊まればいいでしょうと。寛大なお誘いに、僕達は照れるばかりだったが、次回は是非その可能性を模索したい。このような積極的な態度が基になって、彼の系列が関わっている三菱自動車の日本社長が「フィリピンには潜在力があるので、我々はフィリピン政府の応援があるという前提で、更に投資する心構えがある」という昨年12月の発言を生み出したのであろう。

このような間にも、中国などからの格安の完成車がフィリピン市場に出回りつつあり、消費者にその便益を与えながら、現地生産者から仕事を奪っている。長期的にみても現地生産業に悪い影響しか与えないであろう。フォード会長は、2時間もくださったヒアリングの冒頭から、「日本の中古車のフィリピン進出は、先進国の行動として相応しくない」と強調した。その前にインタビューした通産省の人は「今の状況では、保護政策をとったとしても日本人から日本人を救うだけだ」と話していた。フィリピンへ自動車を輸出するのも日本の企業だし、その打撃を受ける現地の主な生産者も日系企業だからだ。勿論、僕はできるだけ日本を弁護してみたが、事実は否定できない。

今回の調査に関する新聞記事は下記からご覧ください。

BusinessWorld

Manila Bulletin

毎年クリスマスの夜に調査先のスラムでサンタ・クロース役をしている中西徹教授が、自宅から電車一本で行けるところで忘年会(?)をしてくれた。中西先生が育ててきた調査対象の子供たちが5人、フィリピンの一流大学に入学できたそうである。これは大いにフィリピンの共有型成長に貢献できると期待している。やはり、手厚くサポートすればできるのですね。

僕が行っているSGRAとUA&P(アジア太平洋大学)との共同研究を継続し公表していく活動について、CENTER FOR RESEARCH AND COMMUNICATION(CRC)財団と正式な関係を交渉中であり、アドバイスと支援をお願いした。勿論平川先生も今西代表もサポートしてくださっている。日本からの暖かい応援のおかげで、CRCの役員でもあるヴィリエガス教授は概ね前向きである。

今回のマニラ滞在中、生まれて初めてフィリピンのフランス料理をいただいた。フィリピン自動車競争力機構の機構長が平川先生と僕を招待してくれ、僕達の研究について話し合った。高級レストランだったが、ランチの後に政府の人とのアポイントがあったので、フランス人のように数時間かけてはいられなかった。僕の共有型成長の研究は、時間的かつ資金的にゆっくり味わう余裕はないかもしれませんが、みなさん、今年も宜しくお願いします。

マニラの写真をご覧ください。

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<マックス・マキト ☆ Max Maquito>
SGRA運営委員、SGRA「グローバル化と日本の独自性」研究チームチーフ。フィリピン大学機械工学部学士、Center for Research and Communication(CRC;現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、(財)CRC研究所研究顧問。
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2010年1月27日配信