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エッセイ232:オリガ・ホメンコ 「アナスタシア:古い伝統を守る若きウクライナ人」

彼女はジャーナリズム学部を卒業して、今大学院で歴史学を学んでいます。アナスタシアさんと言いまして、26歳で、2人の子どもの若き母親です。長男は2歳で、次男は6カ月です。そして母親の仕事と大学院の勉強を両立しながら、大人と子供むけの子守歌のクラスを開いています。

アナスタシアさんが長男をみごもって「母親学級」に参加したとき、そこでは育児方法だけでなく子守歌も教えていました。子守歌は子どもが初めて聞く言葉なので、赤ちゃんと母親の最初のふれあいの「時」になると、先生が言っていました。しかしながら、なぜかそのときに教えてもらった歌は全部ロシア語でした。ウクライナは独立してからもう18年もたっているのに、若い母親に教えられているのはロシア語の子守歌だったことに驚きました。あかちゃんが生まれて初めて聞く歌なのですから、その子の潜在意識の中に残る歌はウクライナ語ではなくロシア語になる可能性が高いと思いました。ウクライナ人としてのアイデンティティを強く認識しているアナスタシアさんは、それではいけないと思いました。

実は彼女が子どものとき、まだソ連時代でロシア語の教育が政治的な政策として実施されていた頃に、キエフでたった5%しかなかったウクライナ学校に通っていました。そこでは授業はみなウクライナ語でしたが、出世するためにはロシア語が必要だと子どもたちも分かっていました。当時、言語政策の一環として、ロシア語は「都会語」、ウクライナ語は「田舎語」という意識を教えられたので、子どもたちは「ロシア語は格好いい」と思い込んでいて、この学校の授業や家ではウクライナ語だったのにもかかわらず、休み時間にはお互いに「格好をつける」という意味もあってロシア語で話していました。しかしながら、高校生になった時、アナスタシアさんは学校の休み時間でもウクライナ語で話すことにしました。最初はからかわれたけれども、そのうち皆慣れたようでした。

大学の頃には、もう独立してから10年も過ぎ、言語に関する法律も制定・施行されたので、公式的な場だけではなく、日常的にウクライナ語を話す人が非常に多くなりました。しかしながら、この母親学級では、なぜかまだロシア語の子守歌が教えられていました。そこで、先生に「どうしてウクライナ語の子守歌を教えないのですか」と聞くと、「知らないから」という答えでした。70年間もソ連時代が続いたのでロシア語が日常生活の中にしみ込んで、子守歌までロシア語になったとことを悲しんだアナスタシアさんは、自ら子守歌を探す活動を始めました。自分の赤ちゃんにはウクライナ語で子守歌を歌って、子どもたちをウクライナ人として育てたいという強い願望があったからです。

図書館や資料館などに出かけて資料を収集し、関係する音楽のCDを全て買い集めました。そうすると、ウクライナの子守歌の本がないことに気付きました。遊び歌、伝統行事の歌、お祭りの歌などの本はあるのに、楽譜つきの子守歌だけの本は見つかりませんでした。本がないから人々がウクライナの子守歌を習うことができなかったのだと思いました。

子どもが生まれて3ヶ月たった頃、アナスタシアさんはすでに20くらいの子守歌を集めていたので、自分と同じくらい年齢で子どもを持っている親たちのためにクラスを開きました。そこで2週間に1回程度で子守歌を教えています。今、そのクラスに訪れるのは母親たちだけではなく、若いお父さんたちや年よりのおばあちゃんたちもいます。彼らもやはり自分の子どもや孫に子守歌を歌いたいという気持ちが強いのです。そしてロシア語ではなく、ウクライナ語で歌ってウクライナの民族意識を持った子どもを育てたいという思いも少なくありません。このクラスはもう2年にわたって行われています。全くボランティアです。

今年のクリスマスには、初めて子守歌とは別に、聖書をテーマとする伝統的な劇も勉強しました。参加者の間で役を分けて練習しました。2歳になった子どもたちも参加しました。よりたくさんの人に見てもらいたいという気持ちで、旧歴で祝うウクライナのクリスマスの1月7日に、町の広場で上演しました。
 
アナスタシアさんに「どうしてこの活動をしているのですか」と聞くと、「自分の伝統や習慣に興味があります」と恥ずかしそうに答えます。しかしながら、このような個人的な活動のおかげで、若いウクライナ人たちは自分のアイデンティティに気づき、周りの人々にもそれを気付かせ、自信を与えています。ウクライナの伝統がこれからもちゃんと生き続けていくように、そしてウクライナが盛んになるようにと。

★このお話は、2010年1月23日(土)に、NHK BSで放映されます。

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<オリガ・ホメンコ ☆ Olga Khomenko>
「戦後の広告と女性アイデンティティの関係について」の研究により、2005年東京大学総合文化研究科より博士号を取得。2006年11月から2008年12月まで学術振興会研究員として早稲田大学で研究。2005年11月に「現代ウクライナ短編集」を群像社から出版。現在キエフでフリーの日本語通訳や翻訳、NHKやBBCのフリーランス記者など、広い範囲で活躍している。
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2010年1月20日配信