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エッセイ229:趙 長祥「深秋のキャンパス:キャンパス生活シリーズ③」

夏休みの大騒ぎから、既に3ヶ月が過ぎ去った(キャンパス生活シリーズ②参照)。おかげで私の夏休み計画(論文と本の出版) は半分しか達成できなかった。2002年から建設が始まったこのキャンパス(中国青島にある海洋大学法政学院)は、主要な工事は終わったものの、現在も周辺の工事が進んでおり、時々物凄い噪音が響き、休んでいられないほどである。中国の工事現場には、日本と違って噪音やほこり対策などなく、また、しばしば深夜や早朝のでも工事をしている 。

今は深秋の末、初冬である。涼しい微風も徐々に冷たい風に変わり、緑溢れた草や木々の葉は冷たい風を受けて黄色くなり、徐々に母体を離れて大地に舞い降り、干裂な冬の土壌に埋め込まれ、来春のルネサンスに向けて力を蓄える時期となっている。中国北方の冬景色と同じく、このキャンパスもだんだん荒涼とした風景に代わっていく。正に北宋の大詩人(中国史上最も傑出した女流詩人) 李清照の詩に描かれた情景である。「帘卷西风,人比黄花瘦」、それを解釈すると、「The west wind flow the cotton, I’m more frail than the yellow chrysanthemums」となる。単なる風景を描くように見えるが、実際、この詩句には、景色や天気の描述を借りて詩人の気持に喩えられ、更なる景色や気持の寂しさを描き出すという意味が書き込められた。「以景喩人(景色をもって、人に喩える)」の手法である。

中国の北方の冬景色というと、緑が少ないため、どうしても荒涼、寂莫といった気配が感じられる。しかし、近年、経済と技術の発展につれて、従来南方にしか生長できなかった花、草、木々などが北方にも移植され、冷たく寂しい真冬でも緑にふれ合い、生き生きとしたエネルーギを感じるようになった。このキャンパスの一部に、冬でも人の目を楽しませるような植物が移植されている。例えばアパートの下に植えられている「紅豆樹」。夏には緑の葉がいっぱいであるが、秋と冬には、木の下に植えられた芝生に枯れ葉が落ちても、赤い豆を枝にいっぱい実らせる。鮮明な赤で枯黄色一色の冬の中で四季の色を彩り、寒い冬に人々の目を楽しませて、エネルーギを贈っている。

さて、キャンパスの一隅にある丘はこの時期にはどのような風景になったのだろう。

つい最近、食事の後、夕焼けが空に染まる頃にキャンパスの丘に登ってみた。風はそれほど冷たくなかった。遠くからみると、半分が枯れぎみの黄色、半分が未だ緑に覆われている。近づいてみると、枯れぎみの部分はアカシアや草類が生息する部分であるが、青々と茂っている部分には背の高い針葉松と背の低い青松に覆れている。松は耐寒力が強いため冬でも青々として自己の生命力をアピールしている。丘から周りをみると、日没に近かったため、少しぼんやりとしていた。キャンパスの赤煉瓦に覆れた建物は夕日に照らされて一層赤く染まり、人に時空倒錯のもうりょう感を与える。ただし、緑が少なくなっているため、赤と緑が相互に輝く躍動感がなくなり、西部の「秋水共長天一色(秋には沙漠、川水と空と一色となる)」の雄壮感もなく、なんとなく欠落感がある。周囲の村落も同様だった。

春夏秋冬、四季の移り変わりつれて大自然の色が異なり、キャンパスの色彩も変化する。四季が変わっていくにつれて、キャンパスの光景も物語も変わっていく。人それぞれの人生も、四季やキャンパスの光景と同じく、それぞれの物語があり、輝く時期もあれば、グレーの時期もある。山もあれば、谷もある。それぞれの色にあわせてどのような変化へ立ち向かっていくのか。人それぞれの人生が決められて行く。

このキャンパスにきてから、既に2年間経った。その間、色々な経験をさせてもらった。良し悪しを別にして、経験は人生に不可欠なものであり、その人にしかできないものである。この2年間をまとめて、そろそろこのキャンパスを離れる時期がきていると決意した。このキャンパス生活シリーズもこれて終わり。安らぎをくれたこのキャンパスの丘を胸に刻み、つねにその色と変化、そしてその変化によって私に持たらされた感動、楽しみや悲しみを持って、自分の人生をさらに豊かにしていきたいと思っている。

深秋のキャンパスの写真

キャンパス生活シリーズ②「雨季のキャンパスの光景」

キャンパス生活シリーズ①「零落黄泥碾作塵、惟有香如故」

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<趙 長祥(ちょう・ちょうしょう)☆Zhao Changxiang>
2006年一橋大学大学院商学研究科より商学博士号を取得。現在、中国海洋大学法政学院で准教授。専門はイノベーションと起業家精神、企業戦略。SGRA研究員。
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2009年12月30日配信