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エッセイ220:林 泉忠「天山の麓の調和社会をどう構築するのか(その2)」
● ウイグル族の文化危機感
その他の少数民族の状況と同様、新疆のウイグル族が直面している自民族の文化的危機感は市場の開放によってもたらされた問題に起因する。それは、主に二つの側面を表している。
まず、経済の活性化に伴い人口も急速に移動するようになった。一部のウイグル人が沿海地区へと生計の道を求める一方、更に多くの漢人はビジネスのチャンスを求めて新疆に入った。1949年当時の漢族の人口は新疆の総人口のたった6パーセントにすぎなかったが、いまではすでに41パーセントまでに増加した。数百年の間、この土地の大多数を占めてきたウイグル族は、いま総人口の45パーセントしかいない。これはウイグル族の長い間の悩み事となった。また、多くの少数民族と同じく、ウイグル語はウイグル族の民族言語ではあるが、新疆では主流言語になっていない。実際、漢族の人々はウイグル語を学ばず、ウイグル族の多くいる小学校と中・高校でもウイグル語が次第にフェード・アウトし、大学になるとほとんどウイグル語には無縁となっている。
それに、市場経済に伴い、条件の良い仕事を求めるために、ウイグル族の若者は漢語(中国語)の学習にエネルギーを投じねばならないようになった。このような状況の中で、民族文化に対する危機意識がウイグル族の間にますます広がっているのである。
政府の宗教に対する厳しい管理もまたウイグル族の文化危機感をもたらす要因である。『あなたの西域・私の東土』を執筆した王力雄氏はフィールド調査のため、スバシ古城の近くにあるウイグルの村を訪ねた際、学校の掲示板に、「不法な宗教活動」とされる条目を目をした。その中には、「個人による経文学校の運営、伝統的挙式による結婚、学生の礼拝、伝統による社会生活の干渉、政府管理以外の礼拝活動、無許可の宗教施設の設立、無認可の宗教活動、地区間の宗教交流、宗教の宣伝物の印刷および配布、海外の宗教団体による寄贈の受け入れ、海外での宗教活動、入信の勧誘」などが含まれていた。このように厳しい宗教政策の下で、憲法に書かれている「宗教の自由」がただの見せかけと批判されているのである。
少数民族問題に対する中国政府の対応において、もう一つの盲点が存在する。すなわち、民族問題の存在を認めようとしないことである。しかし、今回の騒乱はウイグル族と漢族との対立が確かに存在していることを明らかにした。実際、「改革・開放」後、一部のウイグル人が沿海などの都市へと生計のために移動したことによって、遠く離れた沿海地区の漢族の人たちでも、ウイグル族の人と一定の接触がでてきた。しかしこれらの漢族の間で伝えられているウイグル人のイメージのほとんどは「野蛮」、「恐ろしい」、「できるだけ敬遠した方がいい」などである。ウイグル族と漢族との隔たりは天山を越えて、華東・華南などの地区までに広がっているのである。
● 民族問題の新思考は一刻も猶予できない
政府が長い間民族間の矛盾の存在を認めようとしないゆえに、民族問題をめぐる基本的な考え方は、従来と同様、依然として漢族中心の「民族工作」にとどまっている。しかし、今度の衝突事件によって、全く新しい考え方で、真の「和諧社会」(調和のとれた社会)を作るための、少数民族の利益の尊重を根本とする民族政策を見直す時期がやってきた。それにあたって、新疆の民族問題に関するいくつかの改善策をここで提示してみたい。
第一に、新疆において、ウイグル族と漢族の人口の規模はほぼ同じであるため、カナダのケベック州などで行われているバイリンガル政策を参考にして、新疆の範囲でウイグル語を漢語と同じ地位の言語に昇格させることを検討する必要がある。一定の過渡期を設けるが、それが過ぎた後、すべての政府部門、公共施設などでは、厳格に実行しなければならない。このようにして、ウイグル族は中国語を学ぶだけではなく、漢族もウイグル語を学ばなければならない。
第二に、改めて少数民族の優遇政策を制定し、中国語を話せない、相対的に競争力の低いウイグル族の人々でも、漢族の人の移住で従来の安らかな生活を失うことのないよう保障制度を設ける必要があるだろう。
第三に、「宗教の自由」の政策の実行において、少数民族の宗教活動に対する干渉を減らすことに重点を置くことである。
第四に、人事的資源の配分において、漢族、ウイグル族とその他の少数民族は真の平等を実現するためには、ウイグル族の人はいつもナンバー・ツーである自治区主席しか担当できず、自治区書記に昇進できないという慣例を変える必要がある。
第五に、「新疆」(新しい領土)の呼び方は漢族本位の考え方の産物である。そのため、常にウイグル族の人々の非難に遭う。したがって、名称の変更の可能性も検討する余地があるだろう。
現代世界の国々のほとんどは多民族国家である。各国政府の民族問題への対応は、失敗の例もあれば、うまく行っているケースもある。市場経済の浸透と社会移動の加速によって、これからの中国の民族問題は更に厳しい挑戦に直面することになるに違いない。漢族の人々が伝統的に存在する「同族でなければ、その心は必ず異なる」という思想の束縛から脱出すると同時に、「漢族本位で武力を後ろ盾」とする従来の考え方に取って代わる適切な民族政策を制定し直すことは、一刻も猶予できないのではなかろうか。
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<林 泉忠(リム・チュアンティオン)☆ John Chuan-tiong. Lim>
国際政治専攻。中国で初等教育、香港で中等教育、そして日本で高等教育を受け、東京大学大学院法学研究科より博士号を取得。琉球大学法文学部准教授。2008年4月より、ハーバード大学客員研究員としてボストン在住。
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★このエッセイは林泉忠さんの「天山腳下的『和諧』如何構築?————看新疆騷亂的本質」『明報月刊 2009年8月号』(香港)、をSGRA会員の張建さんが和訳したものです。
2009年9月16日配信