SGRAかわらばん

エッセイ217:シム・チュン・キャット「日本に『へえ~』その1:謝れば済むの?」

「誠に申し訳ございませんでした」という懺悔の言葉を発し、深々と頭を下げるどこ
かの企業の社長、あるいはどこかの学校の校長、もしくはどこかの省庁の長の姿は、
不祥事が起きるたびによくテレビでお見かけするものです。社員が犯罪を起こすと社
長が謝る、生徒が問題を起こすと校長が謝る、役人が事件を起こすとその長が謝る、
という場面は、あるいは「という儀式は」といったほうがいいかもしれませんが、近
年本当に嫌というほど見せつけられてきました。しかも、謝るのはほぼ全員年輩の男
性というのがいかにも日本らしい。それだけ責任の持てる地位にいる女性が少ないと
いうことなんですね。まあ、とにかく、老いた男の薄くなった頭のてっぺんなんか誰
も見たくないというのに、こちらのことはお構いなしに、食事中でもなんでも、男の
長たちはことあるごとにテレビの向こう側で頭のてっぺんを披露してくださるので
す。

「へえ~、謝れば済むなら苦労はしないよ」と鼻で笑っていたら、日本では、ほとん
どの場合それが本当に済んでしまうのですから不思議でしようがないのです。「お
上」が謝罪すれば、ことはマジで丸く収まるのですね、日本では。そして、謝罪会見
が終われば、日本のマスコミは潮が引いていくようにほとんど騒がなくなるし、巷で
もその事件は話題にのぼらなくなるようです。なんという都合の良い習慣なんでしょ
う!問題を起こした生徒や社員を、謝っている校長や社長がほとんど知らないかもし
れないというのに、とにかく「お上」が謝れば済む。不祥事の責任は、学校や企業と
は関係がなく、当の生徒や社員本人、もしくはほかに原因を求めるべきかもしれない
のに、とにかく「お上」が謝れば済む。問題が起きたときに、もし管理制度に原因が
あるのなら、同じ過ちを繰り返さないようにも制度そのものの変革が最も重要である
はずなのに、それについての報道はあったりなかったりして、何よりも謝罪会見のほ
うが大事であるかのようにマスコミのカメラはいつも老いた男の頭のてっぺんに焦点
を合わせるのです。それも食事中に。

翻ってシンガポールでは、というか、おそらくほとんどの国では、あまり社長とか校
長が、社員や生徒のことで簡単に謝る姿は見かけないですよね。それは決して無責任
なのではなく、謝れば自分に非があることを認めてしまうから、ことによっては裁判
沙汰になりかねないからでしょう。それだけ謝罪することは重いことなのです、ほか
の国では。少なくともシンガポールでは学校の校長先生が生徒のことで頭を下げて公
に謝る姿を僕は今まで一度も見たことがありません。もちろんシンガポールの校長先
生が傲慢なのではなく、生徒が起こす問題はすべて学校に責任を求めるという日本に
ありがちな風潮がシンガポールにはないからなのでしょう。このことについて、実際
に日本の学校の校長先生の何人かに意見を聞いたことがあります。案の定、皆さん、
仕事が多忙なために教壇に立ったり生徒に直接に接したりすることが少ないうえ、生
徒数も多いことから、目立つ子ならともかく、生徒の一人一人の性格や生活まで把握
することは極めて困難であると口をそろえて話してくれました。ただ、日本ではとに
かく上に立つ人間が謝ればことは一応収まるので、もし問題が起きたときに、自分た
ちも、生徒のことを一番知っている担任の先生から事情を聞いて、その後マスコミに
向けて説明したり謝ったりするだろうとも話してくれました。日本の学校の校長先生
を務めるのは本当に大変なことだなと思いました。

考えてみれば、「お上」が謝れば済むという習慣は、昔の日本の切腹文化に通じるも
のがあるように感じます。切腹が「文化」であるかどうかはわかりませんが、とにか
く日本ではその昔、問題やミスを起こした武士もしくはその上司が責任を取って切腹
の儀式さえ行えば、ことは本当に収まるということを、僕は時代劇や藤沢周平の小説
でよく目にしてきました。「潔い」という印象も受けますが、「へえ~、これで終わ
りなのか」という疑問が残る場合もしばしばあります。ただ切腹して死をもって罪を
償うことと、単調な口調で「誠に申し訳ございませんでした」といって頭のてっぺん
を披露することとでは、その潔さに雲泥の差があると思います。いっそのこと、「切
腹キット」みたいなものを開発して、死に至らなくても、ほんのちょっと痛い思いを
して謝罪儀式、もとい謝罪会見を行えば少しはサマになるのではないかと思います
が、いかがでしょうか。

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<シム・チュン・キャット☆ Sim Choon Kiat☆ 沈 俊傑>
シンガポール教育省・技術教育局の政策企画官などを経て、2008年東京大学教育学研
究科博士課程修了、博士号(教育学)を取得。現在は、日本学術振興会の外国人特別
研究員として同研究科で研究を継続中。SGRA研究員。著作に、「リーディング
ス・日本の教育と社会--第2巻・学歴社会と受験競争」(本田由紀・平沢和司
編)、『高校教育における日本とシンガポールのメリトクラシー』第18章(日本図書
センター)2007年、「選抜度の低い学校が果たす教育的・社会的機能と役割」(東洋
館出版社)2009年。
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2009年8月26日配信