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エッセイ216:オリガ・ホメンコ「経済危機とウクライナのヤング・プロフェショナルの世界観の変化」

「ダーチャ」の役割

ウクライナは土地が豊かなので、昔から農業が盛んである。19世紀までは人口の大半が田舎に住んで農業に従事していた。産業革命が起きてから町が発展して、人々が移り住むようになった。工場で働いている人々の地位は農民とほぼ同じだったが、ソ連時代には工業を発展させる目的で町のインフラを改善したので、当時は「お湯が出る」町に住むことに憧れている人が多かった。

しかしながら、町に住んでいても、おじいさんやおばあさんや親戚が住んでいるので、田舎に行く機会は多かった。農業の文化が強く残っていて、自然と触れ合うことが大事にされていた。ほとんどの人が、町にある「家」と田舎にある「ダーチャ(別荘)」をもっていた。5月から10月まで、週末は別荘へ行って過ごした。

ソ連が崩壊した時には経済的状況が厳しかったので、自分の別荘でジャカイモや野菜や果物を作る人が増えた。節約というより、そのおかげで生活ができた人も少なくなかった。ダーチャで働いていたのは両親の世代である。若い人たちは別荘で畑仕事をするのが嫌いだった。町の忙しい生活からの切り替え、あるいは気分転換の場として別荘を使う人が多かった。両親に「手伝いなさい」と言われても断る人が多かった。

2008年経済危機の影響

今回の経済危機でウクライナの通貨は非常に強い影響を受けた。1ドル=5グリブナーから8グリブナーになった。リストラされ、自分の人生について考え直す人も少なくない。そして若い人にとってのダーチャの役割や使い方が変わった。

ウクライナで最も読まれている週刊誌「コレスポンデント」の5月15日号は、以前は農業を全然やらなかったのに、通貨危機後に興味を持つようになったヤング・プロフェショナルを紹介している。

27歳のダニールさんは野菜の種を買っている。それをダーチャで植えるつもりだ。彼はソフトウェアのエンジニアで、去年までは両親から受け継いだダーチャをピックニック場としてしか使わなかったのに、今年は奥さんから「ダーチャに野菜を植えましょう」と言われて畑作りを始めた。

専門家は「経済危機によって起きた問題を忘れるためにダーチャでの野菜作りを趣味として始めた人が多い。彼らは中流のマネージャーたちで、今まで野菜作りなど全然考えていなかった人ばかり。もともとライフ・スタイルにおける要求が高く、町での優雅な生活を捨てるつもりはない。週末に野菜作りをしても「農民」になるわけではない。ただ会社の問題から離れ、頭を「空っぽ」にするためにそうやっている」と分析している。

メディアの悪い影響

ウクライナのメディアは去年の秋から悪い予測ばかりして人を脅かしている。そのため、テレビを見ることをやめ、その代わりに「非現実的な世界」に逃げる人がたくさんいる。まず、本。特にいろいろな時代を生き延びた作家の本が読まれるようになった。そして、安い「アパート形式」のコンサートがたくさん開催された。チケットがかなり安くなった。また、秋に大統領選があるのに、オレンジ革命後の政治家への不信感が強いので、「政治に関わらない市民活動をしよう」と呼びかける人もいる。5月17日にキエフの中心にある広場で、あるアーティストが「皆でバラから絨毯を作ろう」と呼びかけたところ、非常に大きな反響があった。昔の日本の「千人針」と同じで、一人一人が一本のバラを作って、それを繋げれば大きなバラの絨毯になるという意味である。つまり、ニュースは見ない、読まない。でも、自分の家族や友達と連帯して、次のもっと良い時代がくるまで生き延びようと考えているのだ。

まだ30歳にならないミハイルさんは、音楽会社のディレクター。3週続けて土曜日にはキエフ郊外にあるダーチャでトマトの種を植えている。その種は、町のアパートで水につけて寝かせておいた。ダーチャで大活躍していたバーベキューセットもどこかにしまうつもり。場所をとるばかりで、邪魔だから。そこにトマトを植えるつもりだ。最近CDの売上が非常に落ちている。以前は仕事が多かったので、週末でも仕事していた。働き蜂になってしまっていた。しかし、経済危機がきて仕事の量が減ったので、週末に畑仕事を始めた。伝統的な畑仕事をやりながら、自分のビジネスをどのように復活させれば良いか考えている。種を植えながら、ビジネスのことを考えている。農業をやるつもりはない。野菜が一番高い時でもスーパでいくらでも買えるが、「かりかりという音をたてるきゅうりを自分で作るのも悪くない」と言う。彼らは仕事の面でも「成果」を狙うのが好きだが、これもある意味で「成果」なのだ(笑)。

畑仕事の道具を売っている店の34歳のオーナーに聞くと、最近道具を買ってくれる人にはヤング・プロフェッショナルが多い。まず、彼らは経済危機でこの半年間忘れていた「満足感」を得られる。その上、彼らはいつも経済効果を狙い、それをよくわかっている人たちなので、ダーチャでの野菜作りの仕事についても、経済効果も含めていろいろな「成果」があると言っている。このオーナーも自分のダーチャで畑を作っている。200平米の土地で少なくとも500キロのジャガイモを作れる。そしてトマトを20本植えたら300キロのトマトが売れる。人参、タマネギ、ハーブなどを植えるのにはそんなに場所を取らない。

実は、このオーナーも以前は畑仕事を全然やらなかった。経済危機が起きた時にいろいろな問題が発生し、気分的にも大変だったので、奥さんに薦められた。彼女はインターネットから畑仕事について様々な情報をリサーチして彼に渡した。それでやり始めた。初めてなので、本当にジャガイモ300キロができたらそれをどのように収穫するかまだ分からない(笑)。万が一の時には、友達に呼びかけて皆で収穫会をやるそうだ。

キエフ市の貿易委員会の責任者によれば、2月半ばの連休に町で開かれた畑仕事関係の市場では、10万人が何らかの買い物をした。それは青空市場だったが、それ以外にも専門店がかなりある。全部の売り上げを足したら結構大きな数字になるだろう。種、道具、苗木、肥料がよく売れる。「経済危機でも、なまけものは畑仕事をしないでしょう」とその専門店の店長は言う。彼自身のビジネスに経済危機の影響はなかったようだ。

どのような種が売れるのかと聞くと、「ウクライナ人は少し保守的で『慣れているもの』しか買わない。赤かぶ、人参、キャベツ、トマトの種の売り上げが相変わらず伸びている」と言う。しかしながらある会社員の女性たちは野菜ではなく、花を植えている。それで「気分転換ができ、安らぎを感じる」のだそうだ。

ある広告代理店の女性のマネージャーの話によると、両親のダーチャがあってそこでいつも両親は何か畑仕事をしていたが、彼女はそれに全然興味がなかった。だが今年は両親にお願いして、少し土地をゆずってもらい、そこで「頭を冷やす/空っぽにするつもりで畑仕事をする」という。彼女にとってそれはただの趣味である。

音楽事務所の彼は、「新しいことに挑戦している。チャレンジとしての畑仕事」と言う。ダーチャに行くためにガソリン代がかかるが、この生活をやめるつもりはない。彼に言わせれば「畑仕事をしていきいきする」のだそうだ。

ウクライナの若者は週末に町を離れて、自分のおじいさんやおばあさんと同じように畑仕事をする。そしてそれをやりながら自分の「生きがい」、そして、今後の町での『目的』を考えているのではないだろうか。

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<オリガ・ホメンコ ☆ Olga Khomenko>
「戦後の広告と女性アイデンテティの関係について」の研究により、2005年東京大学総合文化研究科より博士号を取得。2005年11月に「現代ウクライナ短編集」を群像社から出版。2006年学術振興会研究員として早稲田大学で研究。現在はフリーの日本語通訳や翻訳、BBCのフリーランス記者など、広い範囲で活躍中。キエフ在住。
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2009年8月19日配信