SGRAかわらばん

エッセイ213:孫 軍悦「彼の名はトラちゃん(上)」

トラちゃんの金曜日

トラちゃんは金曜日になると、我が家にやってくる。金曜日には午前中しか授業がないので、トラは学校に行かない。もっとも、それはトラがサボったのではなく、祖母ちゃんがサボったのだ。トラの通う学校まで、送り迎えするには往復四時間もかかるから、祖母ちゃんがかってに決めたのだ。金曜日はお休みって。

トラは家に入ると、すぐお気に入りのぬいぐるみを見つけ出す。その極端に細くなった片足を掴んで、くるくる廻しながら、狭い家を隅から隅まで歩きまわるのが彼の習慣だ。まるでねじの巻かれた自動人形のように、何時間も倦むことなく歩き続けるのだから、とうとう祖母ちゃんが「お願い、もう止めてちょうだい。こっちまで眩暈してしまうわ」と悲鳴を上げるのである。

トラは物静かな子だ。しかし、彼がいると、なぜか家中は魔法がかかったように騒々しくなる。彼は歩きながら、電話の受話器に向かって「もしもし」と声をかけたり、家中の電気をつけ、「あんた、ばかか、昼間だよ」と祖母ちゃんに叱られたり、キッチンでふつふつ煮込む鍋の蓋を開けて覗き込んだり、買ってきたばかりの魚を掴み取ったり、水槽にじっとしている亀をひっくり返したり、しまいには祖父ちゃんが丹精を込めて育てた盆栽の葉を毟り取ってしまうのだ。

もっとも、盆栽の葉を毟り取られた祖父ちゃんは祖母ちゃんと違い、彼には甘い。祖父ちゃんには「トラの片腕」というあだ名がついている。トラが指を差せば、祖父ちゃんはすぐほしいものをとってくれるからだ。無論、トラの言いなりになっている祖父ちゃんもたまに怒ることがある。ただ、その高く上げた手がいつも空中で失速し、トラの尻に落ちた時には、埃でも払っているのかと思われるぐらい、軽くなってしまうのだ。「孫の手」は容赦ないが、「祖父ちゃんの手」は優しすぎる。

孫は眼に入れても痛くない、それは世の人情だ。が、祖父ちゃんの愛の裏には「残酷」な理由がある。「脳に障害のあるトラには分からない」と、祖父ちゃんは医者だったがゆえに、固く信じているのだ。しかし、長年観察してきた結果、「トラはよくわかっている、わかりつつある」というのが、祖父ちゃんを除いた我ら家族の一致した結論である。たとえば、トラはこの頃、大人の気をひくために当たり障りのない嘘をつくようになった。ただ、その嘘がすぐばれてしまい、いまやオオカミ少年のようにすっかり信用を落としてしまった。また、謝れば許してもらえると分かって以来、彼は悪戯がばれる前に「壊れた」と自ら名乗り出ることにした。その戦術が功を奏したからか、最初恐ろしい形相で問い詰め、慌てふためく大人たちも、「壊れた?もうこれ以上壊せるものはないわ」と、だんだん呑気になってくる。大声で驚かしてはならないと大人たちが反省しているのを察知したかのように、トラはこのごろ、ちょっと叱ると、すぐ心臓に手を当てながら怯えているふりをする。そのくせ、まじめな話をすると、まるで耳の遠いお年寄りのように知らん振りをする。その憎たらしい「使い分け」を見抜いた中卒の祖母ちゃんは、「それでも、トラがわからないというのか」と、祖父ちゃんに反論する。

祖母ちゃんは機嫌のいい時には、「トラは生まれつきの享楽者だ」と言う。機嫌の悪い時には、「トラは無類の怠け者だ」と言う。さらに機嫌の悪い時には、「まったく、お父さんそっくりだ」と、息子への小言までも一緒に言ってしまうのだ。

夏になると、トラは床にマイ・ゴザとマイ・マクラを敷いて寝転び、冬はロッキングチェアを揺らしながらひなたぼっこをする。寝転んでいるトラは、足を組みながら、たまに思い出すかのように、家族の名前を一人ずつ呼んだり、歌を歌ったりする。トラは言葉が少ないが、歌は驚くほどうまい。音程が外れることはめったにない。ただ、ろれつが回らないため、何を歌っているかよく聞き取れないのが何よりも残念だ。

だが、こんなトラでも時に窓を開け、その能天気さと似つかわしくない大きなため息をつく。しばらくすると、ぴたっと窓を閉め、何食わぬ顔でまたぬいぐるみをくるくる廻しながら部屋を歩き始める。彼の視線の先は、果たして老人たちがダンスに興じる公園なのか、子どもたちの笑い声が絶えない幼稚園なのか、それとも夕暮れに赤く染め上がる空の彼方なのか、彼が口を噤む限り誰も知らないのだ。(つづく)

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<孫 軍悦 (そん・ぐんえつ) ☆ Sun Junyue>
2007年東京大学総合文化研究科博士課程単位取得退学。現在、明治大学政治経済学部非常勤講師。SGRA研究員。専門分野は日本近現代文学、翻訳論。
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2009年7月15日配信