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エッセイ211:林 泉忠「20年目の『六・四』と中国の『ネット管理』」

「六・四」天安門事件から20年になった。「20年」であるだけに、例年より話題が増え、注目されている。

今年の話題は、「六・四」前後に中国の政治改革や「六・四」事件などを語る趙紫陽元総書記の録音に基づいた本が出版されたほか、中国人の間ではこの事件に対する関心が薄くなってきていること、そして中国のマスコミは事件に関する情報を厳しく統制しているということである。

海外のマスコミが伝えた通り、中国では、特に若い人の間では「六・四」事件に無関心の人が多く、知る人さえ少なくなってきていることは確かなことであろう。また、近年海外に移った中国本土出身の若者も似たような状況にあるようだ。私が住んでいる町ボストンでは、ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学など名門校が集中し優秀な中国の若者が多いが、この件に関しては例外ではない。

何人かの中国人大学院生に聞いたところ、その多くは中国にいた時、事件のことについてあまり知らなかった。その理由は、「教科書には書かれなかったし先生も教えてくれなかった」「親からも何も言われなかったしマスコミも一切取り上げなかった」というものだった。

また、「六・四」事件に関して意見を聞いたところ、それらは以下のいくつかの意見に集約される。
「中国は発展している。過去のことにこだわる必要はない。」
「私は何もできない。できるのは早く卒業していい仕事を見付けることだ。」
「海外の民主化活動家は中国政府のことを批判しがち。それは建設的ではない。」
「犠牲者には気の毒だが、中国は人口の多い国なので民主化は簡単なことではない。下手にすると社会が大混乱する」

ハーバード大学で開かれた「『六・四』追悼集会」に出席するかどうかに聞いたところ、興味がないか、出席すると帰国する際、問題になるかもしれないと答えた人が多かった。実際、6月4日夜の集会への出席者は、30歳以下に見える若者は昨年より増えたとはいえ、全体の四分の一にとどまった。

一方、「20年」ということで、集会は去年の3倍になり150人が参加した。ただし、その規模はワシントンDC、ニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコといった大都会の同類の集会には遥かに及ばなかった。東京や中国人の多くいるヨーロッパの街にも似たような集会があったと言われている。むろん、規模の大きさと言えば香港に違いない。実際、「六・四」事件が風化している中、数万人が集まって追悼行事を毎年行っている中国系社会は香港だけである。アメリカの新聞も、香港の集会には今年は20万人が駆けつけたと伝えている。
 
しかし、予想通りとはいえ、中国本土のマスコミは海外のこうしたイベントを一切伝えなかった。香港に本拠地を置く大陸向けのフェニックスTVも取り上げなかった。海外メディアの中国取材も制限されており、CNNの天安門広場での取材が普段着の警察官に傘で妨害されたのも象徴的な出来事であろう。インターネットでも、「六・四」に関する情報や書き込みは禁止されたり削除されていた。6月4日当日、多くの海外のサイトには繋がらなかったとも伝えられた。

数年前、中国のネット上の情報統制は頻繁に行われ、4万人の「ネット警察」が存在すると耳にしたが、実態は明らかになっていない。そのため、自分も半信半疑だった。ところが、昨年4月、北京に本拠を置くフェニックスTVのブログの要請でそこでブログを開いたことをきっかけに、政府はネットでどのようにして情報と言論をコントロールしているか少しずつ理解するようになった。自分がアップロードした拙文は最近まで削除されることはなかったが、たとえば間接的に香港の民主化問題に言及した文章の下に残した読者のコメントには不自然なものが多く、それらは「ネット警察」が読者を偽ってコメントを書いたのではないかと言われている。官制文章とは別に、「民間の声」としてネットで世論を作るのももう一つの方法だろう。

そして、今回は思い掛けず、「六・四」天安門事件の情報はいかに厳しく統制されているか実際に体験してしまった。

今年の3月27日は、私の日本留学から20年目にあたった。20年前のその日は、「六・四」事件のきっかけである胡耀邦元総書記が亡くなる直前のことだった。言い換えれば、私の日本留学初期の日々は、まさに中国の民主化運動と「六・四」との重なりなのであった。20周年にあたる今年は、何らかの形で記念文章をブログで書いてみたいが、「六・四」に間接触れる可能性があるとブログの編集に相談した。そうしたところ、担当者は「まぁ、大丈夫でしょう。書いたらトップページでちょっと紹介してみるから」と励ましながら、「六・四」の日を避けて一週間前にアップロードしてくださいと助言した。

そして、5月28日に「20年前の家と国への思い~我が若き東京留学の日々」と題する文章をアップロードした。内容は、20年前に日本に来たばかりの留学生活、そして北京の民主化運動で沸騰する故郷の香港からのニュースを中心にしたものだった。当時の北京の様子を描いたものでもなければ、「天安門」や「六・四」の言葉の使用も避けた。しかし、なぜか文章は約一時間後に消えてしまった。不思議に思った私は再度アップロードしてみたが、同様のことが起こった。

五月の連休が明けた後、ブログの拙文を回復できる方法を当番の別の編集者に尋ねた。「別に拙文をトップページで紹介しなくて結構ですので、個人のブログに残してもよいでしょうか」という質問に、「難しいです。林先生のブログは名ブログですので、個人のブログに残るだけでも影響力があります」と。そして、文章に残った「敏感」な言葉を削除したり「中国」を「ZG」にし「学生運動」を「XSYD」にしたら回復可能だろうかと提案したが、「そういう問題ではありません」「今の時期は『20年』という語彙が含まれる文章でさえ自動的に削除されますよ」という厳しい回答だった。「では、この『敏感』な時期が過ぎましたら、また回復をお願いしますね」と私はメッセージを残したが、今も回復されていない。

しかし、拙文が削除される前に、すでに約100回のアクセスが数えられ、読者からの励ましのコメントもあった。また、「大作はなぜその後消えたか」という読者からのメールももらった。気の済まない私は、読者への説明を意識して、6月4日の夜に自分のブログの伝言欄に次の短い文を残した。

「早くも20年。今日は『少年中国』という歌を聞きながら、涙がボロボロ落ちました。20年前に両岸三地(中華圏)の多くの同胞が『血染的風采』『愛自由』『歴史的傷口』を歌っていた時のように。先週の5月28日にこのブログに私が『20年前の家と国への思い~我が若き東京留学の日々』をアップロードしましたが、なぜか一時間後に消えました。ブログ編集者の問題ではないですが、国内(中国)では誠実で独立した思想をもつ知識人になることの難しさを実感しています。」

しかし、このメッセージも30分後に削除された。北京時間6月4日夜10時のことだった。「ネット警察は夜も働いているようですね」と友人が笑った。

今回の体験から、中国では「六・四」のような「敏感」な事件に関するネット情報がいかに厳密に管理されているか、その一端が分かった。

「六・四」からすでに20年経った。経済発展を遂げながら多くの面で国際社会への「接軌」(諸制度をグローバル・スタンダードに合わせる)も積極的に重要視している中国の多くの国民も、国際社会に尊敬される真の大国になるには、今も厳しく行われている「ネット管理」をはじめとする情報統制のあり方を問い直すことが必要であることにも気付き始めた。しかし、それには、また20年の歳月がかかるのだろうか。

2008年6月9日ハーバード大学ロースクール図書館より

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<林 泉忠(リム・チュアンティオン)☆ John Chuan-tiong, Lim>
国際政治専攻。中国で初等教育、香港で中等教育、そして日本で高等教育を受け、東京大学大学院法学研究科より博士号を取得。琉球大学法文学部准教授。2008年4月より、ハーバード大学客員研究員としてボストン在住。
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2009年7月1日配信