SGRAかわらばん

エッセイ206:葉 文昌「パリ」

3月に国際学会でパリへ行った。夜の12時に台北を出発した飛行機はパリ現地時間の6時頃に到着した。パリは緯度的にはサハリンと同じなので、台湾では少し暖かくなっていた時期でも東京の真冬のように寒かった。

 

  
パリといえばファッションとデザインである。あえてもう一つ言うならば映画の”Taxi”だろうか。登場人物のいい加減さが印象的だ。これが本当ならなぜそのいい加減さでTGV(高速列車)や三角翼戦闘機のような素晴らしい工業製品が作れるのか不思議になる。だからどのような姿を見せてくれるか胸は高まる。飛行機を降りてシャルルドゴール空港内の丸みのある起伏がある連絡通路を通ったとき、シンプルながらとても綺麗に思った。ターミナル間連絡無人運転電車に乗って市内への地下鉄駅に行く。台北の都市電車もフランス製の無人運転システムだ。なかなかの技術だ。

 

  
しかし地下鉄駅へ入ったとたんにパリの華やかな印象が崩れそうになる。構内のいろいろなところに落書き。そしてそれは電車が走る沿線の壁面のすべてにあった。電車内もあまり綺麗ではなく、窓にはひびがはいっていた。途中で老婦人が空いている椅子すべてに紙切れを置いていった。そしてしばらくしてなにやら言ってそれらの紙切れを回収した。しばらくたつと10歳ほどの少年が車両に入ってきた。最初になにか全員に話した後に乗客一人一人に手を出してくる。1997年ごろにニューヨークへ行ったときも見た光景だ。物乞いなのだろうか。

 

  
1時間ほど乗って、電車はポリテクニック大学がある駅に到着した。着いたはいいが、どこにも英語らしき標識が見当たらない。パリ滞在中ずっと感じたことであるが、パリは外国人にとても不親切な場所である。英語がグローバルスタンダードになったことを未だに拒んでいるようにも見える。それはそれで気骨あるとは認める。しかし世界のほとんどの国が英語を公用語と認める現在となっては、それは単なる意地にしか見えなくもない。また同じく地下鉄での経験であるが、泊まるホテルの最寄り駅では改札口にあった唯一の自動発券機が故障したままなんの注意書きもなく放置されていた。だからそれを知らない人々が改札の前で試しては諦める光景を翌日も、翌々日も見ることになった。やむなく地上へ上がって有人窓口で乗車券を買うことになるのだが、駅員もやる気がなく、どことなく役所的雰囲気を漂わせていた。これに関してはアジアの方が(と言ってもよく知ってるのは日本と台湾であるが)、ハキハキとして顧客のことを考えてくれる気がした。

 

  
なんとかしてポリテクニック大学にたどり着く。大学はとても広くゆったりとしており、建物は高くても3階建てであった。何よりも印象に残ったのがあちこちの建物の壁いっぱいに描かれた壁画であった。立派なアートが構内の隋所に散らばっているんだなと思ったのだが、その中で一つ気になる壁画を見つけた。それはちょっと前の、人の影がipodを持って踊る広告の壁画で、しかし持っているのはipodではなくAbsolute Vodkaであった。そこで気付いた。これらはすべて落書きだったのである。建物に入ると真っ白な壁面にも、階段の裏にも、至る所に落書きがある。ちょっと驚いた。どういうメッセージが込められているのかとても興味あったが、残念なことに言葉がわからない。それにしてもこれらの”壁画”は大学がアートと認めて描かせているのか、それとも大学が取り締まっても取り締まりようがないから放置したのか。フランス滞在経験のある人たちに聞いてみたが、この疑問は最後まで氷解することはなかった。

 

  
僕はキャンパスを歩き回るのが好きだ。どこの社会でも若い人達の独特の雰囲気を感じることができるからだ。台湾を出て初めて日本のキャンパスに入った頃のことを思い出した。早稲田のような大学では、大学の入り口近くに政府や大学当局への批判のポスターがある。目上の人に対して批判的でも自分の意見を言ってもいいんだな、と自由を感じた瞬間だった。アメリカのキャンパスも髄所に貼られたポスターからして学生の自己主張は強かったし、学生活動がバラエティーに富んでエネルギッシュであることを感じる。韓国もそうだった。それに比べると台湾のキャンパスは限りなくおとなしい。ポスターを貼るには許可が必要だし、規定の場所にしか張れない。もっとも部活動も盛んではないが…。修士課程へ入学するための受験勉強でもしてるのだろうか。逆に台湾の将来が不安になる。因みに日本の人は自分を儒教の国と言うことがあるが、儒教の教えでは目上の人に異論を唱えてはならない。だから台湾の僕から見ると日本はもはや儒教の国とは言えず、かなり西洋文化を取り入れてる国のように思えるのだ。

 

  
学会を終えた後の週末はパリの街へでた。二年前にローマへ行ったのでまだその印象が残っていたので、それに比べるとパリの建物は華麗ではあるが、どこかインパクトが足りないし、街も人工的すぎて面白さに欠ける。やはりローマが格別だったのだ。パリではノートルダム寺院から凱旋門まで歩いた。途中で公衆トイレを探したがなかなか見つからず、シャンセリゼ通りの近くでやっと一つ見つけた。トイレは小さいながらも管理人が一人居て、チップを渡すことになっている。しかも洗面台はなく、用後に手を洗えなかった。僕も含めて大抵のアジア人はこれを見てアジアの方が住みやすいと思うに違いない。しかしチップを渡すことも、洗面台がないことも、ひょっとしたら環境への配慮かもしれない。利便性はときとして代償を伴うものだから。だとしたらフランス人はアジア人よりも思慮が進んでいることになる。

 

  
最後にもう一つパリが世界に誇るものがある。それは美食である。ステーキを極めてみた。それは見てわかるメニューが”Beef”しかなかったという理由もある。フランスでは好みの焼き加減を聞かれず、出る牛肉は全部半生だった。健康的な牛肉でとても美味しかったけど、でも東京で食べる不健康な霜降り牛の方が感動した。同じ不健康な食品といえばフォアグラがある。帰り際の空港でフォアグラを買って帰った。おかげでパリの余韻は帰国後1週間残った。

 

—————————————–
<葉 文昌(よう・ぶんしょう) ☆ Yeh Wenchuang>
SGRA「環境とエネルギー」研究チーム研究員。2000年に東京工業大学工学より博士号を取得。
国立台湾科技大学電子工学科で今年になってやっと副教授に昇進。現在薄膜半導体デバイスについて研究をしている。
—————————————–

 

2009年5月20日配信