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エッセイ202:マックス・マキト「今こそ、時と場のあるヴィジョンを(その2)」

2008年のノーベル経済学賞は、米国プリンストン大学のポール・クルーグマン博士が受賞した。その賞の対象となった彼の先駆的な研究は、時間の経過による貿易パターンと経済学的地理学をめぐるものであった。まさに、僕がSGRAエッセイ#164 に書いた「時」と「場」に関係する分野であるという気がする。

 

東京大学大学院経済学研究科で勉強していた頃、僕はクルーグマン博士の論文をいくつか読んだことがあったし、経済学の院生たちのなかでも評判がよかった。しかし、彼が1994年に「東アジア奇跡の神話」という論文を書いた頃から、僕の彼の研究に対する関心が急速に冷え込んだ記憶がある。

 

「東アジアの奇跡」というのは1993年に出版された世界銀行の報告書で、東アジアにおける8経済主体の珍しい発展パターンを対象にした研究調査であった。世界銀行は、その発展パターンを、SHARED GROWTH(僕は「共有型成長」と訳している)と命名した。つまり、東アジアの8経済主体(日本、韓国、台湾、香港、シンガポール、マレイシア、インドネシア、タイ)は目覚ましい成長を遂げながら、その成長が社会に広く共有され、国内の所得分配(貧富の差)を改善していた。近代史においては確かに実現しにくい発展形態である。まさに、奇跡というほかない。この数十年間を振り返ってみれば、このことを理解できるだろう。平等性を重視する国々は効率性を犠牲にせざるをえなくなり、成長率が鈍くなった。一方、効率性を重視する国々は平等性を犠牲にせざるをえなくなり、社会混乱を招くまで貧富の差が広がった。

 

この「東アジアの奇跡」報告と出会ったからこそ、僕は経済学を勉強するために日本に来たのだとわかったと言っても過言ではない。単に経済学を勉強するのであれば、英語圏の先進国へ留学したほうがいいが、日本の独自性について勉強するには、当然日本が一番いいに決まっている。それ以来、共有型成長は僕の研究の柱となっている。僕の留学のきっかけになった「東アジアの奇跡」は単に「神話」でしかないとしたクルーグマン博士は、おまけに、日本の独自性についても「何も新しいことがない」と、同じ1994年の論文で強調していたのだ。だから、日本の「失われた10年」となった1990年代に、日本をバッシングしていた主要な人物の一人と考えている。今でも、僕は、日本独自の企業文化が、この共有型成長に大きく貢献したと信じて研究を続けている。従って、クルーグマン博士のことをどうしても許すことができなかった。

 

ただ、最近、親友の紹介でクルーグマン博士がニューヨーク・タイムズに投稿しているコラムに接する機会があり、友情のためだから自分を騙しながら大学院の頃に発病したクルーグマン花粉症を抑えてみようかと読んでみた。そのうち、あらま!意外にも、(最近の)クルーグマン博士と同感できる部分が結構多いではないか。オバマ大統領の自動車産業と金融部門に対する厳しい目を支持するとか、金融部門のどこが悪いかと今でも思っているローレンス・サマーズ国家経済会議委員長がおかしいとか(サマーズ氏は、1997年のアジア通貨危機の時に日本が主張したアジア版IMFに反対した)、米国が今回の経済危機の震源地であり米国がすべて悪いという流れに対する懸念とか、今回の経済危機は1930年代以来の大不況だが、当時と違って戦争という手段は使えないとか。一理あるな、と思わず賛成する。

 

今、名古屋大学の平川均先生、フィリピンのアジア太平洋大学(UA&P)のユー先生と一緒に、フィリピンを事例として、共有型成長を実現するための自動車産業の役割について研究している。先月も現地調査に行ってきた(短期訪問の写真)。僕は、この研究を、「時」と「場」のある(もはや昔の?)日本のヴィジョンの探求と考えている。信じられないかもしれないが、共有型成長と縁がなさそうなフィリピンでも、日系企業がそのDNAを伝授している兆候を示している。この研究を更に展開するためにも、意外にもこんなに同意できるクルーグマン博士のノーベル賞級の研究を読み直してみようかなと思わないこともない。ただ、博士と違って、「日本と東アジアの経験は単なる神話でしかない」とは決して思わない。この地域の経験が語っていることは、ノーベル賞をはるかに上回る何かがあると信じている。

 

●速報

 

先日、UA&PとSGRAの共同研究プロジェクトに対する研究助成が決定した。5年間のプロジェクトで、フィリピンの研究機関のCAPACITY-BUILDINGが目的である。対象になる機関はCENTER FOR RESEARCH AND COMMUNICATION(CRC)財団であり、UA&Pの源でもある。この共同プロジェクトにより、CRCはフィリピン教育、健康、水道に対する政府の公共支出を監視する能力を高めていく。SGRAフィリピンから、公共会計に詳しい顧問がこのプロジェクトに参加する。助成金の申請書に大きく関わっていたので、微力ながらも、僕も海外顧問として協力する。研究助成金を提供してくださるのは、世界銀行や英国の海外開発省から融資されているGLOBAL DEVELOPMENT NETWORK(GDN)である。GDNは、来月、世界銀行の拠点であるWASHINGTON DCで研修を行うので、共同研究チームの代表を派遣する予定である。このプロジェクトは、発展途上国の政府が社会に対する責任をちゃんと果たすことを目的とした、世界銀行の最近の「GOOD GOVERNANCE方針」の一貫である。政治腐敗を最小化し、社会の少数派と弱者の声が、政府の政策に反映されているようにするのが目的である。GDNは日本にも事務所を構えているようなので、興味のある方はGDNホームページをご参照ください。

 

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<マックス・マキト ☆ Max Maquito>
SGRA運営委員、SGRA「グローバル化と日本の独自性」研究チームチーフ。フィリピン大学機械工学部学士、Center for Research and Communication(現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、テンプル大学ジャパン講師。
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2009年4月22日配信