SGRAかわらばん

エッセイ198: シム・チュン・キャット「キャンペーン超大国でもあるシンガポール」

前回のエッセイのなかで、「罰金大国」シンガポールにチューインガムを大量に持ち込んだら、最高罰金である1万シンガポールドルがついてしまうという罰則について書いたところ、「あれっ?シンガポールでガムは解禁になったんじゃないの?」という問い合わせがSGRAのほうにすぐ来たそうです。この点に関してこの場を借りて説明したいと思います。

 

確かに、シンガポールがアメリカと自由貿易協定(FTA)の締結交渉をおこなっていた何年か前に、アメリカ側からガムの輸入解禁の圧力がかかったため、2004年にガムはシンガポールで12年ぶりに一部解禁となりました。ただし、解禁されたのはアメリカ産の「治療目的」のガムに限られ、購入するにはお医者さんや歯医者さんの処方箋が必要であるうえ、薬局で入手するときに個人情報などを提出しなければならないことから、この方法を使ってガムを買ったというシンガポーリアンに僕は会ったこともなければ聞いたこともありません。ガムを買うのに処方箋が必要だなんて、大袈裟というか実にアホらしいというしかありません。どうしてもガムを噛みたいという人は、昔の僕みたいに国境を越えてマレーシアで手に入れたほうが全然速いということです。このように、一部解禁になったとはいえ、公害とされているガムがシンガポールで普通に日の目を見るようになったわけではないので、シンガポールヘいらっしゃる方はくれぐれも大量に(8箱ぐらい?僕の前回のエッセイを参照)持ち込まないようご注意ください。

 

さて、前置きが長くなりましたが、罰金大国である以上、それぞれの罰則を説明し、国民に守ってもらおうとするキャンペーンを実施することは当然ながら重要となります。否、罰則と関係なくても、ある制度やルール、もしくはマナーを国民に知らせよう・守らせよう・従わせようとする場合に、シンガポール政府は必ずといっていいほど全国規模のキャンペーンを展開するのです。共産主義・社会主義でない国の中では、国家キャンペーンが一番多いのが恐らくシンガポールなのではないかと思います。皆さんも以下を読めば、シンガポールが「キャンペーン超大国」であることにきっと納得することになるのでしょう。

 

独立した当時から、ガーデン・シティになるべくシンガポールが真っ先に取り組んだのが「Keep Singapore Clean & Green(シンガポールを清潔かつ緑豊かに)」キャンペーンでした。当然のことながら、優しいスローガンやポスターの裏には、ポイ捨てやタン吐きに対する厳しい罰金制度がくっついていました。また、「戦国時代状態」になっていた中国系の方言を統合すべく、つぎに打ち出された大型キャンペーンが今日まで続いている「Speak Mandarin(マンダリンを話そう)」キャンペーンでした。この最初の二つの全国キャンペーンが非常に成功したためか、その後シンガポール政府は調子に乗り、実にバラエティーに富むキャンペーンを次から次へとスタートさせたわけです。

 

経済発展に伴い、車の数が著しく増えると「Road Safety(道路安全)Campaign」を。人口密度が高く(というか、国土が狭すぎ!)、団地住まいの隣人同士の摩擦が多発すれば「Courtesy(礼儀正しく)Campaign」および「Be a Good Neighbour(良い隣人になろう)Campaign」を。水はマレーシアからパイプを使って輸入しているわけですから、貴重な水を無駄にしてはダメということで「Save Water(水を大事に)Campaign」を。拝金主義が蔓延り、社会貢献活動に参加する人が急減するのをみると「Be a Volunteer(ボランティアになろう)Campaign」を。汚れた公衆トイレが増えれば「Clean Public Toilets(清潔な公衆トイレ)Campaign」を。国民のメタボ率が上がるとすぐさま「National Healthy Lifestyle(国家ヘルシーライフスタイル)Campaign」を。労働者の生産力が少し落ちれば「Higher Productivity(より高い生産力)Campaign」を。などなど…例を挙げれば本当にキリがないほどです。とにもかくにも、シンガポールでは国民の暮らしの隅々まで浸透しているのが、罰金制度と双壁をなすこのキャンペーン依存症なのです。

 

それだけではありません。多種多彩なキャンペーンのなかには、あるキャンペーンがうまく行き過ぎたせいでそれを軌道修正するための「調整キャンペーン」のようなものもあったりします。例えば、独立した当初、増加する人口を抑制するために70年代の頭に真っ先に打ち出された「Two is Enough」というキャンペーンは、子どもは二人もいればそれで十分というメッセージを国の津々浦々(そんなにありませんが)まで行き渡らせました。ところが、このキャンペーンが非常に功を奏したせいもあり、80年代に入って人口増加が急に減速し始めると、今度はなんと「Three children or more, if you can afford it」というスローガンが掲げられました。この「余裕があれば、三人以上の子どもを産もう」というあからさまに貧乏人を差別しているキャンペーンは言うまでもなく国民から猛反発を受けました。このとんでもないスローガンはすぐ姿形なく消えてしまいましたが、その後シンガポールにも少子化の波が押し寄せ、もう余裕がある人にもない人にも、とにかく子どもを設けてほしいという事態に発展しました。そのため、今ではどの家庭に対しても、子どもが生まれると「ベビー・ボーナス」(一人目の子どもならS$4000シンガポールドル[約25万円]、二人目であれば総額約65万円、そして三人目以降ならば一人の子につき総額約120万円以上)が政府からプレゼントされるようになりました。

 

まあ、うるさいのではありますが、これまで紹介したキャンペーンのいずれも国や国民のことを考えての施策だとも受け取れるので、許すことができなくもありません。また、キャンペーンが展開されるたびに、ポスターやテレビCM、新聞広告などの宣伝物のほかに、いろいろな行事やイベントが催されたりテーマソングも町中に流れたりするから、お祭りめいた雰囲気が味わえてたまに楽しくなったりもします。だが、「生真面目でフレンドリーでない」シンガポーリアンのイメージを改善しようとして、90年代の半ばに「Smile(スマイルを)Singapore」というやりすぎキャンペーンがスタートしたときには、僕の顔からそれこそスマイルが消えてしまいました。さらに、多くの独身のシンガポーリアンがお金を稼ぐのに忙しすぎて、または内気すぎて恋なんてしていないということから、「Romancing(ロマンスを)Singapore」というあり得ないキャンペーンが2002年に展開され始めたと同時に、祖国に対する僕の最後の残りわずかなロマンスもフェードアウトしてしまいました…。

 

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<シム・チュン・キャット☆ Sim Choon Kiat☆ 沈 俊傑>
シンガポール教育省・技術教育局の政策企画官などを経て、2008年東京大学教育学研究科博士課程修了、博士号(教育学)を取得。現在は、日本学術振興会の外国人特別研究員として同研究科で研究を継続中。SGRA研究員。著作に、「リーディングス・日本の教育と社会--第2巻・学歴社会と受験競争」(本田由紀・平沢和司編)、『高校教育における日本とシンガポールのメリトクラシー』第18章(日本図書センター)2007年、「選抜度の低い学校が果たす教育的・社会的機能と役割」(東洋館出版社)2009年。
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2009年3月27日配信