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エッセイ195:アンポン・ベリル「アメリカよ、あえて夢を見よう!」

2009年1月20日。その日はとても寒い日だった。天気予報は、華氏40度の半ば(華氏41度=摂氏5度)という予測だったが、私はもっとずっと低い気温だったと思う。空は曇り、どんよりした天気で、少し霧が混じった風が吹いて、ひどく底冷えした。私は何枚も重ね着をしていたが、だんだん手足の感覚が無くなる感じだった。それは敢えて外出するような日ではなかった。他のどんな状況にあったとしても、暖かく心地良い家を出て首都に出かけることは無かっただろう。しかし、今日は普通の日ではない。私の周りを見回すと、だんだんと集まってくる何千人もの群衆が同じように凍えていた。アメリカ全土の隅々から、そして外国から、あらゆる年代、あらゆる階層の人々がやってきた。民主党上院議員バラク・オバマ氏のアメリカ合衆国第44代大統領就任式の、この日この瞬間、この場に居合わすために、熱烈な期待を抱いて、抑えきれないほど興奮して、彼らは集まってきた。

 

就任式は、その日の午後1時に行われることになっていたが、記録的な人出が予測され、交通機関への規制もあり、この式を良く見える場所を確保するためには早めに陣取らなければならない。私は前の年に東京からワシントンDCに引っ越したばかりだった。実を言うと、私はアメリカの政治に、そして、私の生まれた自国の政治を除いて他のどの国の政治についても、特別な感心は無かった。日本に居た時、私は政府に変化が起こっても、一週間後に気づくということが普通だった。それは外国暮らしだったからだと思う。

 

しかし、これは違った。これは全く異なったことだった。オバマ上院議員は、ただ単に合衆国第44代大統領になるのではない。彼はこの最も尊敬される職務に就任する初めての黒人大統領なのだ。高揚感は最高潮に達した。それもそのはずだ。なぜならアメリカの歴史についてほんのわずかしか知らない者でもこの瞬間の重要性は理解できる。だから私はここにいなければならなかった。歴史のこの瞬間に。私はいつの日か「私もこの場にいた!」と言えなければならない。だからこそ骨が凍るような気温でも、他の皆と同じように、何枚も重ね着して私は立ち、見つめ、待った。

 

観衆が前大統領夫妻など政府高官、要人たちを歓呼して迎えた時、私は鳥肌がたった。そしていよいよ大統領の番になり、観衆は熱狂した!私は説明しがたい何かの感情が湧きあがるのを感じた・・・誇り?畏怖?信じられない?・・・考えられることは、「なんということだろう!彼は本当にこれを成し遂げたのだ!」 

 

2年前オバマ氏が大統領選に向けた選挙活動を始めた時、この日が現実になると誰が思っただろう?!その当時、私はまだ東京の小さなアパートに住んでいた。アメリカで仕事を得ることに頭がいっぱいで、なかなかうまくいかないことにいらだっていた。私の大部分のアフリカ人の友人と同じく、オバマ氏の大統領戦出馬表明に、私も懐疑的な思いだった。私達は、東京の中心にある流行の地、原宿にある友人の店で、いつものように土曜の夜の交流イベントのため集まっていた。ホットスパイシーケバブズ(スパイシーなグリル肉)を噛み、アフリカ醸造の輸入ビールを流し込みながら、私たちはどんな議論でも熱く語るムードになっていた。

 

「彼は黒人だね。勝つ見込みは非現実的だね。」一人が論じた。
「そう。それに半分白人の血が混じっている。黒人票を得るためせいぜいがんばってくれ。」他のもう一人が鼻であしらった。

 

本当だ。私はそれ以前に、CNNのある番組を見ていたのだが、オバマ氏の特権階級の生い立ちがアメリカの黒人社会の支持をもてない理由として引用されていた。
「彼が次のマーチンルーサーキングにならないことを願おう。」これが多分皆の心に第一に浮かんだことだった。
「これは後に続く者たちのため率先して道を切り開こうとする人々がいるといういい兆候じゃないか。」誰かが提言した。

 

それ以前にテレビで彼が少人数の支持者に向けて演説している姿を見たとき、恥かしながら私自身も彼の可能性を疑っていた。しかしあの時から多くのことが変わった。見事に考案された戦略、変革の約束、そしてとても好感のもてる隣人のような人柄で、バラク・オバマ氏は影の薄い存在からアメリカの歴史、しいては世界の歴史にしっかりと根をおろし、台頭してきた。

 

オバマ氏の台頭は、ある物語を思い出させる。ある天体が太陽系よりずっと離れたところから地球に向かってゆっくりと近づいてくる。初めは小さくほとんど気づかないほどで、大部分無視されている。しかし、地球に近づいてくるにつれ速度を増し、だんだん早く、より目的をもって進み、より大きく、より輝いて火の玉になる。それを見た者は全てその偉大さに畏れ敬う。もちろんこれは子供のおとぎ話にすぎない・・・しかし私はこの物語を思い起こさずにはいられない。

 

東京での私の友人達との議論を振り返ってみると、私達はなんと世界に対して冷笑的で不信感を持っていたことだろう。私たちは、彼の人種はアメリカを導くという彼の夢を成し遂げるための障害にはならないということを検討してみたことさえなかった。そしてここで、彼は今や、疑いなく歴史に語り継がれるだろう演説で、あらゆることへの期待と希望のスピーチをしている。私たちはこのことから学ぶべきことがあるだろう。オバマ大統領自身がそれを一番上手に語っている―――アメリカは全てのことが可能になる国なのだ。

 

・・・ただ、少し時間がかかるかもしれないけど。

 

アメリカに、神の祝福がありますよう!

 

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<アンポン・ベリル☆ Ampong Beryl>
ガーナ出身。2005年東京薬科大学薬理学研究科より医学博士を取得。現在ワシントンDCのChildren’s National Medical Center (Research Center for Genetic Medicine)研究員。専門分野は免疫学、リウマチの治療研究。
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(原文は英語。日本語訳:伊藤扶佐江)

 

英語の原文

 

2009年3月17日配信