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エッセイ191:太田美行「本音の伝わり方」

本屋でふと手にした本が予想外に面白かったりすると、とても得をした気分になる。
『ペルセポリス イランの少女マルジ』との出会いもそうだった。ちょっとした時間
潰しに本屋に入ったつもりだったのに、すっかりはまってしまい、とうとう立読みで
一冊読み切ってしまった。途中、店員がモップで私の横を拭いてまわっていたような
気もするが全く気にもしていなかった。(本屋にとってはさぞや迷惑な客だったに違
いない。)

 

『ペルセポリス』はフランス在住のイラン女性、マルジャン・サトラピ(愛称マル
ジ)自身の少女時代についての漫画だが、ニュースや映画でしか窺い知ることのでき
ないイランの宗教革命前後の生活が鮮やかに描かれている。そして遠い国のことなの
に、彼女の描く世界には不思議な既視感を覚えた。中でも「正しさ」の変化について
は興味深かった。

 

王朝崩壊と宗教革命、そして戦争と目まぐるしく変化する状況の中で、彼女は世の中
の「正しさ」が次々と変化するのを経験する。裕福で進歩的な家庭に育ったマルジは
宗教革命前のパーレビ王朝下の学校で「シャー(王)は神に選ばれた」と習う。しか
し革命後、教科書にあるシャーに関するページを破くように言われる。さらにパーレ
ビ王朝下で投獄されていた共産主義者の伯父が、王朝崩壊と共に解放されると「英
雄」として迎えられるものの、宗教革命後に再び投獄され、「スパイ」として処刑さ
れてしまう。勝者が権力を握れば、敗れたかつての為政者は否定される。「昨日の正
義が今日の悪」になることは日本も経験したことであるし、世界中で繰り返されてい
ることだ。自由な思想の中で育ったマルジは、それらの一つ一つに反応してしまう。

 

彼女が生きにくくなることを心配した両親は、たった一人である我が子のためにオー
ストリアへ留学させるところで本書は終わる。続編では留学生活と帰国後の生活が描
かれる。留学先で「第三国の人間」として扱われたことや失恋。そして帰国後イラン
社会がすっかり変化していたことへの戸惑い、結婚と離婚。続編はやや暗さが漂う。
前編からは政治情勢の変化と共にマルジの生き生きとした性格やイランの様子が伝
わってくる。文字が書けないメイドに頼まれたラブレターの口述筆記にはまるマル
ジ。マイケル・ジャクソンの写真入りバッジを保守的な女性達に見とがめられると、
「これはマルコムXです」といって逃げようとするマルジ。マルジの両親はピンク・
フロイドをドライブ中に聞いているが、宗教革命前とはいえイランでピンク・フロイ
ドが普通に聞かれていたとは思ってもみなかった。日本で一般的に知ることのできる
イランの情報が限られていることを改めて実感する。「事件」でないと中東のことは
ほとんど報道されないため、「中東=事件の多い国」とすら思えてしまう程だ。だか
ら『ペルセポリス』で事件としての中東でなく、また学術書でもない、日常のイラン
が見ることができて大変面白かった。

 

さて所変わって日本。この2日間で面白い経験をした。一つ目はお洒落な「ニュー
ヨーク・スタイルのカフェ」の店員。50代くらいの小太りな男性で、ガラガラと大き
な声で注文を受ける。こう言っては失礼かもしれないが、こうしたカフェにはあまり
見かけないタイプである。居酒屋に居たらまったく違和感がなさそうだ。どう見ても
ほかの店員とは違っており、ひとり異彩を放っている。ところがこのおじさん、妙に
愛嬌がある。注文の品を運んでくる時もちょっとした事をお客に話し掛けたり、ケー
キセットのサービス時間が終わっていることを伝える時も、マニュアル的でない話し
方をしたりする。その様子が実にユーモラスだ。きっとこのサービスぶりが気に入っ
ているお客もいるに違いない。

 

そして今日。加湿機の調子がおかしいので大阪にあるメーカーのカスタマーサービス
に電話をした。担当者も当然大阪の人で、やや訛りのある声で真面目に話しているの
になぜかおかしい。これもまたコールセンターにありがたちな、妙に丁寧なマニュア
ル的な話し方ではないからかもしれない。そこに担当者の個性が反映されるのが面白
いのだ。私が加湿器の様子を伝え、「このタイプはこういうものなんでしょうか?」
と聞いた時、「いやいやそれは・・・・・・・・・確かに困りますねぇ」と担当者が
思わず呟いた同情の言葉に、何とも言えない人の良さが滲み出ており、私は必死で笑
いを噛み殺した。

 

丁寧なことは確かに大事で私も好きだけれど、あまりにも形式的過ぎると言葉がただ
の記号にしか思えなくなり、人と話した感じがしなくなる。気持ちが伝わってこない
からだ。会話でなくて文書でも同じように思う。これまでのイラン関係のニュースや
本で私が見つけられなかったのは、イランの人達の本音かもしれない。

 

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<太田美行☆おおた・みゆき>
東京都出身。中央大学大学院 総合政策研究課程修士課程修了。シンクタンク、日本
語教育、流通業を経て現在都内にある経営・事業戦略コンサルティング会社に勤務。
著作に「多文化社会に向けたハードとソフトの動き」桂木隆夫(編)『ことばと共
生』第8章(三元社)2003年。
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2009年2月27日配信