SGRAかわらばん

エッセイ116:趙 長祥「独対寂寞、静観吾心」

●「庄子心得」シリーズ(その1)

 

はじめに

 

中国では、2005年にエンターテメントの世界から全国に波及した「超級女生(スーパーガール)」が大きな話題になったが、翌2006年には「学術超男と学術超女」の話題がメディアに取り上げられ、国中に宣伝された。中国の中央テレビ(CCTV)で放映されたのは、有名大学の教授達が、これまで非常に難しいとされていた国学(中国古典文学)を易しく大衆に解説し、啓蒙する番組である。なかでも、「三国誌」を解説したアモイ(厦門)大学教授の易中天氏(男性)と、中国古典書のひとつである「庄子」を解説した北京師範大学教授の于丹氏(女性)は、それぞれの的確な理解と簡潔明瞭な解説を以って、中国で一躍有名になった。テレビ番組は本に纏められ、それぞれ「品三国」「庄子心得」と名づけられてベストセラーとなった。これまで中国の大学の先生たちは、黙々と研究や教学に努め、マスメディアにでることなく、スーパースターとは全く無縁だった。しかし、今や、学者も国学解説によって学術超男と学術超女となったわけである。

 

国学が復興したといわれる現在の中国であるが、その原因を分析すると、改革開放30年近くの歳月を経て、徐々に豊かになっている国民は、物質生活だけでなく、精神的な支えも求めるようになったといえるだろう。豊かな中国の古典文学を、現在起きている身近な事象に引き寄せ、易しい説明を加えることによって、金儲けと出世をめざして常に競争に晒され、負組みに陥ることへの恐怖心から常に頑張って緊張している大多数の国民の心を癒すものとなったである。

 

私は、昨年の9月に上海の企業での仕事を辞めて学界に戻ってから、時間的に多少余裕が出てきたので、上述の「品三国」と「庄子心得」を読むようになった。特に、于丹氏によって解説された「庄子心得」における、彼女の独自のロジックからたくさんのヒントを得、少しずつ感想として書き出し、ブログ(blog.sina.com.cn/xiangchangzhao)に載せるようになった。そのいくつかを、SGRAかわらばんの場をお借りして、皆様とシェアさせていただきたい。このシリーズが皆様の癒しとなり、テンポの速い生活のなかでも、ときどき空気に漂うスローライフの淡い……淡い香を感じていただければと思う。

 

●「独対寂寞、静観吾心」
~ひとりで自分に適切な時間を定め、わが心を見つめて、更なるふさわしい道を歩む~

 

「庄子心得」之三で、于丹氏は、レバノンの著名な詩人であるKahlil Gibran氏の言葉「我々は、遠くへ、遠くまで来ている、源となる出発の目的を忘れるほど」を引用し、その章を展開している。私もこの言葉から始めることにしたい。

 

人間の一生は、長かろう、短かろう、人それぞれ独自のユニークな経歴である。それぞれの人生の旅には、目の前に聳え立っている高山を登り越えなければいけない場合もあり、彼方へ流れていく浅い渓流や谷を渡る場合もある。一人で茨に覆われている狭い山道を切り開く時もあり、平坦な大道を淡々と歩く時もある。成功の喜びを体験する時もあり、挫折や失敗の悲しみを味わう時もある。

 

いずれにしても、生涯を終える時ではなく、旅をしながら歩いてきた道を常に振り返って修正する人は、成功する確率が高いと考えられる。しかし、大多数の人間は、旅路で出会った様々な体験を、捨てるべきものも、キープすべきものも、すべて両肩に背負い、自分にとって大きな負担となっていることに気づかない。いくたびの年月が人生に深く刻まれても、ある場所とある状況から離れることができず、更なる広い大道へ進んでいく境地に廻りあわない。

 

時代の変化が強く感じられる現代社会に生活している人々は、リズムの速い生活に追われ、足音と心臓のビートを常にテンポの速い時代感覚に合わせて、前へ前へ向かって走らなければならない。記憶のなかでは、中学のテキストにある朱自清氏によって書かれた著名なエッセイ「背影―姿」(興味のある方は、是非一読ください)を、現代の感覚で味わうことができたとしても、あの時代の気配は全く感じられなくなり、いくたびか生活のリズムが塗り替えられた感慨だけは残っている。ペースを変えてもさらに速くなるだけ。それぞれの人生の目標のために・・・、高山を乗り越え、川をわたり、ハードルを一つ一つ潰して、目標も一つ一つクリアしたにもかかわらず、大きな目標はいつまでも遠い 遠い 前方の彼方にあり、遥かに届かないところで疲れ果てた人々を待ち侘びている。その目標のために、今まで歩いてきた道を振り返る時間さえ作り出せない状態なのである。

 

人間の成長段階も同様で、多くの人は、生まれてから一人旅ができるまでの期間は家族にケアされながら、長い成長の旅に必要な養分を蓄積していく。大きくなるにつれて、憧れた夢を追い求め、ふるさとを離れ異郷で追い求めた生活を営み、生まれ育ったふるさとの光景は徐々に脳裏から薄らいでいく。しかしながら、年をとってみると、長年住んでいた生活の地には根を下ろせず、静かな夜に心の底から湧いてくるのは、相変わらず生まれ育ったその土地、夢のなかに浮き彫りにされるのは、相変わらず故郷の山水・人々・・・

 

したがって、人生の旅のそれぞれの節目に、ときどき自分に「寂寞の光陰」を与え、出発地からの旅程のひとつひとつを味わい、自分の心路を整理する必要がある。歩んできた道は、正しい道かどうか、曲がったり歪んだりした道ではないかをじっくり考え、更なる自分の心路(I have to follow my heart)に基づき、自分にふさわしい道を選び出して切り開いていく必要がある。すなわち、このような期間は、「独対寂寞、静観吾心」、つまり、歩んできた人生の振り返りであり、自分へのまとめでもある。寂寞の光陰によって、生活の五味をじっくり味わい、心と体に落ち着きをとりもどして、新たな生活へ向かっていく。たとえ不公平な状況に直面しても、過ぎ去った歳月に幾多の侘しさと憂いがあっても、自分には励ましのチャンスを与えなければならない。

 

旅路で辿り着いたところどころに立ててきた旗が強風に吹き倒されていないかどうか、後ろを顧み反省しながら、旅人は更なる高い峰を目指して、風とともに青空へ舞い上がる。長旅につれて両肩に掛かる負荷は徐々に重くなる。背負っている荷物を取捨選択し、捨てるべき負担をどんどん身の後ろに放り出さなければ、足取りは重くなる一方で、ついには歩けなくなってしまうだろう。したがって、旅路の途中で、時々ひとりで自分に適切な時間を定め、わが心を見つめて、自分にふさわしい更なる道を歩んでいくことが必要になってくる。

 

——————————————-
<趙 長祥(チョウ・チョウショウ) ☆ Andy Zhao>
2006年一橋大学大学院商学研究科より商学博士号を取得。現在、中国青島の海洋大学法政学院で講師を務める。専門分野は企業戦略、地域産業開発、産業組織。SGRA研究員。
——————————————-