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エッセイ100:オリガ・ホメンコ「小柄なマリーナおばあさん」

【人物で描くウクライナの歴史④】

 

彼女は今83歳なのに、60歳にしか見えない、口紅をつけずに外出することのない女性である。彼女の毎日は必ず体操から始まる。そして親戚の若い子にとっても、とてもリベラルな考え方を持っている。道で他人が振り向くような変わった服を着ていたとしても、それを見た親戚が下の唇を上にあげて不満を示しても、彼女は肩を振って「まだ若いから人生を楽しんでもいいじゃない」と微笑みながら言うだけ。

 

彼女は20歳も年上の人と結婚していた。彼は彼女に夢中で、彼女をとても甘やかしていた。きれいな洋服を買ってあげたり、クリミアやソチの保養地に連れて行ったりした。彼女には重い荷物を一切持たせなかった。彼、旦那のリョーニャは、彼女のためにそこに居たのだった。子供が生めないと分かった時にも、彼は静かに彼女の手を握って「マリーナ、もういいよ。自分を苦しめないで。そのままでいい。僕たちは二人で十分楽しく生きていける・・」と言ってくれた。

 

時がたって、彼女は姑の葬儀、それから従兄弟の葬儀、そして彼の葬儀に立ち合った。彼女はとても強かった。他の人が同じ状況に陥ったらパニックになったかもしれないが、彼女はとても冷静だった。「皆、いつかは亡くなるのだから、仕方ない。天寿を祝って喜べるだけ喜ぶべき」と語り続けた。周囲の人から、「わがまま」と思われることも少なくなかった。彼女は今83歳で、毎日が体操から始まり、微笑みながら仕事に出かけ、大学の寮で受付の仕事をしている。

 

私は、そんなマリーナを見て、「こんなに粘り強い秘密は何だろう」と考えつづけていた。80歳を超えてもどこからこんな元気をもらえるのか疑問に思っていた。遺伝子?それともただ偶然の一致?

 

だがある時分かった。急に全部分かった。

 

1944年、再び赤軍(ロシア軍)が村に戻ってきたとき、彼女の両親は赤軍に殺された。彼女の目の前で。二人とも。マリーナの家の墓に行った時、ご両親が亡くなった日にちが同じなので、「ロメオとジュリエレトみたいに同じ日に亡くなった。きっとすごく好きだったに違いない」と思った。だがその「亡くなった日」が戦争中の1944年だったのでちょっと不思議に思った。それで、聞いてみたら、彼女は教えてくれた。彼女がそれを見た日から10年が過ぎていた。10年前は、まだいろいろ「話せない時代」だったので、その時に大人が黙っていたことはおかしくない。彼女の父親はドイツ語ができたので、占領軍(ドイツ軍)の事務所で秘書として働いていた。そこへ再び赤軍が来たから家族全員が殺されたのだった。小柄なマリーナはまだ子供だったので、隠れていたから助かった。隠れていた所から家族の遺体が墓に運ばれるところも見ていた。見つからないように、声をださないで泣いた。そして、その後、自分の家族のことを一切話さなかった。家族のことを聞かれたら「みんな戦争で亡くなった」と言っていた。その頃は、戦争で亡くなった人が多かったから疑われなかった。話せないことが多いから、代わりに微笑んでいった。なんとか生き延びる必要があったからだ。それで微笑んでいた。

 

そして20歳の時に恋に落ちた。大好きなアレクセイの父親は村長で、とても尊敬されていた。しかし、彼女との結婚は「好ましくない」と考え反対した。だが若者は怖いものなしだから、隠れて結婚式をしてしまった。市役所でもらった結婚登録書は父親の怒りから守ってくれると思い込んでいた。父親はとても怒っていたが、アレクセイはマリーナを愛していたので気にしなかった。だが父親は、その結婚をどうしても取り消そうと思い、「あるところ」に無名の手紙を出した。そこの反応はとても早かった。数日後、マリーナさんを連れて行く車が来た。戦後の厳しいスターリン時代だった。その車はマリーナをもっとも遠くに運べる汽車の駅に連れて行った。マリーナはとても若く、旦那のアレクセイを大好きだったので、夜警察官が寝ている時に走っている汽車から飛び降りた。そして、一週間歩いて家にたどりついた。だが振り返ってみれば、家に戻ったのは間違いだった。そこには再び通報する人間がいたからだ。だけど、彼女はアレクセイを大好きだったし、彼以外彼女を守ってくれる人はいなかったし、結局、彼女には他に帰るところがなかった。

 

村に戻ったマリーナは、アレクセイは親戚がいる西部にむりやり送られたと聞いた。少し「頭を冷やす」ために。家には誰もいなかった。彼女の父親のことが知られたら、彼女は戻ってくることができないと、彼は思ったに違いない・・・

 

それで家には誰もいなかった。彼女は普段の生活に戻り、家の掃除をするために井戸から水を運び、その水を家の前に高く伸びた赤い朝顔にあげていた。監視員に見られたのか、誰かが通報したのか、今はもう分からないが、再び黒い車が迎えに来た・・・今度は、もっと遠く、一ヶ月走ってもたどりつかない場所へ送られた。絶対に逃げられないように。炭鉱でとてもきつい肉体労働をした。あの時に逃げださなければ、もっと普通の仕事ができて体を壊すこともなかったのに、と自分自身に文句を言い続けていた。だけど、彼女は粘り強かったので、口や目を閉じてまじめに働き続けていた。それで数年後、そこから出ることができた。もう村には帰らなかった。そこはもう「帰るところ」ではなかったからだ。首都に行った。そこで20歳も年上の彼と知り合って結婚した。彼は彼女の「過去」について知っていたけれど、一度も非難しなかった。彼女をとても尊敬していた。彼らは25年間も一緒だった。あの炭鉱の仕事のせいで子供は生まれなかったけれど。

 

リョーニャが亡くなった数年後、彼女がこの首都の真ん中のアパートで一人暮らしの生活になれた頃、一通の手紙が届いた。封筒に西部の小さな町の名前が載っていた。なにか不思議な予感がした。胸で何か重いものが切れて落ちた感じがした。封筒をあけたら知っている字が見えた。アレクセイからの手紙だった。アレクセイはいろいろと謝罪して、「もう一度会ってください」と書いてきた。勇ましい小柄なマリーナは、この時、初めて泣いた。とても泣いた。あまり泣いたので、次の朝起きていつも通り体操しても元気が出なかった。そのとき初めて、もうほとんど忘れかけていたあの大好きな「最初の夫」のことについて話しだした。

 

しばらくして彼が会いにきた。大きくなっている二人の子どもやこの前亡くなった奥様のことを話した。だけど、マリーナのことを一生忘れられなかったと告白した。彼は、彼女のことをずっと思い出していた。他の人と結婚しても、子育てをしていても思い出していた。あの小さい村に戻って、もう知らない人が住んでいるあの家を訪ねた時も思い出していた。家の前は、もう高くて赤い朝顔ではなく、ほかの奥様が植えた低くて粘り強いマリーゴールドを眺めた時も思い出していた。

 

彼はまだ若くて無責任で彼女を守れなかったことに対して謝罪した。自分の父親から彼女を守れなかったことも含めて。西部に行かされて、若い女性に会って、また人生を最初から、新しいきれいな一枚の紙からはじめたことに対して謝罪した。その一枚の新しい紙に長く書き続けていたことに対しても謝罪した。子どもたちは成長し、妻を尊敬していたが愛がなかったようだ。心の中に針がささっているように、あの小柄なマリーナの思い出が生きていたようだ。自分が守れなかった小柄なマリーナ。自分の若さ、それとも心細さで守れなかったマリーナのこと。しかし、彼女は生き残って再婚して幸せになれた。アレクセイはこのことがうれしかった。そして、結局今再会できたのだから、残りの人生を一緒に生きられれば良いと思っている。破れたあの人生の紙一枚をのりで張り合わせるような感じだ。

 

マリーナさんは彼に夕食を作ってあげた。彼の話を黙って聞いていた。ただ微笑んでいただけ。それから彼に「来てくれてありがとう」と言った。だが人生は遠い昔にそれぞれの流れ方を決めた。彼らの人生の一ページは、違う本の中に綴じられてしまった。その本の内容が似ていても、ジャンルが違うので、本屋さんも違う階で売れている。長い間に、彼女は自分を自分で守れることを学んだ。勿論、その前にもできたのだけど、自信がなかった。いや、ただ自分の力を知らなかっただけかもしれない。

 

彼はさびしい顔で西部の家に帰っていった。彼はこの物語に違う「終わり」が期待できると思い込んでいた。

 

しばらくして、あの西部の町から再び郵便物が届いた。今回ははがきだった。住所は一緒だったが、名前だけ違っていた。彼の名字でマリーナという名前の女性が、父親が急に心臓発作で亡くなったことを知らせていた。小柄なマリーナは意識を失った。

 

マリーナが気づいた時、まだあのはがきを手にしていた。「そうか、彼にも痛みを感じる<心>があったんだ」としか考えられなかった。娘に彼女の名前をつけた。会ったときには言わなかったけど。だがマリーナは葬式に出なかった。自分の最初の夫のアレクセイは遠い昔に亡くしたのだから・・・違った書架に運ぶあの黒い車に彼女を手放したとき、彼は彼女を亡くしたかもしれない。彼女は彼を許したが、それは、この長い年月の間に、自分を評価し、自分の命を大事にしなければいけないことを学ばせられたからだ。

 

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<オリガ・ホメンコ Olga Khomenko>

「戦後の広告と女性アイデンテティの関係について」の研究により、2005年東京大学総合文化研究科より博士号を取得。キエフ国立大学地理学部で広告理論と実習の授業を担当。また、フリーの日本語通訳や翻訳、BBCのフリーランス記者など、広い範囲で活躍していたが、2006年11月より学術振興会研究員として来日。現在、早稲田大学で研究中。2005年11月に「現代ウクライナ短編集」を群像社から出版。

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