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エッセイ083:梁 蘊嫻 「いつも笑えるように」

この夏、アジア21世紀奨学財団の「森林文化と伝説の世界・熊野」というワークショップに参加した。この旅は私の人生の中でかけがえのない思い出になった。旅で出会ったさまざまな人々や物事を少しずつ言葉にできるように努力してゆきたいと考えている。

 

一週間にわたるワークショップでは二泊三日のホームステイが企画されているが、今回はホームステイでの出来事を皆さんと分かち合いたい。私がお世話になったのは栗須家であった。ホームステイの最終日に、私はお母さんと一緒に栗須家の神様・天御院(せんぎょいん)神社を掃除に行った。お母さんは外出の支度をしながら、この神社の由来を教えてくれた。

 

昔、天御院さまが高地から遠くを眺めたら、洪水が村のほうへ向かっているのが見えたので、すぐさま村の人々に知らせた。そのおかげで全員無事に避難でき、今の地域へ移り住んだ。人々は天御院に感謝の念を捧げるために、小さな神社を建てて交代でお祭りをしていたが、いつの間にか栗須家が月に一回お参りに行くことになった。

 

神社は山中にあるが、私たちは車で10分ほど走って山道になるところから徒歩で向かう。小道に沿って、杖で草むらをかきわけて攻撃的な野生動物がいないことを確認しながら山の奥へ入った。途中、お母さんは供え物にするために山中に生えている榊の葉を切り取り、さらにしばらく進んで目的地に到着。すると、神壇の前に誰かがすでに榊とお酒を供えてくれていた。土地の神を尊崇する気持ちは地元の人々の間で自ずと生じるのだろう。互いに見知らぬ人が神社を通じて心の交流ができたような気がして、私は思わず微笑んだ。

 

お母さんは丁寧に神壇を掃除し始めた。神壇をきれいにした後、榊、米、水、菓子、果物、そして生卵を供える。生卵をささげるのは天御院が蛇だからだ。蝋燭を点したら、火が踊っているように勢いが強かった。私がお参りに来たから天御院さまは喜ばれているとお母さんは言った。私もなんとなく神様に気に入られたような気がした。

 

私たちは敬虔な心で拝んだ。私は天御院に学業成就の願をかけたが、お母さんはここへお参りに来るたび、自分も家族も毎日笑えることを祈ると言った。「いつも笑えるように」とは、なんと素朴な願いだろう。それにも実はいろいろな意味が込められている。いつも笑えるというのは家族全員が健康でいること、危険な目に遭わないこと、生活すべてが順調であることを意味する。実にありとあらゆる方面に行き渡ったお願いなのである。

 

祈願した後、生卵を竜神へ届けるため、殻を割って中身を河に流すという儀式を行なった。河に流れていく黄身を眺めているうち、竜神のところへちゃんと届くようにと真剣に願っていた自分に気づいた。

 

家に帰ってもお母さんの言葉をよく思い出した。自分が月に一回お参りに行かないと、なんとなく不安な気持ちになる。そしてお父さんは無神論者だけど、天御院にだけは必ずお参りしなければならないと言っている。お母さんの言葉を聞いて、無宗教の人であっても、人間は土地の神様にもっとも依存していることをつくづく実感した。それはキリスト教や仏教のような体系的で深遠な教義を持つ信仰とは異なり、人間が普遍的に抱いている自然に対する尊崇の心であろう。

 

土地の神様といえば、台湾で代表的なのは「土地公」である。名前どおり土地のお爺さんという意味である。土地公は正式には「福徳正神」といい、常に土地婆(女房)とセットになっている。土地公廟はどこに行っても見かけることができ、人々の生活に密着している。土地公廟は魔除けとしてお墓のそばや、田の畦にひっそりと立っていたりする。人間が入れるほどの大きさもなく、土地公・土地婆像がちょうど安置できるような社である。見た目こそ目立たないが、土地の人々にとっては重要な存在である。

 

土地公廟のことで亡き父親のことを思い出した。十年前私が日本への留学が決まったときに、父親は家族全員を集めて近所の土地公廟にお参りに行った。当初、私は父親の挙動を不審に思っていた。まず、父親は特に宗教心が強いわけではなかったから神様にお願いをすることが不思議だった。そして、町内にあるもっとも有名な廟は、建立されて百年以上の由緒を持つ関帝廟であるにもかかわらず、地味な土地公廟に参詣したことも不可解だった。今にして思うと、土地の神様が一番よく私を見守ってくれると父は信じていたのであった。

 

考えてみれば、日本と台湾は土地の神に対する考えがよく似ているところがあることに気づいた。そして、親心もまったく同じだ。当時、何を土地公に祈ったかを父に聞きそびれたが、きっと嫻妹が日本でいつも笑えるようにと願ってくれたのだろう。

 

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<梁 蘊嫻(りょう・うんけん)☆ Liang Yunhsien>
台湾花蓮県玉里鎮出身。淡江大学日本語学科卒業後来日。現在東京大学大学院総合文化研究科比較文学比較文化研究室博士課程に在籍。博士論文は「江戸時代における『三国志演義』の受容」をテーマとしており、今年度提出予定。母語を忘れてはいけないと思っているので、現在勉強の合間を縫って、母語の客家語を教えている。学生には、日本人、台湾人、二世客家人、ニュージランド人、マレーシア人などがいる。
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