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エッセイ081:キン・マウン・トウエ 「豊かとは?」

8月は、ミャンマーの雨季です。毎日一回は雨が降ります。大雨の時はドライブが大変ですが、曇りならば楽しいドライブシーズンとなります。私も旅行が好きなので、8月下旬に仕事も兼ねて、家族も一緒に、実家のあるマンダレーとその周辺へ車で行ってきました。ちょうど曇りだったので、16時間のドライブは楽しいものでした。ただし、ガソリンが値上がりしたばかりだったので、ちょっと大変でした。

 

前回のSGRAエッセイ「中国(雲南省)とミャンマーの貿易関係」でも、マンダレーのことについて書きましたが、今回は別の角度から考察します。仕事のためにマンダレーで二日滞在した後、マンダレーから約70キロ離れたピンウーリンへ行きました。この町は、ミャンマーの別荘地であり、イギリス植民地時代には、植民地イギリス政府の別荘地にもなっていたところです。その時のメイ将軍の名前を記念にしてメイミョ(メイ町)と呼ばれていましたが、現在は、ビルマ王朝時代の村の名前からピンウーリン(平らなピンウー村)となっています。気候が素晴らしく、山の中なので緑がたくさんあり、風も新鮮です。メイ将軍は、イギリスの気候と似ていると思ったそうです。日本の軽井沢のようなところです。

 

実家の別荘があるので二日間滞在しながら、仕事に関係のある作物に関する調査を行いました。この町は、海抜3538フイート(1100m)のシャン高原にある町なので、たくさんの種類の野菜や果物や花が作られています。ミャンマーのコーヒーの栽培地でもあります。さまざまな作物が、この町やその周辺からミャンマー全国へ出荷されます。新鮮な野菜や果物が多いため、食の豊かな町です。

 

1915年、イギリスの林野研究者である Mr. Alex Rogersは、ミャンマーの豊かな森からとれるチーク材の研究と他の目的で植物園を作る計画をはじめ、1917年にMrs. Charlotte Wheeler Cuffe の管理で150エーカーある植物園が完成しました。この植物園は、1942年には240エーカーまで拡張しました。この町へ来て、ミャンマーの新鮮な風、豊かな時間、豊かな農作物を海外へ売り出す計画を思いついたようです。

 

現在、ミャンマー軍のいくつかの大学がこの町にあります。さらに、政府のトップレベルの人たちの別荘地にもなっているため、町作りに力を入れています。植物園の中に、湖や動物園を作り、さまざまな花を栽培し、ミャンマーで一番の公園になるよう改良を行い、National Gardenになっています。観光客がとても多く、皆が楽しめる公園になっています。このように表から見ると、この観光客たち、この町、この国は豊かで幸せそうに見えるかもしれませんが...

 

現在、世界の石油の値段が急騰しています。ミャンマーでも最近値上がりしました。国内の物価も騰がりました。他の国と比べたらまだ安いかもしれませんが、国民の一般の収入と比較したら、多くの人びとが大変な生活をしなければなりません。毎日の生活さえ困る人がたくさん出てくるでしょう。それを我慢できるかどうかが問題です。

 

ミャンマーは、広い海と長い海岸があるので海産物がたくさん捕れます。広い面積の森があるので、チーク材含め森の資源がたくさんあります。多くの山があるので鉱山資源もあります。世界一のルビー、翡翠、サファヤなど、宝石が豊かな国と呼ばれるほどあります。確かに、この国は豊かです。

 

しかし、「豊か」ということは、何でしょうか?

 

お金の豊かさ、心の豊かさ、時間の豊かさ、資源の豊かさ…

 

ミャンマーの普通の人々が思っている「豊かさ」や「幸せ」は、何でしょうか?

 

 

ピンウーリンの写真は、下記URLより後藤修身氏の写真館にてご覧ください。

 

 

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<キン・マウン・トウエ ☆ Khin Maung Htwe>

 

ミャンマーのマンダレー大学理学部応用物理学科を卒業後、1988年に日本へ留学、千葉大学工学部画像工学科研究生終了、東京工芸大学大学院工学研究科画像工学専攻修士、早稲田大学大学院理工学研究科物理学および応用物理学専攻博士、順天堂大学医学部眼科学科研究生終了、早稲田大学理工学部物理学および応用物理学科助手を経て、現在は、Ocean Resources Production Co., Ltd. 社長(在ヤンゴン)。SGRA会員。
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