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エッセイ077:羅 仁淑 「陽は昇ると沈み、沈むとまた昇る」

3年ほど前より都内の某大学の生涯学習センターで韓国語講座の講師を務めている。講座に参加している受講生は20代から70代まで年齢分布の幅が広い。韓国語に興味を持つようになった理由もさまざまだ。好きな芸能人と話したい、韓国に行って韓国語の看板が読めるようになりたい、またある人は韓国人と結婚した娘の娘(孫娘)と話がしたいなどなど。理由はそれぞれ違ってもみんな韓国が大好きだ。昔は韓国人嫌いの人が多かったと思う。幸い私は経験してないが、韓国人だということで部屋を貸してもらえず大変だったと多くの友人から部屋探しの苦労話をこぼされたことがある。

 

いきなり話が変わるが、最近、韓国にお嫁に行く外国人女性が増えているらしい。母から聞いた話だが、日本人3姉妹が次々と韓国人と結婚しテレビでも面白半分それを紹介したそうだ。昔はその反対のパタンーが多かったと思う。

 

一昨年、外国人がよく行くソウルのイテウォンというところに大学院生時代にお世話になった某奨学財団関連の方のお買い物にお供したことがある。数年前、日本の友人と一緒に訪れて以来のことだった。代金を払おうとしたら「韓国ウォンはないですか?ウォンにしてください」と言われた。驚いた。数年前まではウォンはお金でないかのような語調で、日本円にしてくれないかとしつこく言われていたのに・・・。

 

いずれにしても韓国自体も韓国に対する外国人の印象も昔と変わった。一時帰国をするたび、韓国の変わりぶりには驚かされる。80年代後半、日本で大学を卒業した後、1年半ほどイギリスにいたことがある。大英帝国イギリスを頭に描きながら渡英したが、世界を席巻した大英帝国の姿はもはやそこにはなかった。マンチェスターやリバプールなど昔栄えた町ほどそうだった。活気が感じられなかった。まるで老紳士のようだった。当時の日本はというとそれは活気に満ち溢れ、この国に強く照らし続けている太陽が沈むことはないように思えた。最近、たまに韓国へ行くと猛烈な躍動感を感じる。健康で虹色の夢を見ている成人式を終えたばかりの若者のような。

 

韓国は1960年代朴正熙大統領時代から始まった計画経済政策により急速な経済発展を遂げた。10%以上の成長率を記録し、「ハンガンの奇跡」と言われるほどであった。とくに1988年ソウルオリンピック以降、IT産業、造船、半導体、電子、自動車、携帯電話などにおいては基幹産業として飛躍的な成長を遂げ先進国と肩を並べるようになった。造船では海外受注量において1位であった日本を追い抜いて世界一となり、半導体の分野では三星電子を筆頭とする韓国企業が世界シェアの一位を占めている。自動車分野においても世界中に販売網を構築し先進諸国と激しい競争を繰り広げている。全産業に通用するとは言えないものの韓国企業と韓国商品が世界市場で高く評価されていることは確かのようだ。政治的には金大中大統領の太陽政策(宥和政策)以後、敵対関係であった南北が協調関係に変わった。南北を縦断する道路と鉄道を繋ぐとか、経済的協力を拡大するとか、さらに統一に向けた具体的構想を練るとか、朝鮮半島にとって明るいニュースがちらほら聞こえてくる。性急な人々は民族の宿願「統一」が実現され、陸路で朝鮮半島発アジア、EU行きもまんざら夢ではないと目を輝かす。韓国語講座の受講生たちも韓国にお嫁に行く外国人女性たちもそんな韓国が好きになったかもしれない。

 

人間と同じく国にも乳幼児期、青少年期、成人初期、成人後期、老年期というライフサイクルがあると思う。人間のライフサイクルは老年期から逆方向へ戻ることはできないが、国はいくらでもそれができることが違うだけだろう。世界経済史が示しているように韓国が今の状態を長期的に維持できる保証はない。いつ韓国が沈み、またどの国が昇るのか興味津々だ。

 

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<羅 仁淑(ら・いんすく)☆La Insook>
博士(経済学)。SGRA研究員。
専門分野は社会保障・社会政策・社会福祉。
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