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エッセイ073:ボルジギン・ブレンサイン 「湖の中の『国際化』」

「キャンパスは琵琶湖、テキストは人間」を理念としている私の大学のキャンパスはまさに琵琶湖の畔にあるので、このごろよく湖畔を散歩する。先日、わが大学よりもずっと湖畔にある滋賀県水産試験場のある研究者の方と立ち話をする機会があった。彼はこの水産試験場で淡水魚の養殖や生態に関する研究をしているようで、話は鮒寿司の作り方から琵琶湖の歴史や生態へと広がり、最近話題になっている外来種の問題にまで及んだ。

 

彼の話によると、琵琶湖の生態を脅かしている最大の外来種は「オオクチバス(俗にブラックバス若しくはラージマウスバス)」と呼ばれる北アメリカ原産の魚だそうだ。この種の魚は1925年に神奈川県芦ノ湖で初めて発見され1970年代になって急速に全国に広がり始め、現在は全都道府県で確認されている。琵琶湖では1974年に初めて確認され、1980年代後半に増殖のピークを迎えた。ブラックバスは大型の動物食性の魚で、魚類・甲殻類だけでなく、昆虫や鳥の雛まで食べ、日本の元来の生態を維持してきた在来種の魚や生態系に対して大きな影響を与えている。琵琶湖では1984年以降、駆除事業が始まり現在も続いている。

 

ブラックバスと同じく北米原産の魚ブルーギルも多様な小動物から水草まで食べる雑食性で、とくに魚の卵を好んで食べるために、激増した水域では在来生物への大きな影響が懸念される。皮肉なことにブルーギルは1960年、当時の皇太子殿下の渡米の際に、みやげとして贈呈された個体が、各地へ分与され、1965年に西ノ湖で初めて記録され、1968年には琵琶湖で捕獲され、1970年代前半に湖全域に拡大した。1990年代に入って個体数を急増させているという。最近ではコクチバス(又はスモールマウスバス)と呼ばれるはやり北米原産の大型動物食性魚も猛威をふるっているようである。

 

ところが、日本の河川や湖には、獰猛で肉食性の北米原産だけではなく、近隣のアジアからも色々な外来種が日本に上陸していた。例えば、ハクレンやソウギョのように、明治-大正期から食料増産の目的で中国や台湾、朝鮮半島から持ち込まれた淡水魚がいるが、北米原産と違って非肉食であるうえ、日本在来種に対して劣勢に立たされ、現在その殆どが元来の遺伝的な特徴を失ってしまったという。またこうしたアジア原産の外来種は、日本在来種と同様に北米原産魚に対して劣勢に立たされていることも注目に値する。逆に、日本から北米に持ち込まれた鯉が大発生し、北米在来種に対して脅威となっているという話もしてくれた。

 

水産研究に素人である私がなぜこのような外来種問題に興味を持ったのか。それは、日本在来種が北米外来種に「劣勢」であるのに対して、アジア外来種には「優位」であるという、琵琶湖を舞台にした湖の中の「国際化」現象にヒントを得たからである。

 

叫ばれて久しき地上における国際化の実態はどうであろうか。福沢諭吉の「脱亜論」が1885年3月16日の『時事新報』に掲載されて以来、日本は欧米追随一辺倒でアジアを厄介者扱いしてきたが、それが今日の経済大国実現の原動力であったと大勢の日本人に信じられている。しかし、経済的に欧米を圧倒しながらもスポーツや文化などの面で欧米にコンプレックスを覚えてきたことに慣れてしまったため、近年のアジア諸国の経済発展を前に、本来ならアジアに対して「優勢」であったはずの部分までが見え隠れしている状況で、もしかして自信喪失に陥っているのではないか。それが一世紀以上「脱亜」した結果と思うと、実に理解し難いところである。あるフォーラムで某学識経験者が語った「日本はアジアとのつきあいの中であまり良い目に遭ったことがない」というニュアンスの言葉が記憶に残っているが、歴史的事実がそうだとしても「脱亜」し続けてどうやってアジアの台頭に対応するのか。福沢諭吉の時代と違って、現在のアジアはもはや「亡国」を待ち受けた「頼りにならない」アジアではなく、むしろ日本よりも活力に溢れたところとなっている。「脱亜論」を聖書にし続ける人々には、潜水服を着て琵琶湖に潜って、北米原産に食われながらもアジア原種を「同化」させてきた日本在来種の逞しい「国際化」の姿を観察することをお勧めしたい。

 

<ボルジギン・ブレンサイン ☆ Borjigin Burensain>
1984年内モンゴル大学文学部卒業;1984年~1992年内モンゴルラジオ放送局記者;1996年早稲田大学大学院文学
研究科より修士号、2001年博士号取得;日本学術振興会外国人特別研究員を経て、2006年より滋賀県立大学人間
文化学部准教授。SGRA会員。