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エッセイ072:玄 承洙 「宗教、最も悲しい人工物」

アフガニスタンのイスラーム武装勢力であるターリバンに23名もの韓国人が人質にされるという未曾有の事件が発生しました。被害者のうち男性二人はすでに幽明界を異にしています。ターリバンという組織は、2001年に起きたバーミアン石仏の無謀な破壊で一般人にもなじみ深い名前ではないでしょうか。

 

事件発生から2週間以上もたっているのに、いまだに解決の糸口さえ見つかっていない今回の事件は、私にも二つの意味で格別な関心事となっています。その一つは、私の研究分野がまさにこのターリバンと深い関わりを持っているということです。俗にいう「イスラーム原理主義」とそれを広めようとする世界各地のムスリム組織を分析することが、私の博論テーマであり、帰国した現在も韓国の研究所で相変わらずそのテーマに取り組んでいます。

 

もう一つは、いまアフガニスタンのどこかで不安と恐怖に苛まれているはずの韓国人の人質たちがキリスト教の布教団体に属している人たちだからです。ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、私は幼い頃からキリスト教の牧師になることを夢見ていました。信心深いプロテスタントの家庭で育てられ、大学時代はほぼ毎日教会に通い、日本語で書かれたバイブルをいつも暗唱したりしていました。いまも叔父の一人はアフリカでキリスト教の宣教師をやっています。そのような私が今はイスラームの専門家を自称しているのですから、まあ、人間の運命はどう方向づけられるか分からないものです。

 

イスラームを信仰としてではなく、あくまでも研究対象としているとはいえ、私はいつの間にかアンティ・クリスチャンになってしまいました。ヨーロッパと中東、アメリカの歴史をひもとくと、そこには愛なる唯一神の名において流された血のなまぐささでいっぱいです。ある人は、それらを壮絶でロマンに満ちた英雄談もしくは聖なる戦争云々しますが、私にはただフラトリサイド(兄弟殺し)としか見えません。どこかで聞いたように思いますが、地球上で同種を大量に殺す動物は、人間をおいていないそうです。

 

以前プロテスタントの信者だった頃、私はキリスト教の布教を十字軍の出兵に準える賛美歌を聴いて違和感を覚えたことを思い出します 。戦闘的で独善に満ちたあの歌詞を声高々に歌いだす人たちのメンタリティーが不思議でなりませんでした。神の愛や真理を刀と槍に、信者を武装した戦士になぞらえながら戦意を燃やす人たちが、異教徒たちに包容と慈悲を施すのは不可能でしょう。

 

今回の事件を契機に、過剰でかつ競争的に行われる韓国のプロテスタント教会の海外宣教をめぐって、世論では激しい議論が展開しています。多くの人たちが、韓国のプロテスタント教会に自省と省察を促しています 。一方では、人質に取られた若者たちを同情し、彼らが何の縁故もない他国で政治と宗教の犠牲となることに公憤を覚えながらも、一方では、宗教イデオロギーの宣伝を前提におこなうクリスチャンたちの慈善行為を軽蔑する人は、意外に多かったのです。他人の信仰を捨てさせ、彼らの生き方を変えさせるために、彼らを治療し、食べ物を与え、教育を施すことが、果たして人道活動たり得るのか、という声がキリスト教内部からもあがっています。

 

しかし殺戮と狂気の歴史はキリスト教の専有物ではありません。イスラーム史の中にも同種殺しの例はいくらでもありますから。他の宗教はどうでしょうか。確信をもっていえるのは、あらゆる宗教が絶対的な何かのために、それが究極の真理であれ創造主の神であれ、殺人を容認しているということです。ある人は反論するでしょう。私たちの宗教は「平和」を意味します、と。しかし彼らのいう平和は彼らだけのために成立する平和なのです。他者の排除を前提にしない限り、宗教そのものが成り立つはずもないでしょう。「信じる」私たちと「信じない」彼らが存在しなかったら、すでに宗教というものはあり得ないのです。そこで私は思うようになりました。人間の作り出したあらゆる事物のなかでもっとも悲しいものは、宗教ではないか、と。最近耽読しているイギリスの動物行動学者リチャード・ドーキンスの著作『神は妄想である──宗教との決別』(The God Delusion)は無神論にたいする私の認識に驚くほどの洞察を与えてくれました。これまでいろんな宗教を経験しつつ暫定的に不可知論者を自称していた私が、無神論者になる日が来るかも知れません。

 

この文章を書いている今、私は祈っています。残り21人の無事釈放を、です。しかしもう私の祈りを聞いていただく絶対者が存在するとしたら、それはイエスでもなく、アッラーでもなく、ブッダーでもありません。それは人類の良心であり、私自身であり、あなたなのです。そして神に祈らなくとも、いくらでも祈ることができることに私はやっと気づいたような気がします。

 

(2007年8月4日)

 

玄承洙(ヒョン・スンス)☆ Seungsoo HYUN
韓国外語大中央アジア研究所研究員
SGRA会員