SGRAかわらばん

エッセイ070:陳 姿菁 「台湾の若者教育(その1)」

人にぶつかっても謝らない、図々しく列を割り込んでいるなど、最近の若者の礼儀のなさには目に余るものがあります。それを目の当たりする私たち大人は、「今どきの若者は……」とため息混じりで愚痴をこぼしたり、学校教育のせいだと強く主張したりしていませんか。しかし、よく考えてみたら、その責任は、愚痴をこぼした大人に大いにあるように思えます。

 

台湾は、日本に劣らない学歴社会です。いい仕事を見つけるために、日本のような名門学校の出身ということだけではなく、学士より修士、修士より博士、台湾の博士より外国の博士のように、さらに「上」を目指している傾向があります。いい人生は出世であり、そのために猛勉強して学歴を手に入れるという社会普遍の価値観が深く植えつけられています。

 

台湾の町を歩いた経験のある方なら誰しも街の至るところで、数学塾や英語塾、進学塾の看板を目にすることに驚かされたでしょう。日本は受験戦争のため、塾文化が発達していることは周知の通りですが、台湾も同様かつ前述した価値観の影響で、塾に通わなければこの社会に取り残されるかもしれないということで塾文化が発展していく一方です。

 

 日本よりも厳しい受験戦争やおけいこ、毎日異なる塾通いに忙しい学生が放課後の時間に塾の集中している台北駅の近くの街路に溢れています。食事をゆっくり取る時間もないので、テイクアウトを注文するために長い列を作っている学生の数は半端ではありません。

 

 顔には出ていないかもしれないけど、疲れている台湾の学生たちのストレスは相当なものだと思われます。加えて両親は、ないし社会全体は、「学歴」を重要視のあまり、学生たちに「ノー」を言わせるチャンスも与えず、彼らが黙々と学校、塾と家を往復する日々を送っているのは当たり前のようになってきています。

 

 台湾では中学から高校にあがる時に受けなければならない「基測」、及び大学へ進学するための「指考」があります。これは、日本のセンター試験のような統一試験です。近年、台湾政府はほかの進学方法(たとえば「学測」つまり推薦入試)をアレンジしていますが、統一した試験制度は学生たちが進学するためのメインストリートであることは以前と変わりありません。受験生を持つ多くの家庭では受験生が中心で、「基測」や「指考」に合格できるよう家族総動員です。家事をさせず、ただ勉強すればいいという親はほとんどです。

 

進学試験でいい結果を得るために、子どもが幼い時から親が教育に力を注ぎます。幼稚園のクラス選びから一番大事な塾選びまで、親も自ら下調べをしてから子どもを通わせます。「幼稚園からクラスを選ぶのですか」と耳を疑う方もいらっしゃるかもしれませんが、台湾の「英才」教育は胎児の時から始まっています。幼稚園に入る前から親が学校選びの戦争に巻き込まれています。本屋では各幼稚園を分析する雑誌まで置いてある事実は、今の台湾の競争の激しさを語ってくれるでしょう。

 

一方、塾同士の競争が激しい台湾では、進学率を維持するために、成績のいい学生を選ぶ塾まで現れたそうです。定員制限のある有名な先生の講義を申し込むために、早朝から塾の前で長蛇の列を作ることは、もはや常識中の常識になっています。

 

 最近聞いた話ですが、知り合いが子どもを有名高校に進学させるために、一人につき1ヶ月間で払った塾代は、なんと大卒の一ヶ月の給料の2倍近くだそうです。それはたったの30日の集中講義のためでした。普通の家庭で子どもに世間一般的に思われている「いい教育」を子どもに受けさせようとしたら、どれほどのお金を費やさなければならないのか想像できるでしょう。

 

 こうした学歴や勉強重視の社会の中で、先生と生徒の関係は単に「受験テクニック」を売る人と買う人になってしまい、親子の関係は「いい人生選び」をしてあげる側と、望まれる学歴を手に入れて「恩返し」する側とになっているように思えます。この図式化できる関係、いささか物足りないと思いませんか。そうです、「人格教育」というものです。物質的に計算する余りに、「人間性」の重要さを見落としてしまったのです。人間性の希薄が懸念させているのは、このような背景があるのだと思います。一番顕著に現れているのは若者の礼儀です。つまり、礼儀は二の次に教育してしまったのは私たち大人です。

 

 成績と証明書や資格で人間を計る現代社会へと変貌させ、人間としての思いやりやゆとりをなくしてしまったのは、次の世代の教育を担う親と教師です。「物質的な価値観」を与えてしまった私たち大人は「今どきの若者は…」と発言する前に、自分の責任として認識しなければいけないのではないでしょうか。

 

証明書や学歴は所詮出世するための「手段」の一つに過ぎません。自分の一生に影響していくのは「人間性」で、子どもを大事に思うのならば、学業重視より、礼儀や人への思いやりなどをまずしっかり教えるべきだと思わずいられません。

 

———————————————————————
<陳姿菁(ちん・しせい ☆ Chen Tzuching)>
 台湾出身。お茶ノ水女子大学より博士号を取得。専門は談話分析、日本語教育。現在は台湾大学の兼任として勤めている。SGRA研究員。
———————————————————————