SGRAかわらばん

エッセイ51:マックス・マキト「SGRAのおかげで研究が進んできた」

1995年に東京大学から博士号を取得し無事に卒業したが、やむを得ない事情により、自分で探してすぐに見つけたある教育機関の職についた。しかしながら、「あなたの研究は一切支援しません」と言われ、大学院で行った日本のODAについての研究はそこで止まってしまった。もちろん完全に終わってしまったわけではなく、自分の時間とエネルギーを教えることに集中せざるを得ない状況のなかでも、日本の経済開発の研究をなんとかやり続けた。残念ながら大学院で研究をしていた頃と違って、日本と母国との比較研究はできなかった。

 

2000年7月にSGRAが設立され、また比較研究ができるようになった。僕の提案が留学前にフィリピンで所属していたアジア太平洋大学(UA&P)に受け入れられ、SGRAの温かい支援を受けて、フィリピンの経済特区に関する共同研究をやることになったのだ。当然ながら僕の感謝の気持ちとして、この共同研究はSGRAという組織のもとでやっている。このような姿勢はフィリピンやアジア各国ではわりと問題なく受け入れられるのだが、日本人からは凄い抵抗を感じる。抵抗が強い分、日本のNGOであるSGRAからの支援が大切なのだと僕は見なしている。

 

最初に行ったのは製造業の経済特区の研究だった。この研究については、今年の1月に北京にて最終報告を行った。現在、SGRA顧問で名古屋大学の平川均教授が行っている産業クラスターの研究の中のフィリピンのトヨタの調査とからめて、この製造業特区研究の継続の可能性を探っているところである。この研究の当初の目的はフィリピン経済特区管理局(PEZA)での蓄積されてきたデータの保存だった。当時、このデータは全く利用されず倉庫に入れられ、忘れられて腐り始めているという状況だった。もったいないという気持ちで保全プロジェクトを始めた。

 

とはいっても、北京での最終的報告で述べたように、このプロジェクトの意義は、歴史的データの保全だけではなく、日本の特殊かつ貴重な経済開発の歴史の保全と考えても過言ではない。というのは、フィリピンの製造業特区における最大投資家は日系企業であることがわかり、このデータの分析によって、日系企業の伝統的な強さが効率性に繋がることが確認できた。日本の経済発展の最大の特徴でもある「共有型成長」は、みごとにフィリピンの経済特区戦略と一致していることが認識できたのだ。

 

この「共有型成長」はフィリピン国民の最大の願いであるといえよう。先日マニラでバスジャック事件が起き、幸いにも無血で解決したが、その手段は決して許されるものではないとしても、「貧しい若者たちにもちゃんとした教育環境を整備せよ」という犯人の訴えは、国民の願いを代表するものだったと思う。昨年末のSGRAかわらばん「醜いアヒルの子」でとりあげたような経済学者軍団があれだけ破壊しようとした日系企業の伝統的な慣習は、フィリピンとその他の東南アジア諸国の製造業特区に生きのびている。僕の歴史保全プロジェクトは両方の意味で成功したのだ。

 

UA&PとSGRAの共同研究の第2段階は、フィリピン経済特区管理局(PEZA)が管理するIT経済特区を研究対象として進められている。第1段階の製造業特区研究と同様、この研究も第3者機関から研究助成を受けることになった。そして、第3段階の準備も始めた。今度は、PEZAが管理する観光経済特区を研究対象としたい。まずは4月16日(月)にマニラのアジア太平洋大学(UA&P)で、「マイクロ・クレジットと観光産業クラスター」というテーマでセミナーを開催することになった。

 

以上の三種類の経済特区研究を眺めてみると、日本の存在が段々薄くなっている気がする。日系企業は製造業特区では支配的だが、IT特区ではフィリピン企業に逆転され、観光特区ではその存在すらない。それぞれの特区の関係者をみると、製造業特区では日系企業との関係が深く、コールセンターやソフト開発などが多いIT経済特区では欧米企業との関係が深く、観光産業は韓国と関係が深まっている。近年、韓国人観光客が激増し、日本人観光客数を追い越したし、韓国政府や企業が観光地に資金を注いでいる。

 

もちろん、フィリピンとしては、国を問わず外国人を歓迎するが、これだけ人生を日本に投資してきた僕としては、日本にももっと頑張ってほしい。共同研究の第三段階では、日本から遠ざかるような気がしないわけでもなく、ちょっと寂しく思う。しかし、観光経済特区でも、最初の製造業特区研究で開発した分析枠組みを利用するつもりなので、日本の「共有型成長」開発モデルが再確認できるという確信を持っている。物理的に日本の存在が薄くなっても、その理念はしっかりと存在し続けるであろう。

 

日系企業が東南アジアに大きく進出してきた最大の理由は、安くて良質な労働者というホスト国の比較優位点を利用したためである。フィリピンのIT産業や観光産業でも、きっと日系企業も活躍するようになっていくのだろう。

 

僕は観光産業特区に日本の目が向いてくれる日までに準備しておきたいことがあり、現在も着々と計画を進めている。考えてみれば観光産業の本質は「持続可能な発展」にあるが、「持続可能な発展=共有型成長+環境保全」という方程式の右側の両項は日本が得意とするところなのである。

 

日本人の皆さん、フィリピンの青い海と白い砂浜のリゾートに行きませんか?

 

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マックス・マキト(Max Maquito)
SGRA運営委員、SGRA「グローバル化と日本の独自性」研究チームチーフ。フィリピン大学機械工学部学士、Center for Research and Communication(現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、テンプル大学ジャパン講師。
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