SGRAかわらばん

エッセイ045:エレナ・パンチョア「ブルガリアのイースター(1)」

私の日本の生活は7年目になりますが、ブルガリアの祝祭の中で、最も懐かしく思っているのはイースターです。イースターとは移動祭日、すなわち春分の日の後の満月の次の日曜日に行われる祭です。ご存知の通り、イエス・キリストの復活を祝う祭であり、「復活祭」とも呼ばれています。

 

ブルガリアのイースターと言いますと、最も特徴的なのはイースター・エッグ、いわゆるイースターの卵、とkozunakという甘いパンです。イースターではキリストの復活だけでなく、これと関連する新しい生命の誕生が祝われるため、新たな命の源泉である「卵」が最もふさわしいものだと思われてきたそうです。当初、この卵は十字架にはりつけにされたキリストの血を連想させる赤い色に染めることが一般的でした。しかし時と共にキリストの血というより、新たな生命の尊さ大切さや、春の到来の喜びの方が卵に多く刻みこまれるようになりました。現在では赤い卵だけではなく、黄色や青、ピンクなどの様々な色に染まった、華麗なものが多くあります。しかし最初に色をつける卵は必ず赤色でなければならないというしきたりが、いまなお残っています。卵の色染めは、必ずイースターが行われる同じ週の木曜日に行われます。私もイースターの時期に母と一緒に店で売られている卵専用の絵の具を使って、ゆで卵の殻に色を染めていました。他のブルガリア人もそうだと思いますが、この時には個性的で、きれいな卵を作ろうと必死になるものです。イースターの時に友達と卵を交換しますので、自分が作った卵が最もきれいで、人々の記憶に残るようなものにしたいと思う人が多いのです。

 

同じ週の木曜日にもう一つ作っておかなければならないものがkozunakです。Kozunakは大きなパンの形をしていて、表面には様々な模様がほどこされます。最も一般的なものは編んだもの、特に三つ編みの模様です。その味は日本のメロンパンの味によく似ていると思います。と言いますのも、kozunakにも少しお砂糖がかけられるからです。Kozunakの主な材料は卵、小麦粉、そしてお砂糖とバターです。作り方は一見簡単そうに見えますが、実はとても難しいです。作り方を少し間違えると、パンがふくらまなくなり、大きな生地のかたまりになります。よっぽど腕のいい人でないと、なかなか簡単に作ることはできません。私の祖母はkozunakの達人なのですが、残念ながら、私と母は失敗の連続でした。しかし嬉しいことにkozunakはパン屋さんでも買
えます。もちろん自家製のkozunakと比べものにはなりませんが。

 

イースターの時にKozunakを作る理由は、イースターの前の四旬節にあります。この時期には断食まではいきませんが、食事制限があります。具体的に言いますと、肉や、卵、チーズ、牛乳など動物の脂が入ったものは全て禁じられています。Kozunakは、この食事制限の時期が終わった後に食べるものです。昔の人々はこの食事制限を遵守していましたが、現代では多忙な日常生活のため、この四旬節を宗教的に行う人は少なくなりました。

 

ここでは私がKravenikという祖父の田舎で経験したイースターの祝い方を簡単に紹介したいと思います。土曜日の夕方、村の人々は教会に行く準備を始めます。イースターの頃に庭に咲くすずらんやすいせん、サクラソウなどの春の花で小さな花束を作り、家族全員でこれと一緒に卵やkozunakを教会に持っていき、教会にささげます。そのあと、ミサが始まります。神父がお祈りのことばを読み、聖歌隊は聖歌を歌います。これは深夜の12時まで続きます。12時にはキリストが復活する瞬間だとされているため、神父は喜びの祈りと聖歌を歌います。またみんながお互いに「キリストよみがえりたまえり」や「真によみがえりたまえり」というお祝いの挨拶をします。そして神父が大きなろうそくをたて、教会で集まっている人が列に並び、このろうそ
くから自分のろうそくに火を付けます。そのまま神父を先頭にして、皆が教会の周りで十字架を掲げて、行進をします。この時神父が十字架を持って、列の先頭に立ち、教会を3周回ります。私が子供の頃、教会の儀式の中で、この行進を最も楽しみにしていました。暗やみの中で、何十本ものろうそくの光がゆっくり行進するありさまは、子供の私にとって言葉ではつくしきれないほどきれいで不思議な光景でした。まるで別の世界にいるような感じでした。

 

これが終わりますと、みんながまた教会に戻り、ミサが朝まで続きます。そして最後に聖体礼儀が行われます。神父から一口サイズの大きさのパンとおおさじ一杯分の赤ワインをもらいますが、これらはイエスの肉と血とされているものです。そして人々は教会でもらった火の付いたろうそくを手に持って家に帰ります。このような儀式では、教会でもらった光と共に、教会に集まった人々と共有した愛や暖かさを家に持ち帰ることが祈願されているのです。

 

日曜日は四旬節の最後の日であるため、帰宅後40日間食べられなかった卵やkozunak、お肉料理などの豪華なごちそうをテーブルに並べます。お肉料理と言いますと、最も一般的なのは子羊の肉をお米と様々なハーブと一緒にオーブンで焼いたものです。そして家族全員が卵を手に持って、二人づつで卵をぶつけ合うという儀式が行われます。割れなかった卵の方が勝ちで、この卵を持った人がその年、家族の中で主導権を持つことになっています。最後まで割れなかった卵はイコンの前に置かれます。なぜなら次の年のイースターにこの卵を割って、その年の家族の運勢を占うからです。その卵が腐っていたら不運であり、何もなかったら好運とされます。

 

家族内ではこのようにイースターが祝われますが、イースターから一週間の間は、親戚や友達が遊びに来たり、彼らのところへ訪問したりします。このような時にも卵の交換や卵のぶつけ合いが行われます。

 

私の考えでは、イースターという祝祭は宗教的な祭のみではなく、民族的な信仰も絡み合っていると思います。農民であった昔の人々にとって、冬は死、春は復活を象徴していました。つまり、春の季節の到来によって、自然が命をとりもどすことはイエス・キリストの復活になぞらえられていたのです。更に、私にとってイースターは宗教的な祝祭である前に、生きる喜びや命の尊さを祝う祭です。従ってイースターがブルガリアの祝祭の中では最もすばらしい祭りであると思っており、私にとって最も好きな祭なのです。

 

—————————————–
エレナ・パンチェワ(Elena Pantcheva)
2000年10月に千葉大学の研究生として来日。2003年3月に千葉大学文学研究科より修士。2006年9月に千葉大学社会文化科学研究科から「日本語の擬声語・擬態語における形態と意味の相関について」の研究で博士号を習得。ソフィア大学日本語学科の学部生の時からずっと日本語の擬声語・擬態語の研究を続けてきたが、4月より首都圏にある外資系のホテルに勤務することになり、新たな分野に挑戦する。